6月・7
明るい陽射しが射し込む、いかにも外界な景色が広がっているかと思いきや、扉の外は暗かった。
道幅は狭く、陽も射さず、貧民街と言わんばかりの狭い路地。
その路地を挟むようにして立つ両側の壁の、点在する穴は窓のつもりだろうか。
陽が射し込まないから大きく取っても意味がないのか、ほぼ全てが顔の大きさ程度しかなく、その全てに申し訳程度のすり硝子が嵌め込まれている。
何気なく目を向けた窓に人の顔らしきものを見、僕は思わずノクトの腕にしがみついた。
「どうした!?」
「人! 人がいた!」
ラ・エリツィーノは学園都市。人間は学生しかおらず、その全てが寮生活をしている。
だとすればあの窓に映った顔はアンドロイドだろうか。彼らならどれだけ劣悪な環境でも生きていけるし。
そう思い直して、再び人の顔があった窓を見る。
が、誰もいない。
「ああ……いるかもしれないな。このあたりは犯罪者を収容しておく場所らしいから」
僕の指さした窓を目を細めて見たノクトは、そんなことを呟く。
「脱走した奴とか。ほら、マルヴォみたいに何処かに連行されて帰って来ない奴がいるだろ? そういうのを集めておく場所」
「更生施設?」
「更生してたかどうかは知らん。俺らがいた町はこの上だ。行くぞ」
「え、ちょっと待って」
クリスマスの時のマルヴォのように、規律を乱した学生は何処かに連れて行かれる。
町の何処かあるという更生施設で反省している、と言われているが、戻って来た者がひとりもいないのでその場所も内容も定かではない。
あまりにも見つからないので、その施設は町の外にあるのではないかとまで言われていたけれど……まさか町が二重構造になっていたとは。
「……此処が、」
凶悪事件を起こした奴を閉じ込めておく場所なら、この小さすぎる窓も扉のない壁も納得がいく。全ては脱走防止ということだ。
しかし何故ノクトはそんなことを知っているのだろう。
そして、何故僕はその説明を鵜呑みにしているのだろう。
何時の間にやら”この世界を作ったのは俺”説を信じている自分の順応力が恨めしい。
爆発音はまだ聞こえる。振動も続いている。
この上にいつもの町があるということは、この壁は事実上、上の町を支える支柱でもあるわけで……そこで爆発騒ぎが起きれば当然、支える側にも影響は出る。一ヵ所でも崩れれば、連鎖が連鎖を読んで全部がグシャッと潰れるかもしれない。
窓から確認しようにも上の町で起こっていることなどわからないだろう。
状況が掴めずに壁の中ではパニックになっているかもしれない。
「助けられないのかな」
マルヴォのような殺傷事件を起こした奴は困るけれども、町の外に出た程度で捕らえられたまま生き埋めになるのは忍びない。
そう思うのは、(幼馴染みの)ノクトも此処に収容されているかもしれない、という淡い期待のせいかもしれない。
アポティの言葉からすれば、いるはずがないのに。
「無理だ。此処をぶっ壊せば上層も崩れる」
「ほんのちょっと人が通れる程度の穴でいいんだ。ほら、砂山にトンネル掘っても山は崩れないでしょ? あれくらい」
ノクトは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、腰のベルトから何やら数本取り出し、壁際に並べた。
「おい! 壁の向こうにいたらちょっと離れろ!」
と言うや否やそれらに火を点け、踵を返す。
無言のまま僕の肩を掴み、引き摺るように数メートル離れた瞬間。
壁が爆発した。
「へ」
今の棒みたいなのが例の爆弾なのだろうか。
あんなものをノクトは何本も持ち歩いているのだろうか。
僕は思わずノクトの上着をペロンとめくり――
「……痴漢とはいい度胸だな監督生」
「ち、違う!」
妙な疑惑を持たれたせいですぐに手を引っ込めてしまったけれど、確かにあった。それも1、2本なんて生温い数ではないものが。
ああ! 本当に失踪している間、何やってたんだノクトーー!!
「助けられるのはここまでだ。崩れるのが早まったから俺らも急いで脱出しないと」
そう言っている間にも壁に亀裂が走る。
先ほど開けた穴から人らしきものが這い出て来るのを視界に留める間もなく、僕らは路地を駆け出した。
ノクトに引っ張られるまま路地を抜けると、見慣れた町並みがあった。
いや、見慣れたという言い方には語弊がある。いつもの町が突然現れた森に飲まれてしまったような、そんな光景が広がっていた。
木が生えている。それも店の屋根を突き破っていたりとどう考えても生えるはずのない場所に。
そして爆発も続いている。
壁が吹き飛んだ後、窮屈そうに枝が飛び出してくる。
ノクトが仕掛けた爆弾のせいなのか、狭い屋内で行き場を失った枝の圧力で壁がもたなかったのか。
そしてこれだけあちこちで爆発が起き、木が溢れているのに、逃げる人の姿は何処にもない。
「何……これ……」
思わずそんな言葉が漏れたが、頭の中ではある光景が繰り返し回っている。
ヴィヴィが木になった時の光景が。
僕たちがこの世界に生を受けた理由が。
『僕たちは人類の末裔じゃない』から始まる、レトによる世界再生計画が。
これらの木は人間だ。
でも木化は痣の後で発症するものだし、チャルマが栄養剤の過剰投与で痣を発現させたように、成長しなければ現れることはない。
だが最終学年だけが木化したと言うには数が多すぎる。
それを証明するのは校舎の奥に見えるとりわけ鬱蒼と茂る森。彼処は揺りかごのあった場所だ。
僕たち最終学年がこの時分に揺りかごに赴くことはないから、あの森の木は彼処で育てられていた幼児と言うことになる。
逃げることができなかったから、あれだけ密に生えているとも言える。
「マーレ! ノクト! 早く逃げなさい!」
突然かけられた声に振り返ると、小さな子供の手を引いたフランが通りの向こうにいた。
あの子供たちは初等部だろうか。寮生ではない気がするが、寮母の彼女が自分の寮の寮生以外の子供を抱えているなんて……他の皆はどうしたのだろう。
「フラン! みんなは」
「逃げられる子は逃げたわ! 此処は危ないからあなたたちも、」
そんな声は爆発音に掻き消えた。
もうもうと巻き上がった煙が引いた後には深い地割れがあるのみで、フランも子供たちの姿もなかった。
「フラン!?」
「駄目だ、こっち」
フランのいたほうに駆け寄ろうとした僕をノクトが引っ張る。
「何で!」
「あの地割れは越えられない。それに逃げろって言ったろ。逃げるなら町の外だ」
そう言ったって。
もしかしたら先ほどの爆発で、フランたちは何かの下敷きになっているかもしれない。
あの地割れに落ちて、それでも比較的浅いところで助けを待っているかもしれない。
第一、あの地割れ自体が僕が『壁を壊してくれ』と頼んだせいで発生したものかもしれない。
行けば助けられる。
まだ――。
「雨が降ってきた。向こうには行けない」
「どうして!」
「……ここ数日雨が降ったろ。あれに何か仕込んであったんだろうな。傘ささないで歩いてた奴が急に木になったのを見たぞ」
『ある程度の群生になるまで育ててから外に放つのなら、この雨も慈雨と呼べるのではなくて?』
クレアの声がよみがえる。
あの言葉の裏には今のこの惨状が描かれていたのだろうか。
しかし今いる子供たちを全て木に変えることにどんな意味がある? それもこんな無作為に。
目的があって木に変えようと言うのなら、まずは生やしたい場所に連れて行くなりするはずだ。僕も含め、大抵の学生はレトの指示には従う。疑いもせずに。
なのに町がこれほどまでに壊れてしまっては、新たに子供を生み育てるどころか、日常生活すら成り立たない。
「どうして、」
雨が降りしきる。
フランがいた場所に細い枝が見える。彼女が連れていた初等部の子供たちだろうか。
「もうこの町は必要ないってことだろう」
「ノクトがところ構わずぶっ壊したからじゃないの!?」
「人工知能の使命は世界を元の姿に戻すことだ。俺のシナリオじゃ手段はまだ考えてるところだったけど、この世界のレトはそれを人間の命で補えるって知ったんだろうな。今此処にいる人間を木に変えた分で予定量に――世界を回復させる量に達するんだろう」
そうなのか?
ノクトは自分の罪を隠すためにそう言っているだけじゃないのか?
ノクトが爆弾を仕込まなければ。
ノクトのせいで町が崩壊したんじゃないのか!?
「だけどそれで世界が回復したところで、誰もいなくなったら意味なくない!?」
「他の町にいるじゃねぇか。ファータ・モンドとか、俺らの知らないだけで他にも」
「ファータ……モンド……」
レトはAI。機械は人間を守り、従うためにいる。
無論、レトに限っては人間に盲目的に服従しては秩序が保たれないから、主と見なす人間を罰する力も持たされている。
しかしその力は例えば脱走したり、他の学生に暴力を振るったり、そんな輩に向けるためのものだと思っていた。
レトは最初から僕らを人間と思っていなかったのか?
僕たちは何も知らないまま、ファータ・モンドや他の町の奴らを生かすために生贄にされると、そういうことなのか?
「生贄認定してたのは一般の学生だろう。自分の名前を付けた奴をただの餌にはしねぇよ。お前ら”レトの学徒”は回復した後の世界を担う……現代版のアダムとイブだな。その役割が待ってるのかもしれない。よかったな」
「茶化さないで。学徒じゃなくてもファータ・モンドに行った学生はいるし」
「木化要因としてな」
そうなのだろうか。
ヴィヴィの件以降、検査と称して多くの同級生が彼の地に向かったけれど、彼らはもういないのだろうか。
「それならフローロはどうなの!? レトは世界のために尽力してるって、」
「知っちゃいけないことを知った奴ってのは昔っから口を封じられるもんだ。それに……木化したって世界の役には立ってる。むしろ反乱して余計なことをしでかさないだけ、」
だとすると、僕も口を封じられる可能性のほうが高い気がするのだが。
そんな思いがよぎったと同時に、背後から伸びて来た手が物理的に僕の口を封じた。
「!!」
声にならない声にノクトが振り返る。
が、その時にはもう、僕は数メートル後方にまで引き摺られていた。
「マルヴォ!」
背後から僕を羽交い絞めにしているから顔を見ることはできないが、ノクトがそう言うならマルヴォなのだろう。
先ほど壁を壊したから出て来たのか。助けようなんて甘いことを思わなければ良かったのか。
ノクトがベルトに手を伸ばしかける。
だが、マルヴォのほうが早かった。
「動くな! 動くと、大事な幼馴染みにこれがぶっ刺さるぜ」
そんな声と共に、首に刺すような痛みが走った。
熱と、ぬるりとした感触が首を伝うのがわかる。
「そうそう。そこで大人しくしてりゃいいんだよ」
言いながらもマルヴォは僕を連れてジリジリと後退る。
人の気配に目だけで周囲を見回すと、薄汚れたボロ布のような服を纏った連中が数名、僕とマルヴォを囲んでいる。どうやらマルヴォの仲間らしい。
「何処へ連れて行く気だ」
「新天地だよ。俺たちには女がいるんだ」
女?
聞き慣れない言葉に、僕は捕まえられている状況も忘れて目を点にする。
ああ、そうだ。木化の話題ばかりですっかり忘れていたけれど、僕たちは性徴が来たら性別が分かれるはずだった。
でも僕はまだ性徴は来ていない。だから女性になると決まったわけではない。
性別が変わったとしても、女性は少ないと言われている。
だからマルヴォたちは自分たちが男になること前提で喋っているのだろう。彼らはずっと隔離されていたから、性徴の前に木化という高いハードルがあることを知らない。
けれど、この状況でそれを説明し始めたら刺される。きっと。
「俺たちは外に行く。お前だってそのつもりでこいつを連れてたんだろう?」
面食らったように動きを止めたノクトを嘲笑うようにマルヴォは続ける。
「ヴィヴィには劣るけどよ、こいつも絶対女になるって顔してるもんな。こいつは俺らが連れて行く。新天地で俺らの子供を産んでもらう。まぁ、産めなくても楽しませてはもらうけどな」
周囲のせせら嗤う声にゾッとする。
が、ちょっと待て! こいつら僕に何を期待してるんだ!? 主人公だからと寄せられる期待もアレだけれども、どいつもこいつも好き勝手なことを!!
しかし逃れようにもマルヴォの腕はびくともしない。
「動くな! お前はそのまま後ろに下がれ。もっと……もっとだ」
マルヴォはノクトを牽制し、後ろに下がらせる。
追いつかない距離まで離したら僕を連れて逃げるつもりだろう。
こういう時こそ僕がきっかけをつくらなければ。主人公だからと言うわけではないけれど、他に誰もいない。マルヴォも他の奴らもノクトを注視している今なら――。
僕は渾身の力を込めて、マルヴォの鳩尾に肘鉄を食らわせた。
「ぐあっ!」
少し目視を誤ったけれども、どちらにしろ心臓付近だ。問題ない。
腕の力が弛むと同時にそこから逃れる。
だが周囲の仲間たちのほうが早かった。そのひとりに腹を殴られ、もうひとりに頭を掴まれ、押さえ込まれる。
口の中に湿った土が入って気持ち悪い。
「くっそ! この、」
マルヴォが何か叫んで腕を振り上げた。
手にしているのは僕の首に当てていた凶器だろうか。先が尖っている。
あれが刺さったら痛いだろうな、なんてことをぼんやりと思う。
ノクトが駆け込んで来るのが見える。
走りながら腰に手をやり、例の爆弾を取り。
こちらに向けて投げるつもりだろうか。『命に代えても守る』って言ったくせに、確実に僕を殺しにきているのだけれども……。
だが、爆発はおきなかった。
おきなかったけれども、僕を押さえていたであろう奴が前方に吹っ飛んだのが見えた。
拘束が解け、上体を起こそうとした僕の鼻先を、今度は腹を殴った奴が転がる。続けて他の仲間ふたりが同じように倒れ、
「ひぃぎゅあああああああ!!!!」
何とも形容し難いマルヴォの悲鳴と、ボキともグシャともつかない音が鳴った。
ドサリと投げ捨てられる音に目を向けると、肉塊と化したマルヴォが転がっていた。
ノクトの仕業じゃない。
彼は前にいる。爆弾を手にしたまま呆気に取られている。
それじゃこれは一体……。
僕は恐る恐る背後を振り返った。
「……クルーツォ……!」
そこに立っていたのは、数ヵ月は帰って来ないはずのクルーツォ、その人だった。




