6月・10 sideノクト(☆)
気がついたら俺の部屋で仰向けにひっくり返っていた。
画面が見づらくなるから、と閉めきったカーテンの隙間から陽の光が差し込んでいる。
自宅警備員は昼夜の自覚がなくなると言うけれど、俺にはわかる。朝か昼だ。夜ではない。
パソコンの画面は砂嵐が吹き荒れている。
眠ってたのか。
いいシナリオが思いつかないまま見切り発車的に作り始めているゲームはちゃんと保存してあるだろうか。変なところを押していないか……手はキーボードから離れていたけれど、ちょっと心配だ。
階下でチャイムが鳴った。
通販はたまに商品名欄に配慮がないやつがあるから自力で受け取りたいが、何か頼んであっただろうか。
そんなことを考えつつ身を起こすと、掌に何やら硬い感触を感じた。
が、何もない。
大事なものを握っていた気がするのだが、夢だったのだろうか。周囲を見回してみたものの、散らかった部屋からその”何か”を見つけ出すのは困難を極める。
パタパタと走る音が聞こえる。
商品名の怪しい通販だったりしたらことだ。1度、年の離れた妹に見られて……それ以来、変質者を見るような目を向けられるようになってしまったことを思い出す。
レッテルの重ね貼りは避けたい。
慌てて階段から下を覗くと、玄関先で妹の亜生璃が同級生らしい少女と喋っているのが見えた。どうやら通販ではないらしい。
なんだ違うのか。
安堵すると腹が減ってきた。つけっぱなしのエアコンのせいで喉もカラカラだし、水分補給と光合成が必要……
「……光合成……?」
何故そんなことを思った自分?
いや、これは昨夜遅くまで登場人物案を練っていたからに違いない。
ゲームの舞台は今から数百年後。人類の大半が滅亡した世界に生きる、半分植物化した少年少女。
どうして植物化したのかとか、そういう細かいリアリティをちゃんと設定付けておかないとプレイヤーが没入できないから、と練って練って……ああ、そんなことよりとにかく水だ。水がほしい。
のっそりと階段を下りて行く。
と、案の定、亜生璃に嫌な顔をされた。
「うわ! お兄が出て来た」
「何だその言い方は」
小さい頃は一日中俺の後をついて回っていたかわいい妹も世俗に塗れてすっかり小憎たらしくなってしまって。
色気づくのは1千万年早いと言うのに化粧までして。
それに比べると同級生のほうは随分と地味、いや、清楚だ。こっちのほうが女子中学生のあるべき姿だろう。
亜生璃と違って髪も肩までで切り揃え、クルンと内巻きになっているところが最近流行ったロボットアニメのヒロインに似ているが、そんなことを言った日には隣のマセガキが『キモ』とか言うだろうから黙っておく。
が。
「……チャルマ……?」
「お兄、それ愛美ん家のお店の名前」
その同級生を見て思わず口走ってしまった単語に、すかさず妹のツッコミが入る。
いや、チャルマって何だ? 何故俺はそんな単語を口走った?
自分で自分に呆然とする俺に営業スマイルのような笑みを向け、愛美と呼ばれた同級生は妹に耳打ちをした。
「亜生ちゃんのお兄さん、思ったより普通じゃない」
「何処がよ」
聞こえているぞ御両方。
と言うか妹よ、お前は外で俺のことをどう紹介して回っているのだ。『思ったより普通』って、そういう感想は普通に紹介していれば出て来ないぞ?
「引き籠りだって言うからもっと髪の毛もパッサパサのボサボサで、変な柄のTシャツ着て、日に当たってないから青白くて、それでもってブクブクに太ってるんだとばかり、」
「ちょ」
そして愛美ちゃん。
きみは引き籠りに怨みでもあるんですか? ちょっと偏見がすぎやしませんか?
喉まで出かかったそんな嫌味を無理やり飲み込んで、俺は社交辞令用の笑顔を作る。
商談の時くらいにしか出さないレアものの顔だが、何故か亜生璃の受けは良くない。
「お店って何の店?」
「ファンシー用品多めの雑貨屋さんです。駅前で土地代が高いわりに客単価が低いし、最近じゃショッピングモールにその少ないお客さんを持って行かれちゃって何時潰れるかわからないんですけどぉ」
うん、初対面のオッサンにも笑顔で応対。
いい宣伝部長に、いや、内容は全く宣伝になっていないけれど、きっといい宣伝部長になれるぞ愛美ちゃん。
だが世の中には笑顔を向けられただけで『この女は俺に惚れてる』なんて思い込むキモい男が一定数いるから、あまり振りまかないほうがいい。全く、世知辛い世の中――
「お兄。笑顔で返事が返ってきたからって『俺に惚れてる』とかそういうキモいこと思わないでよね。っつうか愛美も。年齢=彼女いない歴のオッサンの半径1メートル以内に近付いちゃ駄目」
――待て妹よ。
その眉間の皺は何だ。
汚いものでも見るような目は何だ。
お前は兄を何だと思っているのだ。
口を開けばキモキモキモと、愛美ちゃんの爪の垢でも煎じて飲むがいい。
心の中の呪いの言葉が伝わったのか、キモい兄を視界から除外することにしたのか。
亜生璃はくるりと俺に背を向けると靴を履き、置いてあった鞄を取った。
「それより今日、教育実習の先生が来るんでしょ? しかもアラブ系の大学出てからこっちに留学して、ってマジ?」
タンタン、と三和土に靴の爪先を打ちつけ、兄の存在を完全に無視して愛美ちゃんに話しかける。
そしてグッ、と握り拳を突き上げ。
「来い! 石油王!!」
周囲のギャラリー(と言ってもふたりしかいないが)の目も気にせず叫んだ。
「亜生ちゃん、石油王は学校なんて卒業してると思うよぉ?」
「それじゃ石油王の息子ーー!!」
お前はアラブ系は全員石油王だとでも思っているのか?
口に出した日には確実に信頼度が下がるだけのそんな台詞は、愛美ちゃんのツッコミのおかげで言わずに済んだ。
しかしこの娘、のほほんとした癒し系のくせして結構容赦ない。
ひとは自分にないものを相手に求めると言うから、いいコンビなのかもしれないが……妹よ。学生の本分は勉強ではないのか? 若い男の気を引くために厚化粧とか、何処ぞのババアかお前は。
そんなことをチラリと思った途端にギロリ、とすごい目で睨みつけられた。
何だ?
俺の心の声でも読めるのか?
何時の間にそんな特殊能力を。
「でも亜生ちゃん、石油王の息子が来たら羽鳥くんはどうするの?」
「羽鳥ぃ? ああ、あれは、」
「待て! そのハトリとやらは誰だ? 将来性はあるのか? 結婚したら親と同居なんて不幸になる未来しか、」
「オッサンのくせにいちいち女子中学生の会話に入って来ないで!」
いい加減ウザくなってきたのだろう。亜生璃は愛美ちゃんの背を押しながら玄関を出て行く。
待て! 詳しく! そこんとこ詳しく喋っていけ!
帰って来るまでこの兄に悶々とした1日を過ごさせるつもりなのか!?
「あれはボランティア! 羽鳥、今度、雪乃とデートするけどどうしたらいいのかわからないって言うからリハーサルに付き合ってあげたわけ」
「雪ちゃん、羽鳥くんが亜生ちゃんと付き合ってるみたいだ、ってショック受けてたよ」
「え、ヤバ」
ヤバいのはお前だ!
どうせまた気のある素振りで男を惑わせているんだろう!? お前はいつもそうだ。自分がチヤホヤされたいだけにいたいけな青少年の心を弄びやがって!
どうせ美味いもん奢ってもらおうとかプレゼントが目的だとか……俺は知ってるぞ。何がボランティアだ。そう言うのを、待て! 俺の話はまだ終わっていない!
「早く行こ! 久しぶりの登校で遅刻とかシャレになんないって」
心の中で叫び続ける兄を置いて、玄関は空しく閉められた。
リビングでつけっぱなしになっているTVの声が聞こえてくる。
≪――と言うことで疫病による自粛も解除。今日から学校、会社という人も多いのではないでしょうかぁ≫
……そうか、今日から学校再開か。
『久しぶりの登校』と妹が言い残していった言葉を思い起こす。
数ヵ月前に突然流行り出した正体不明の疫病のせいで、俺たちは自粛を余儀なくされていた。
ワクチンの開発にはまだ時間がかかるわ、自粛疲れで暴挙に出る者が出て来るわで……もとから自宅警備員のお前には関係ない話だろうとツッコまれるかもしれないけれど、正直うんざりしていたところだった。
≪でも不思議ですね。ウイルスが急に消えてしまうなんて≫
≪関係者筋の見解では気候のせいではないかと≫
≪急に暑くなりましたもんねぇ≫
「ウイルスが……消えた……?」
≪空梅雨のまま梅雨も終わってしまいそうですね≫
≪今年もダムの貯水率が心配になりそうです≫
≪このまま砂漠化したりして≫
≪ディストピアですねぇ。はははは≫
TVの中ではコメンテーターが能天気に喋っている。
『――そうだよ! 生命の花があれば、能登大地の世界の人は死ななくて済むかもしれないんだ!』
突然、そんな声が耳の奥で聞こえた。
何だ? 今のは誰の声だ?
俺は何かを忘れている。
大事なことを。
その”誰か”は生意気で、おせっかいで、自己肯定感が異様に低くて、それで、
『良かったねノクト。僕が木になればゲームエンドだ――』
誰だ?
思えば亜生璃にしろ愛美ちゃんにしろ、何処かで見た覚えがある。いや、実の妹に見覚えがないのは逆にマズいのだがそれは置いといて。
もっと近くで。
陽の光の下で。
俺は彼らと共にいた。出会って、連れ立って、行き違って、そして最期を看取った。
誰だ。
何処にいた。
何処に……そう、ついさっきまで見ていた夢に出て来たような気がする。
≪さて、観光地も今日から再開するところが多いです。令都海岸では季節外れの桜が満開を迎え、花見と海水浴が一緒に楽しめると――≫
満開の桜。風に舞う薄紅色の花弁。
空と海が溶け合う青。
白い灯台。
『――夢を見たんだ。空が青くて、鳥が飛んでて。ノクトが好きな魚? もいたよ。僕、海なんて見たこともないのに、どうして覚えてるんだろうねぇ』
見せつけるように差し出した手の甲にくっきりと浮かんだ痣。
突き放すことばかり言うくせに、最後まで目も合わせないで。
「……思い出した」
思い出した。
俺はサンダルを引っかけると、外に飛び出す。
歩いている亜生璃を追い越し、ぶつかった三叉路で足踏みしながら記憶を引っ張り出す。
左の道は学校へ。
真ん中の道は商店街へ。
灯台、いや海に行くのは……右!
「お兄! そんな恰好で何処へ、」
再び駆け出した俺の耳に亜生璃の声が追いかけて来る。
「ちょっと海行ってくる!」
「海ぃ!? その小汚いパジャマで!?」
「これはぁぁぁぁぁ! ルゥゥムウェァァアだぁぁぁぁああ!」
クルンと丸まった紅の花弁が目の前を横切る。
それを両手で捕まえて、俺は海へと急ぐ。
潮騒が聞こえる。
「ちっきしょう! 最後の最後まで好き勝手なこと言いやがって!」
海鳥がニャアと鳴きながら沖合へと飛んでいく。
「こんな平和そのものの世界にしやがって!」
抜けるような空の青と対比する深い蒼が、水平線の先で溶け合う。
「俺の気持ちも知らないで!」
薄桃色の花はTVで言っていた桜並木。
その隙間から見える白い砂浜と、防波堤の先にある小さな灯台。
そして。
「――マーレ!」
蹴り上げられた砂が舞い上がる。
自宅警備員だって言うのにこんなところまで全力疾走して、心臓が口から飛び出しそうだ。
でも。
あの日お前が俺を見つけてくれたように、今度は俺が――。
完結です。
ここまでお付き合い下さいましてありがとうございました。




