6月・8
クルーツォは無言のまま僕の傍らに膝をつき、腰のポーチから包帯とスプレーを取り出した。
「すまない。血止めの持ち合わせがあればよかったんだが」
「え、ううん。気にしないで」
薬の持ち合わせがないと言いながらも手際よく手当てをする様はまさに医療関係者で、でも着ているものは相変わらず砂混じりのマントで。
そんなところに『ああクルーツォだ』なんて捻りも何もない感想を抱いてしまった僕はきっと疲れているに違いない。
……こいつのせいで。
「無事か?」
その”こいつ”は心配そうに眉を寄せたものの既にクルーツォが手当てに入っていてはすることもなく、手持無沙汰に転がっているマルヴォの仲間たちを足で遠ざけている。
更生施設の壁を壊したからマルヴォたちが出て来たのだとしたら、この怪我も自業自得としか言いようがない。
助けてほしいと頼んだのは僕だし、だからこの件に関しては僕はノクトを責められない。
けれど、そもそも爆弾を仕掛けなければこんな騒ぎにはならなかったはずで。
「こんな目にあったのも全部そこにいるテロリストせいだぞ」
手当てを終えたクルーツォは冷ややかな目をノクトに向ける。ノクトが妙な動きをしようものならその前に仕留めるつもり満々だ。
これは僕が怪我をしたせいだろうか。
それとも町がこんなになってしまったせいだろうか。
修理を終えていざ戻ってきたら町がこんなことになっているのだから、さぞ驚いたことだろう。
「町の爆発も。監視カメラにお前の行動は全部映っている。言い逃れはできない」
そしてどうやらノクトの悪行は筒抜けになっているらしい。
「あー……ええと」
未だレトには遭遇しない。
が、よく考えれば爆弾はレトが僕たちの邪魔をしないように――騒ぎの処理で手一杯になるように――と仕掛けたもの。
爆発が起きると思っていなかったレトと、木化が始まると思っていなかったノクト。
それが運悪く同時期に重なって起きてしまったがために町が崩れはじめた部分もあるわけで……もしそうならレトが僕らの前に現れる余裕など、(当初の予想どおりに)あるはずがない。
「違う。俺が壊して回ったのはこの町のネットワークにレトを閉じ込めるためで、無差別テロに走ったわけじゃない。奴が商店街の何処かにいることは間違いないんだ。だから、」
「理解不能だ」
しかしクルーツォはにべもない。
そうだろう。何だかんだと理由をつけてもノクトが爆弾を仕掛けたことに変わりはない。
「そんなことをして何になる。人間だけでは生きていけないからレトを作ったのだろう? ネットワークを破壊すればレトが監視できなくなる、ってだけじゃない。病院の生命維持も、商品の在庫管理も、電気も水道も、お前たちの生存すら把握できなくなると言うことだ。それがどういう意味かわかるか? 着の身着のまま町の外に放り出されたようなものだぞ? お前は自分で自分の首を絞めて、」
「わあ、待って待って!」
僕は今にもノクトに飛びかかりそうなクルーツォを抑えながら、今までに起きたこととノクトから説明されたことを並べる。
僕たちが生命の花の元かもしれないこと。
レトが生命の花の力を使って世界を回復させようとしていること。
そしてこの世界そのものが能登大地が作ったゲーム世界であること。
クルーツォは僕の話を黙って聞いていた。
けれど。
「お前……そもそもそいつがお前を誑かしているとは思わないのか?」
「いや、ゲーム世界とか僕も嘘だと思ったけど、でも」
案の定、信じてくれない。
それどころか先ほど以上にノクトを敵と見なしてしまった。
以前、疫病のワクチンが必要なんだと話した時に彼を見た時の目をしている。
きっと今も、ノクトが妙なことを吹き込んだと思っている。
「……確かにこの世界は既に最終局面を迎えている」
しかし意外にも、クルーツォはノクトの話に一定の理解のようなものを見せた。
”子供だましのホラ話”の中に偶然にも合致した部分があったのかもしれない。
しかしこれは嘘を言わないアンドロイドだから正しい部分は正しいと言ったまでで、決してノクトを信じたわけではない。
「ゲームとやらは知らないが、その話のとおりならそこのテロリストはいずれ元の世界に戻るのだろう? 異世界でも新天地でも何処へなりとも行けばいい。だがマーレは駄目だ」
「なんでだよ! こいつは、此処にいたって、」
「マーレはレトに、この世界に必要だからだ」
ああ。レトが僕のことを『必要』だと言ったのは、は本当に言葉どおりの意味だったのか。
秘密を知ったから口封じとか、脅し目的で口にしたわけでなく。
大怪我をした僕がそれでもファータ・モンドに行く必要はないと言われた時、レトが未来を担う者と見なしているのは痣持ちだけなのだと思った。
痣のない僕は期待されていない。口先だけでは何とも言える。”レトの学徒”は単に便利屋でしかないと……それ以来の僕は何処かでレトを突き放してしまっていた。
けれど。
けれど本当は、レトは今でも僕が必要で。
「戻りたければひとりで戻れ。創造主だか何だか知らんが、これ以上我々に関与するな」
「だから! 戻るにはレトを倒さなきゃいけないし、倒すにはそいつが要るんだよ!」
ノクトはレトを倒せば元の世界に戻れると言った。僕も連れて行けると言った。
でもそれは消滅する世界から脱出するという、言わばゲームエンドのルートのひとつ。壊れるはずの世界が残るルートもあるのなら話は違って来る。
「倒す必要はない。世界が回復した後でレトは自然消滅する。既にその時は近付いている」
迷う僕を後押しするように、クルーツォはノクトの訴えを一蹴する。
「あと1日もかからない」
以前ノクトが言っていた、この町の人々が木化した分の生命の花で世界を回復するだけの量になると、そう言うことなのだろうか。
僕は森と化してしまった町に目を向ける。
これからあれらの木は花を咲かせる。その花で全てが終わるのか?
だとしたら。
「じゃあ俺がやろうとしていることは」
「大きなお世話、と言うやつだ。お前が暴れまわったりしなければ平穏にその時が迎えられた。お前のせいでこの町の皆は味わう必要のない恐怖を味わう羽目になった」
世界が回復したらレトが消滅するロジックは知らなかったけれど、確定事項になっているのならわざわざ倒しに行く必要もない。
ノクトが僕に固執するのもイベントトリガーとしての役割だから、倒さなくてもいいのなら一緒にいる必要もない。
「だいたい、本当にマーレのことを考えているのなら、わざわざ危険が待ち構えているところに連れて行くか? 行かないだろう。お前は自分のためにマーレを利用しようとしている。それだけだ」
「お前らだって利用してるようなもんじゃねぇか!」
「していない。レトと戦う必要はない、と先ほどから言っているが聞こえなかったか?」
もしかしたらノクトはノクトなりにこの世界に来た意味を探していたのかもしれない。
偶然この世界が作っていたゲームの世界に似ていたというだけで、ヴィヴィやチャルマが死んだのを自分のせいだと思って、責任を感じたのかもしれない。
ラスボスの倒し方を知っているのは自分だけ。
エンディングを知っているのも自分だけ。
その後に、この世界から脱出する方法を知っているのも自分だけ。だから。
でも人工知能に支配された世界なんてSFでは定番だ。
言い換えれば誰でも思いつきそうな未来図で、実現できそうな未来。此処が”能登大地が作った”世界だという確証は何処にもない。
そして、僕は。
「ノクト、」
「何だよ! お前までこいつを信じるのか!? 自分たちは人間じゃないんだ、木にされるんだって泣いてたのはお前だろ!」
「そうだよ。向こうの世界に行っても、僕は木になってしまうかもしれない。此処には抑制剤があるけど、向こうにはないんだ」
「だけど、俺が此処に来てこんな頭と体になったみたいに、お前だって変わるかもしれないだろ!? いや、変わる。向こうの世界なら木になんかならない。絶対に」
喚くノクトを遮るように、クルーツォは僕の前に出る。
そして改めてノクトに向き合う。
「こんなところで喋っている暇はない。黙ってもらう」
片足を下げて軽く腰を落としたかと思うや否や、クルーツォはノクトの襟首を掴み、上空に放り投げた。落ちて来たところで腹に拳を打ち込む。
続いて右足を軸にして蹴りを繰り出す。その足は側頭部にクリーンヒットし、ノクトは受け身も取れないまま反対側の壁に叩きつけられた。
生身の相手でも手練れならそれなりに威力があるだろうところを、クルーツォはアンドロイドだ。
腕も足も機械。つまりは凶器を使って打ちのめしているようなもの。
さらにクルーツォは、一方的な攻撃に息をつくこともできずにいるノクトの右腕を掴むと捻り上げた。
これはノクトを敵と見なしたレトの指示によるものか。
それとも、子供じみた妄想で日常を破壊されたクルーツォの怒りか。
「う、あああああああああっ!!」
「待って! 僕、クルーツォと行くから! だから!」
僕の制止とノクトの絶叫のどちらが早かっただろう。
ボキリ、と嫌な音がしてノクトの腕があらぬ方向に曲がった。
倒れ伏したままのノクトの袖をまくり、薬を塗り、添え木をして包帯を巻く。
添え木と言ってもマルヴォが使っていたパイプ状の凶器だ。他に棒状のものがないから仕方ない。
「……クレアが言ったんだ。植物の生える環境を整えてある程度まで育てて、それからなら荒野でも生き延びることができるって。この町を飲み込んだ森はきっと枯れない。少しずつ、少しずつ広がって、何時かこの世界を緑で覆うくらいになるんだ。だから、」
「行ってどうなるんだ。いいようにレトに使われるだけだろう?」
「レトには僕が必要なんだって」
「俺だって、」
「レトを倒さなくていいのなら僕はいらないでしょ?」
ノクトは縋るような目で僕を見上げる。力の入らない右手を伸ばす。
「きみには感謝してる。斜め上にばっかり行くけど、この騒ぎも僕のことを考えてやってくれたことだって思う。でも、きみは元の世界はあまり好きじゃないみたいだけど、やっぱりきみが生きるのは向こうの世界で、」
「違う! 俺は此処で生きることにしたって言ったろ? エンディングを迎えた後にどうなるかは誰も知らない。世界そのものが消えるのかもしれない。だけど俺なら、」
「まだ創造主のつもりでいるの? 此処はゲームの世界なんかじゃない。僕らの……能登大地以外の僕らの世界だ」
僕は自分のセルエタを首から外し、その手に握らせる。
これは僕の分身。期せずして交換したみたいになってしまったけれど、探してくれとか一緒にいようとか、そんな子供じみた約束は微塵も……。
「……元気で」
僕の代わりに向こうの世界に連れて行ってくれれば、なんて、ちょっとだけ。
「済んだのか」
「うん」
ノクトに別れを告げ、ずっと待っていたクルーツォに駆け寄る。
ノクトの視線がずっと僕を追っているのを感じる。
「行こう」
雨は小降りになってきたものの、それでもまだ止む気配がない。
ゾゾ、と重いものが蠢く音に1度だけ振り返ると、雨ざらしになったマルヴォたちの背から艶やかな葉を持った枝が伸びていた。
ものの数分で彼らも大木になるのだろう。
ノクトは屋根の下に置いて来たけれど……木の陰になってしまって、もうわからない。




