6月・4
「この町に勤めて5,692,075,200秒。私はずっと子供たちを見守ってきたの」
クレアは図書館を見回す。何時来ても閑散としている此処は、今日も僕たち以外誰もいない。
けれど僕が生まれるよりずっと前から此処には多くの子供たちが訪れていたことも、クレアが彼らを迎え、見送ってきたことも確かだ。
「私はこの町を巣立ったあの子たちは皆、幸せになっていると思っていた」
幸せ、ではないのか?
僕は黙ったままクレアを窺う。
「でもね、違ったの。そして1週間後、また私の大事な子供たちは、」
1週間後は旅立ちの日。僕たちがファータ・モンドに行く日だ。
彼女の言う『大事な子供たち』とは十中八九僕たち卒業生のことを指している。
ファータ・モンドに行くことが不幸なのか?
確かに彼の地で僕たちは大人として生きなければならない。
今までは子供だから、と免除されてきた勤労の義務もあるだろう。学校の勉強だけしていればいい此処とは全く違うだろう。
でも。
「ファータ・モンドに行くと不幸になるの?」
此処ではファータ・モンドの情報は何ひとつ入って来ない。
けれどクレアはアンドロイド。彼女の見知った情報がレトを通じて全てのアンドロイドと共有できるように、彼の地の情報もクレアなら――いや、きっとアポティやクルーツォも――知ることができる。知って、その上で僕たちには黙っている。
ファータ・モンドには何がある?
クレアに『子供たちを行かせるに忍びない』と思わせるほどのことがなされているのか?
もしかしてフローロはそのことまで知って、だから逃げろと言ったのか?
「ファータ・モンドには何があるの? 不幸になるの」
「……さあ、どうかしら」
しかし肝心なところになるとクレアははっきりしない。
「幸せか不幸せかは自分で決めることだわ。世界のために尽力すること、自分の人生を費やすこと。それが幸せだと思うのなら幸せなのでしょう」
「それって暗にフローロの夢は叶わないから不幸だって言ってない?」
フローロの夢は海を復活させること。
けれど、いくら彼が優秀な学生だったからと言っても彼の代では無理だ。その意思を僕が受け継いだとしても、それでもきっと叶わない。
けれど指1本携わっていないクレアが不幸だなんて判断していいことではない。
現にレトは評価している。
彼の地に行ってまだ1年、絶対にめぼしい成果なんて挙げていないだろうのに、彼女は『フローロは世界のために尽力している』と言ってくれている。
「ともかく、これが最後なの。ねぇ、マーレ。フローロから聞いたでしょう?」
「何を」
「ファータ・モンドに行ったら駄目だって。今なら此処を抜け出せる。私はあの子からそれを託され、うっ」
言葉の途中でクレアは苦鳴を上げると、頭を抱えてうずくまった。
「クレア!?」
クレアはあの手紙の内容まで知っていたのか?
フローロは僕(とそれ以外にあの手紙を読む可能性がある後輩)をファータ・モンドに行かせないように、クレアに託したと言うのか?
でもどうして?
どうやって?
木化という時限爆弾を抱えて、レトの庇護を逃れて外に出て、それでどうなる? 出たところで導いてくれる者はいない。
アポティから貰った予防薬の効果はせいぜい半日~数日。
バスに乗ってファータ・モンドに行って、彼の地で新たな住処と伴侶をあてがわれ、新たな道を提示され、荷造りを解き、新しい生活に落ち着くまでの間だ。
それを過ぎたら、あとは木化が何時来るのかビクビク怯えるしかない。新たな薬が開発されたところで入手する手段を持たず、できたことを知ることもなく。
木化がはじまったからって切り倒されることはないだろうけれど、人間に戻ることもできないで。
「……この町は……地下通路が、あって」
「そこから逃げろって?」
フローロは木化を免れているし、イグニもいる。
「手に手を取って逃避行」でも「愛があればお金なんて」でも何でもすればいいけれど、僕に同じことはできない。
なのにその”免れている”フローロは、ファータ・モンドで今日も楽しく研究に明け暮れている。自分だけレトの恩恵を享受しておいて僕には出ていけだなんて、矛盾もいいところじゃないか。
フローロが妙なことを吹き込んでいったせいでクレアは苦しんでいる。
此処から逃げる手助けをするなんてレトに反する行為だ。一時的にアーカイブを切るだけでもアポティは支障が出ているようだったのに、クレアはこのことを丸1年レトに隠し続けた。どんな影響が出ているかなんて想像するまでもない。
「クレア、いいから。フローロが言ったことなんて全部忘れて! フローロは手紙にも残してくれたし、今ので何となく把握できたし」
地下通路をどう通れば外に出られるかなんて知らない。
でも逃げるつもりがないのなら、そんな情報は必要ない。
それよりもクレアだ。彼女が子供たちを大事に思っていることを逆手に取って、『子供たちが不幸になる』と吹き込んで。
フローロは何がしたいんだ?
何が目的で――
「……フローロはいい子だったわ」
頭を抱えてうずくまっていたクレアは、ふいにそう呟くと身を起こした。
僕に向かって手を差し出し、パラリ、とその手をゆるめる。
落ちるようにして現れたのは花枠のついたセルエタ。1年前の旅立ちの日にイグニが首からぶら下げていたそれは、本来はフローロのものだった。
しかし何故それをクレアが持っている?
フローロのセルエタがあれば彼と再会することができる。ファータ・モンドでか、落ち延びた外の世界でかは不明だが、彼は再び僕と会うつもりで……その意味でクレアにセルエタを託していったのならわからなくもない。
けれどそのセルエタはイグニが持っていた。持って、バスに乗った。
前述のとおりフローロが僕に探し出してもらうつもりだったのなら、最初からイグニに渡したりはしない。
クレアはイグニから奪ったのか?
フローロは本当に、ファータ・モンドで元気にしているのか?
「マーレは何処まで知ってしまったの?」
クレアの笑みが何処かうすら寒く感じる。
僕は後退った。
先ほどまでのクレアじゃない。このクレアは本当に味方なのか?
何故気がつかなかったのだろう。
フローロの気付きは、僕が出した推測は、レトにとっても都合が悪いということに。
レトは何時でも僕を見張っていたのに。
何時でも、クレアを乗っ取ることができるのに。
考えてみれば引っかかる点はいくつもあった。
『――お友達を何度も同じ形で失うのは心のない私でも酷だと思ってしまうからね』
アポティの言葉。あの文脈はクルーツォの言葉の『人間の形をしたもの』にかかっているように聞こえた。
「何度も」。
「同じ形で」。
僕がその言葉どおりに失った友人はヴィヴィとチャルマだ。ふたりとも木化して死んでしまった。だから『人間の形をしていないもの』は木化して亡くなったことを指すはずだ。
町の外でクルーツォが見たのは……ヴィヴィのように”木に変わってしまった人間のなれの果て”。
レトは『安全に発症できるようにする』と言った。
僕はそれを木化を抑制すること、あわよくば痣が出ても木化しないようにすることだと思っていたけれど、本当にそうだろうか。
安全に……周囲に被害を及ぼさないように”確実に”木化させるという意味には取れないだろうか。
『そこである程度の群生になるまで育ててから外に放つのなら』
僕は見た。ヴィヴィの背を突き破って木が生える様を。
まるで発芽だった。ヴィヴィという種を割って、新芽が伸び、根を張り、成長する。種が役目を終えて朽ち果てても、木は自力で光合成をして栄養を蓄え、さらに成長していく。
もしレトが欲しかったのが、”種”ではなくて”木”だったとしたら。
『この町にも植物は多いわ』
街路樹もある。花壇もある。外界に比べれば植物の量は確かに多い。
でもクレアが指した”植物”はそれだけではない。
僕らは本当に、”人類”の突然変異なのか。
この疑問は、ノクトに植物呼ばわりされたことが未だに尾を引いているからなのかもしれない。
でも実際問題、前文明の人間は光合成をしない。いくら突然変異だからって指の間に水掻きができるのとはわけが違う。
僕たちは前文明の人々の末裔なんかじゃない。
突然変異でもない。
作為的に作られた、人間に似せた”植物”。もしくは限りなく植物に近い、人間の形をした何か。
そして僕たちは、この世界を元の緑豊かな世界に変えるために使われる。
この考えは間違っているだろうか。
フローロが伝えようとしたこととは違うだろうか。貸し出しコードの中に並んでいた植物に関する本は”ただの趣味”なんかじゃなくて、むしろそちらが本命で。
『ファータ・モンドに行ってからフローロに何かあるかもしれない。可能なら来年、ファータ・モンドで手を貸してほしい。僕を探して、追って来てほしい』
イグニはそうチャルマに言い残した。
そのイグニが身につけていたフローロのセルエタは、今クレアの手中にある。
もしかしなくてもイグニとフローロは既に”何かあっ”たのかもしれない。
『フローロは世界のために尽力している』とは、海を復活させるための研究に明け暮れているという意味ではなくて、本当に”世界のために”使われてしまったのかもしれない。
僕はどんな病気にも効果がある花の存在を知っている。
生命の花、とは、僕たちが木化した後に咲かせる花のことを指しているのではないか? だからファータ・モンドの近くで……毎年、卒業生が送り込まれるファータ・モンドの近くで群生しているのではないか?
あれはその名のとおり、僕たちの命を糧に咲いた花。
大量に集まれば、この世界を回復させる力になる。
『――ってことはさ、あの花をたくさん育てれば海を復活させることも可能なのかな』
そう。かつて生命の頂点に立ってこの世界を食い物にした”人間”と同じ形をしたモノを食って、この世界は復活する。
だからフローロは言ったんだ。
「逃げて」と。
「な……何を知ったかって言えば海の成分とか成り立ちとか、そんなことかな。僕はフローロと一緒に海の研究がしたくて参考資料を漁ってたんだもの。おかげでフローロが目指してた分野の目処は立ったよ」
僕は手を伸ばして鞄と証書筒を手繰り寄せ、それからクレアの手のセルエタに目を向ける。
まるで人質みたいに頼りなく揺れるセルエタは、できることなら奪取したかったけれど無理だろう。非力な女性に見えても彼女はアンドロイド。身体能力は僕よりずっと上だ。
「そろそろ寮の門限が心配だから帰るね」
嘯いてみたけれど何処まで通用するだろう。知ったことが海についてだけだなんて絶対に信じていない。それに僕は把握したと言っている。
このまま殺されるか、捕まえられて頭の中を掻き回された果てに木にされるか。
下手に動けば逃げることはまずできない。現に、
「そう。知ってしまったのね」
クレアは死神が鎌を持って歩み寄るように、ゆっくりと近付いて来る。
近寄られた分だけ僕は間合いを開ける。
開けても詰められる。
このまま進退を繰り返していれば、僕は図書館の最奥にまで追い詰められる。
「何故逃げるの? もしかして私が何かすると思ってる?」
彼女の顔には酷笑ともとれる凄惨な笑みが貼りついている。
子供を不幸にしたくないと苦しんでいた彼女は、もう此処にはいない。
どうやって逃げたらいい?
外に通じる扉はクレアの後方にしかない。
ロングスカートに踵の高いブーツといういで立ちのクレアは走ることには不慣れなはずだ。机の間を縫って走れば撒けるだろうか。
「いらっしゃい、私のかわいい子供。あなたは私に必要なの」
クレアは手を差し出す。
でもこれはクレアじゃない。
レトだ。
クレアは「私の子供」なんて言わない。
「……フローロと同じように」
クレアの目の奥がチカリ、チカリ、と瞬く。
フランの時と同じだ。この目を見ていると何も考えられなくなって、隠していることも全部喋ってしまいそうになって。
僕はクレアの目から視線を逸らす。
しかし初手遅れを避けるためには完全に見ないわけにもいかない。
視界のギリギリ端で彼女の目が瞬く。
見ないように気を付けるつもりが、余計に注視してしまう。
「フローロに、何をしたの?」
レトは僕が必要なんじゃない。
此処で知ったことを他の学生に吹聴して回らないように……計画を潰されないように口封じしたいだけだ。フローロと同じように。
その時、中庭で何かが光った。
何? と確かめる間もなく光が弾け、木々が木っ端みじんに散った。
硝子が割れ、爆風が吹き込む。
その風は中庭を背にしていたクレアを硝子ごと吹き飛ばした。
※ 5,692,075,200秒は180年6ヵ月12時間です。




