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6月のオラシオン  作者: なっつ
6月のオラシオン
42/55

5月・1(☆)


 僕はドーム型の天井が付いた円形の部屋にいる。

 壁も天井も白いその部屋はプールのように薬液で満たされ、そのプールを見下ろす形で、壁に沿って通路が(しつら)えてある。

 僕が立っているのはその通路。すれ違うのがやっとの幅と腰までの高さしかない柵は、足を滑らせれば容易に転落してしまいうだろう。


 プールの中央に据え置かれた機械は止まっている。

 左右から伸びたアームのせいで巨大なロボットが胡坐(あぐら)をかいたまま眠っているようにも見える。

 あたり一面に漂う生臭さは薬液の(にお)いだろうか。睡魔を誘う。



「――此処(ここ)は命が生まれる場所。この(にお)いは命の(にお)いだよ。だから眠くなるんだ」


 かけられた声に横を見ると、手摺(てす)りに(もた)れるようにしてフローロがいる。


「命?」

「そう。母なる海の。母なる体の。命を宿し育むための。此処(ここ)はそういう場所」


 そうだ。此処(ここ)揺りかご(乳幼児保育施設)

 僕たちが生まれた場所。

 僕たちは此処(ここ)で生まれ、薬液の中で3年間育てられ、それから幼稚舎に入る。

 その期間の記憶は残っていないけれど、この培養液の(にお)いは覚えている。


 でも何故(なぜ)僕はこんなところに。

 この町から出て行ったはずのフローロが何故(なぜ)此処(ここ)に。


「どうして、」

「僕が此処(ここ)にいるのか、って? 夢だからだよマーレ」

「……そんな簡単にカミングアウトしなくても」


 フローロは笑う。

 その笑い声は思い出の中の彼そのものだ。



 手摺りにもたれて、フローロはプールを見ている。

 彼の目にはこの黄色い薬液も青い海に映るのだろうか、なんてふと思う。


「マーレって海、って意味なんだってね。素敵な名前だ。命を育む(みなもと)の名前だよ」


 この言葉は覚えている。

 10年前、初等部に入って彼に出会った際、彼の口から最初に出た言葉だ。


「フローロは、どうして海を再生させたいの?」

「そうだね……果てのない青が見たいから、かもしれない」

「果てのない青?」

「そう。水族館の中庭にある水溜りじゃなくってね、ずっと遠くまで広がる本物の海が見たい。知ってる? 命は海から生まれたんだ」


 これは夢。僕の頭が記憶と想像を練り混ぜて作った、都合のいい夢。

 僕が作ったフローロに何を尋ねたところで、僕が知り得る範囲以外を答えることはない。答えてほしいと願う答え以外を口にすることもない。

 けれど。


「ねぇフローロ、」


 僕はフローロに会って、聞かなければいけないことがある。

 あの手紙はどういう意味なのか。

 イグニが言い残したことは真実なのか。

 フローロは何を知って、何をしようとしているのか。

 レトは僕らの味方では――

 


 しかしフローロは首を振った。


「自分で作った都合のいい夢だってことまでわかってて、それを聞こうとするかなぁ」

「そう、なんだけど」


 わかってはいるのだ。このフローロに尋ねたところで答えなど出ないということは。

 (うつむ)く僕を、フローロの腕が包む。


「僕は海を再生させたいし、そのためにはきみの力が()ると思ってる。でも、きみ自身はどう? もし僕への義理のためにやりたくもない道に進もうとしているのならそんな義理蹴っ飛ばして、自分の思うほうに進んでいいんだ。これはきみの命で、きみの人生なんだから」



 ゴボリ、とくぐもった音に目を開ければ、あたりは液体で満たされていて。

 僕もフローロもその中で漂っていて。


「力が及ばなかったことを悔やむ必要なんてない。それはきみが()すことではなかったってだけだよ。何時(いつ)か、きみにしかできないことが来る。だから、ほら」


 これはあの薬液だろうか。でも色が違う。

 (はる)か頭上で揺蕩(たゆた)うその色は――青。


 挿絵(By みてみん)


「行って」


 声がして、背を押された。

 体が浮き上がる。揺蕩(たゆた)う青に引っ張られるように。


「きみがどんな選択をしても、僕は恨んだりしない。だから、」

「フローロ!」


 首を曲げて下を見るも、彼の姿は何処(どこ)にもない。


 でも確かに押された。

 フローロは、いや無意識下の僕は、()が”別の道”を進むことを望んでいるのか……?



              挿絵(By みてみん)



 ヴィヴィが目の前で燃えた日から1週間、僕は目を覚まさなかったらしい。

 その間にヴィヴィであった木は根こそぎ取り除かれ、寮の部屋に残されていた私物も片付けられ。ヴィヴィとチャルマがいた痕跡は今や何処(どこ)にもない。


 しかしあの事件は炎が高く上がったせいで目撃者も多かった。

 人の口に戸は立てられず、瞬く間に学校中の学生が知るところとなった。

 人が木に変わったなんて荒唐無稽(こうとうむけい)な話も、実際に目にすれば(うそ)だと(わら)う者もいない。もしかすると自分も木に変わるのではないか、という恐怖が学生たちの間で広がり、特にヴィヴィと接触のあった取り巻き連中は青くなったと聞く。


 その原因のひとつには、レトの『ヴィヴィは特殊な病気だった』と言うアナウンスもあったらしい。

 『特殊な病気だから皆は木にならない。感染もしない。だから安心して』と言いたかったのだろうけれど、それで『はいそうですか』と納得するには絵面(えづら)が厳しすぎた。


 感染していなくとも希望者は入院して検査を受けられるとしたのも、そんな学生たちの不安を払拭(ふっしょく)するためだろう。

 そのせいでただでさえ少ない人数がさらに減り、僕たち最終学年は半数どころか3分の1にまで減ってしまったけれど。



 腕と足を失ったクルーツォは、修理のためにファータ・モンドに移送された。

 ラ・エリツィーノにはアンドロイドを修理するための設備がない。手足を丸ごと付け替えるとなるとファータ・モンドに行くしかないそうだ。

 初期型はコストがかかるから新たな腕など作れない、と廃棄処分にされるかもしれなかったことを思えば、2度と会うことが叶わないかもしれなくても良かったと思うべきなのだろう。


 叶わないかも(・・)しれない、という曖昧(あいまい)な言い方をしたのは、アポティの、


『向こうで会えるんじゃないのかい?』


 と言う台詞(セリフ)のせいだ。

 クルーツォを運んで行く時、ノクトにそう言い残したらしい。


 そこから察するにクルーツォの修理には2ヵ月以上かかる。

 2ヵ月後には僕たちは卒業してしまうから、確かに再会するならファータ・モンドで、だろう。


 ただ、性徴(せいちょう)が現れた後の僕を、クルーツォは僕と認識してくれるかが心配だ。

 人間同士ですらセルエタを頼らなければ見つけ合うことができないと言うのに。



 余談だが、薬師(くすし)が不在になったことで、この町で使う薬は全てファータ・モンドから取り寄せることになったそうだ。

 以前クルーツォも言っていたが、向こうではカプセルに凝縮する技術が発達している。(かさ)も重さも瓶入りの薬剤より小さく、軽くなるから運びやすい、とアポティは笑っていたけれど……クルーツォの不在を喜ばれているようで納得しきれない。



 カプセルと言えば。


『――レトの学徒に預けた栄養剤は飲んだか?』


 思えば、あの栄養剤はファータ・モンドから届けられたものだ。

 受け取ったあの時、『成分表示上は今までのものと同じだ』とクルーツォは言っていた。けれど実際には生命(いのち)の花の分量が多かったらしい。

 とるに足らないどころか希少な成分が多めに入っているなんてラッキー、と思ってしまいそうなことだけれども……その表示ミスはわざとか? 本当にラッキーで済むことだったのか?

 

 もしあの(あざ)が栄養剤の、生命(いのち)の花の過剰摂取のせいなら。

 ヴィヴィの変化もそれが原因だとしたら。




「木化に巻き込まれたあなたは誰よりも精神に傷を()っています。肉体の傷が治っても心の傷はそう簡単には()えません。回復に更なる時間がかかるでしょう」


 僕が目を覚ました日、フランはそう言った。

 彼女は僕が眠っている間もずっと(そば)についていたらしい。

 寮の仕事もあるだろうのに僕ひとりを構っていてもいいのだろうかと思ったが、それだけ目を離すと危ない状況だったのかもしれない。



「入院したほうがいいってこと?」

「いえ。そこまでの必要はない、とレトは考えます」


 チャルマやヴィードの対応からして、何かあれば即ファータ・モンドに送られると思っていたから、目が覚めた時にまだ学生寮にいることが意外だった。

 しかもレトは()の地に行く必要はないと判断している。


 そう言うものだろうか。

 意識のない間に見知らぬ地に送られなかったのは幸いだけれども、1週間も意識のない僕を看病するためにフランが付きっきりになるのなら入院させるのが得策ではないのだろうか。

 この1週間、僕ひとりのためにフランの業務が(とどこお)っている。

 言い換えれば僕ひとりのために、寮生全員が何かしらの迷惑を(こうむ)っている。

 なのに僕にはファータ・モンドに行く資格がないのだろうか。




 部屋にノクトはいない。

 フランが此処(ここ)にいるなら、と一時的に空き部屋のひとつに移動したらしい。


 確かに二人部屋に3人は狭い。

 フランはベッドを使わないだろうけれど、座られているだけでも可動域は狭くなる。それにアンドロイドとは言え女性のいる部屋で着替えるのは健康的な男子学生には抵抗がある。

 でも真の理由は違うだろう。

 3人のうちの1人はレトの目の代わり。同室でいる限り言動を監視されることは間違いない。

 だから何よりも”フランから離れること”を選んだのだ。


 彼もヴィヴィの惨事を目の当たりにしたわけだし、しかもヴィヴィは彼の妹に激似だと言うし、”精神に傷を負う”のなら彼のほうが余程(よほど)そうだろう。

 しかし彼はカウンセリングも入院治療も不要だと()退()けたらしい。

 妹のことは僕しか知らない。

 レトは彼が受けた傷を正しく把握できてはいないだろう。

 だから彼の言い分をそのまま飲んだのだろうけれど……本当にひとりで大丈夫だろうか。

 レトのカウンセリングを受けたくないのはわかるけれど。




「怖い夢を見ていたでしょう? うなされていました」


 目を覚ましてからもずっと考え込んでいる僕に、フランは甲斐甲斐しく世話を焼く。

 柔らかい笑顔は幼い頃から接して来た”姉”そのもの。

 それが彼女の内なる感情から来たものではないとわかっていても、本当に僕のことを心配して、目を覚ましたことを喜んでくれているように見える。


「怖くなんかなかったよ。ずっと夢の中にいたかったくらい」


 怖くなんかなかった。

 あのフローロが本当に僕が作った幻想でしかなくても、それでもよかった。

 フローロが無事でいるのか、それすらわからない現実よりも、隣で笑っていてくれる夢のほうが余程(よほど)



「……ヴィヴィがあんなことになったのですものね」


 フランは同情するように目を伏せる。

 彼女は僕が夢のほうがいいと思う理由を、あの惨劇のせいだと……精神に傷を()ったからだと思っている。



 ヴィヴィが木化したあの日。

 (ヴィヴィ)がずっと僕の腕を(つか)んで離さなかったのは、一緒に木化すればいいと思ったからだろうか。

 ひとりで得体の知れないモノに変わるのが怖かったからだろうか。


 そんな(ヴィヴィ)は結局、クルーツォを道連れに選んで()ってしまった。

 フローロは『力が及ばなかったのは僕がすることではなかったからだ』と言ったけれど、僕は、ヴィヴィやクルーツォを助け出す力が欲しかった。

 

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