5月・3(☆)
ノクトが顔を見せたのは、僕が目を覚ましてからさらに1週間ほど経った後だった。
さすがにそのあたりまで来ると僕も平常運転に戻って登校もしていたのだけれども、ノクトの姿は何処にもなく。引っ越し先とされる寮の部屋もずっと留守だったから、最初は拒否したものの気が変わって検査に行ったのだろうと思っていた。
「元気そうだな」
ノクトは目を細めて僕の頭をワシャワシャと搔き乱す。
あれだけ鬱陶しかったその行為に安心感すら抱いてしまうなんて、僕も随分と絆されたものだ。
それにしても前文明では何かにつけて他人の髪を掻き乱すものなのか?
ヴィヴィは髪をサラサラ艶々に保つことに異常な執念を抱いていたけれど、ノクトの妹が本当にヴィヴィに似ているのなら嫌がられるどころか顔面グーパンチは必至。
他人ごと、しかも過去に存在した人々のことながら、彼の兄妹仲が心配になる。
「ちゃんと栄養とって、ちゃんと寝てる?」
「ああ」
「変な本読んだり、変なこと検索したりしてない?」
「……お前は俺を何だと思ってるんだ」
フランも通常業務に戻り、ノクトが別室にいる理由もなくなった。
けれど彼は戻って来ない。
来月には卒業だし、今更引っ越し直すのも手間だと言うのだ。
二人部屋はプライバシーなどないも同然だし、自称・引き籠りの身には僕が想像する以上のストレスが溜まっていたのかもしれない。
まして気心が知れていると思っているのは僕だけで、彼からすれば僕は、幼馴染みでも何でもない、数ヵ月前に出会ったばかりの他人。
それも入れ違いに行方不明になった幼馴染みの件を隠すために利用しようとする、敵か味方かと問われれば”何時敵に寝返ってもおかしくない、味方面した第三者”と言う……とても信用などできそうにない立ち位置の相手と相部屋に戻るなんて嫌に決まっている。
「ごめんな」
髪をぐっちゃぐちゃに混ぜて満足したのか、ノクトはそう言うと頭を下げた。
「何が?」
僕の頭をこんなにしたことか?
部屋に戻って来ないことをか?
それとも自分が部屋を移動すれば僕がフランとふたりきりになると知った上で、移動を優先したことか?
「何って、ヴィヴィがあんなことになって」
しかしそのどちらでもなかった。
僕は小さく溜息を吐く。
ノクトにとっての僕はあくまでレト側の人間なのだから、部屋を移動したことに罪悪感を持つはずがない。
「ノクトのせいじゃないでしょ」
「いや、ええと……俺、見てるだけでお前のこと助けられなかったし」
見ているだけと言うけれど、いきなり人間が木になって枝を伸ばして来たら、恐怖で動けなくなるのが普通だ。
自分が動けなかった時に、助けに入った者がいて。
自分が五体満足なのに、助けに入った者は腕と足を失って。
我が身かわいさに何もしなかった卑怯者、と思われているであろうことへの弁明のつもりかもしれないが、運動神経がいいわけでもないノクトに最初から期待などしていない。
それに。
僕のためにノクトが怪我されても困る。
クルーツォみたいに手足を失うことになったり、まして命を落としでもしたらなおのこと。
「ワクチンの件は考え直しだね」
これ以上しなくてもいい反省を並べられても困るので、僕は話題を変える。
頼みの綱だったクルーツォがいなくなったことで計画は白紙に戻ってしまった。
『0番花なら効果があるかもしれない』という言葉だけが残っているが、運よくそれを手に入れたところで僕たちではワクチンを作ることなどできない。
もともと能登大地が元の世界に戻ること前提の計画だから、その前提が確立されていない時点で白紙も何もないのだけれど。
「俺はこの世界で生きて行くって決めたんだ。それでいい」
ノクトは最初から乗り気ではなかったから、これ幸いと思っているだろう。
”引き籠りの30歳”と自称する時点で、向こうの世界であまりいい思いをしてこなかったのが垣間見れるし、もしそうなら『皆のためにワクチンを持って戻ろう!』なんて提案は大きなお世話以外の何ものでもない。
「本当に?」
「そう言っただろ? それに、前の世界でも聖人の生まれ変わりだとか、前世の記憶がある子供とかって話はいくつも聞いたけど、誰ひとり前世に干渉なんてできなかったんだ。俺がこの世界に来たのは戻るためじゃなくて、此処で新たな人生を歩むことだったんだ。うん」
ワクチンを持って帰らないことで人類が死滅してしまったらこの世界も消える、と思っていたけれど、クルーツォが言っていたようにそれは他人の役目で。
ノクトには何の使命もなくて。
初めて見る”転生者”に勇者だの救世主だのと言った厨二設定を期待していたのは僕だけで。
僕は。
良いことをしている自分を演じたかっただけ、かもしれなくて。
「ま、その話は置いといて。動けるならちょっと出かけないか?」
黙り込んだ僕をどう思ったのか、ノクトはやって来たばかりの廊下を指さす。
「何処へ」
「ほら、夏に行った……」
「……水族館?」
「そう。今、無料開放してるんだってさ」
僕らがノクトを引っ張り出すために海水浴に誘ったように、外出すれば僕の気が晴れると思ったのだろうか。
けれど『無料だから行こう』なんて誘い方、相手によってはその程度の価値しかないのかと気を悪くするものだし、そうでなくともオフシーズンの水族館なんて閑古鳥の巣窟。
『疫病が流行った時に水生生物の多くが死滅してしまった。あの場所にいるのは似せて作られた偽物だ』、『生き残った生物の細胞を培養技術で増やしたクローンしかいない』なんて噂がまことしやかに流れる中で、行きたいと思う学生などいやしない。
僕たちが水族館に求めるのは海水浴ができる場所のみ。
ノクトはそれを知らない。
海水浴の時は展示館内には入らなかったし、彼が知る前文明の水族館は、気が晴らせる場所と考えて真っ先に思いつくような楽しい場所だったのかもしれない。
「そうだね」
でも彼といられるのもあと2ヵ月。
水族館には申し訳ないが、数少ない思い出のひとつになってやるのも僕の役割かもしれない。
ファータ・モンドに行ってしまえば(その前に行けるかどうかも定かではないけれど)、僕たちがルームメイトとして共に暮らすことはきっとない。
夏が近付いてきているせいか、空は少しだけピンクがかった色をしている。
前文明の頃の空は青かったと聞いているが、その時も季節によって空の色は違っていたらしい。
冬は薄く溶かしたような青。
夏ははっきりと彩度の高い青。
そう考えると、彩度の高い青と町の外を覆っている薄茶をパレットの上で混ぜ合わせれば今日の空みたいな色ができる気がする。
そのピンクがかった空を、何かが通り過ぎた。
「……あれ?」
遠いからはっきりしなかったが、片手で持てるほどの大きさだったように思える。
「鳥じゃねぇのか?」
「鳥?」
僕の視線にノクトが同じように空を見上げる。
あっさり『鳥』と言い当てたのは彼の記憶によるものなのだろう。この世界に鳥はいない。
いないのだ。
では、あれは……?
「鳥ぃ!?」
「どうした!?」
いきなり声を上げた僕に、ノクトが怯む。
「だって鳥って。もうずっと前に絶滅したんじゃなかったの!?」
「そうなのか?」
「そうだよ!」
能登大地にとっては見慣れ過ぎて何も感じないのだろうけれど、これって歴史に残る発見だったりしないのか!?
何故鳥が。
何処かで生きていたのだろうか。
早くレトに知らせないと……!
僕はセルエタの撮影機能を呼び出し、空に向ける。
が、その頃にはもう鳥影は何処にもなかった。
「……いない」
「また見られるだろ」
「そんな簡単に言うけどね、今まで鳥も魚も、」
「水族館みたいにどっかの町で培養だか繁殖だかしてるのかもしれねぇだろ? 海もないのに魚作ることに比べれば、鳥も動物も陸生だから生活環境はあるわけだし、そっちのほうが楽かもしれん」
そう説くノクトにも一理ある。
海はないけれど、空と陸はある。もし魚の復活に成功したところで彼らは狭い水槽で生きるしかないけれど、鳥は空を舞えるし、動物は陸を駆けることができる。
ただあの 環境 がネックだけれども……実際に飛んでいる姿を見れば、それすら乗り越えた種が現れたのだと信じても罰は当たらない。
「ノクトは本物の魚も見たことがあるんだよね?」
興奮冷めやらぬままに尋ねてしまって、はた、と我に返る。
本物のノクトなら僕と同じ生粋のピーポだから、本物の魚を見たことなどあるはずがない。
僕は彼をノクトではない――転生者・能登大地であることを前提にして喋っている。
本人は”ノクト”になろうとしているのに、僕がその足を引っ張っている。
鳥ではないかと予想するのはその形を本で見たからだという逃げ道があるけれど、『本物の魚を見たことがあるんだよね?』は完全にこの世界の住人に向けての質問ではない。
ノクトもそれをわかっているのか、返事をしない。
ああ、まただ。
たまに親しく寄って来るから錯覚してしまうけれど、ノクトにとっての僕は決して味方ではない。
こうして誘い出したのも、フランからどんな接触があったかを聞きだすためでしかない。
「……魚、好き?」
気を取り直して僕は問いを変える。
今度は無難だ。この世界でも通用する。
無料開放しているとは言え、興味がなければ見に行こうとは思わない。
ヴィヴィなんて海水浴にはあんなに乗り気のくせに、水族館そのものは『水が腐った臭いがする』と嫌悪を隠しもしなかった。
それに比べれば無料とは言えわざわざ足を運ぶのだから、嫌いではないだろう。この世界の水族館に失望しなければいいのだが。
「そうだな。刺身は好きだな」
「サシミ?」
「生魚の切り身だ。トロっていうマグロが脂が乗って美味い」
「美味い、」
だがしかし、予想外の返答に面食らう。
能登大地は前文明の人だから魚と言えば食べる物という認識のはずだし、そう考えればおかしくはないのだが、『ノクトとして生きて行く』と言った矢先にその返事はどうなの? と思わなくもない。
第一、他の生き物の肉を食べたことのない僕には『美味い』と言われてもまるで想像できない。
そう言えば以前、彼は『夏は焼肉をする』と言っていた。
彼の思い出にはいつも肉類を口にする光景があった。
「魚が食べられないと寂しい?」
「んー、そうでもないな。なんせ食べなくても良くなったから食欲が湧かない」
「そう言うもの?」
食べ物を、固形物を口にしてみれば僕もノクトの気持ちがわかるのだろうか。
僕は舌で歯の裏側から歯列をなぞってみる。
飲み込んだら胃を壊すかもしれないけれど、味を感じるくらいなら僕にもまだ残っているはず……そう思いかけて、止まる。
生き物の肉なんて食べられるわけがない。
だって僕は。
「……何時か、僕にも食べる機会があるかな」
「ああ、食おうな。焼肉も刺身も」
絶対に叶うことのない望みと、絶対に果たされることのない約束。
それをさも実現可能な体で交わすのは、上っ面の友情ごっこに慣れた僕たちには似合いの会話だ。
そんなことを考えてしまうのは、僕も何時木化するかわからない――ノクトの目から見た僕は”植物の化け物”でしかないのだと、そう思うからだろう。
生き物の肉なんて食べられるわけがない。
だって僕は、植物なんだから。
「本物見たら、どっか行った食欲も帰って来るだろうしな」
ノクトは鳥のいた空を見上げて呟く。
此処で生きて行く、と腹を括ったらしき台詞は吐いたけれど、戻れるものなら戻りたいに違いない。
此処では何も食べられないし、”人間”もいない。




