4月・4
息せき切って駆けて来たヴィヴィは、僕の肩にもたれ掛かった。
先に言っておくと甘えているわけではない。リレーでバトンを渡した後の選手に駆け寄って両脇から支える人……の役目を僕に選んだだけだ。
その証拠に目はクルーツォに向いている。
「車があるのに薬局にいないし、そしたら薬局のオジサンが商店街に行ったって教えてくれてさ。なのに商店街に行ったら今度はレトの学徒がクルーツォっぽい人に抱きかかえられて何処か行ったって言うじゃない? ねぇ、何あの噂。どういうシチュなの?」
随分と親しげ、いや、ヴィヴィは親しくなれば誰にでもこんな感じだ。相手がクルーツォだからじゃない。
そう思う傍ら、ヴィヴィは僕と違って調合室に入ることを許された間柄だし、なんてヒネくれた思いも首をもたげる。
一体どんな経緯でクルーツォはヴィヴィを調合室に入れたのだろう。僕なんて第三者に聞かせる内容の話ではない、と察してくれながらもこんな場所なのに。
「って言うか、帰って来てるならそう言ってよー」
「わざわざ教えることでもないが」
クルーツォが塩対応なのが救いだ。
これでヴィードたちのように彼氏面だったりしたら、居たたまれなくて逃げ出して、余計に変な空気を残してしまっていただろう。
「すまない。残り1,080秒を切った。時間切れだ」
「え? 何?」
「ごめんヴィヴィ。戻らないといけない時間なんだって」
クルーツォは今、薬の蒸留をしている。
今だってその隙間時間を縫ったもの。僕自身、話し足りないけれど、最初からそう言う約束で時間を貰っているのだから無理は言えない。
薬の蒸留というものがどれほど大事な工程なのかは素人の僕にはわからないけれど、それでも帰さなければその薬は駄目になるわけで。
そうなれば、材料の採取から新たに始めなければならなくなるのは明白で。
「じゃ一緒に行く。話したいことがあるんだ」
しかしヴィヴィは食い下がる。
やっと会えたのに話す間もなく帰ると言われては仕方のない反応かもしれない。
けれど何故簡単に「一緒に行く」という選択肢が出て来るのだろう。そんなに親しいのだろうか。
「駄目だ」
クルーツォは素っ気ない。
「駄目だ」と一蹴するのは僕が見ているからではないと信じたい。
「どうしてさ! 僕には今日しかないのに!」
「今日しか、って?」
僕は腕に貼りついたままのヴィヴィに目を向ける。クルーツォも、そしてずっと黙って話を聞いているばかりだったノクトも眉をひそめてヴィヴィを見ている。
ヴィヴィはその視線を避けるように、僕の腕を強く握り締めたまま俯いた。
「僕……明日、ファータ・モンドに行くんだ」
沈黙が流れる。
僕たちは卒業した後、大人の町ファータ・モンドに行く。
しかし卒業を待たずに去る同級生がいる。本来ならファータ・モンドに行ってから現れる性徴が早めに出てしまった者たちだ。
でも明日とは。
今までなら1週間前後は猶予があった。少ないながらも荷物をまとめ、友人たちと別れを惜しむ時間があった。
なのに明日だなんて、まるで突然姿を消してしまったチャルマと同じ……。
「……急だね」
「だろ!? おかしいよ。だって僕はまだ性徴なんか来てないんだよ? なのに」
実際に体に変化が出る前に、レトにしかわからない兆しでもあるのだろうか。
でも宣告を受けていない僕にはその”兆し”がわからない。だから何とも言えない。
「なのに……………………痣が」
そう言うとヴィヴィは髪を掻き上げた。
いつもは髪で隠れている襟足に、チャルマよりもひとまわり大きな痣が見えた。
南国風の花にも見えるそれは、やはり描いたように鮮明で、自然に浮かび上がってきたと言うには違和感が拭えない。
「何時」
「昨日の夜……かな。それで今日の昼に通知が来て、明日って」
”海”に行った時は痣なんてなかった。ツインテールにしていたから間違いない。
チャルマに痣が出た時も、もし出ていたなら自らカミングアウトしただろう。ヴィヴィ自身『女になる予兆ではないか』と言っていたくらいだし。
「ねぇクルーツォ、この痣なに? 前に性徴とは関係ないって言ってたよね?」
病院からの帰り道、クルーツォは性徴で痣が出ることはない、と言い切った。
それは実際、途中退場することなく卒業してこの町を去ったフローロに痣があった、というチャルマの話からも裏打ちされている。
まさか”レトの学徒”だったからファータ・モンド行きが免除になったわけではないだろう。
性徴が現れた学生を早めに彼の地に送るのは、子供社会の残酷な興味で彼らを傷つけることがないように、だ。将来を有望視された”レトの学徒”を渦中に放置するとは思えない。
「なら病気なの? チャルマみたいにずっと入院したままになるの?」
フローロを例にすれば、それも違うと言える。
痣は病気ではない。
「性徴も来てない僕がファータ・モンドに行かなきゃいけないって、行ったらどうなるの? ねぇ!」
「ヴィヴィ、まだ来てないだけだよ。1時間後、半日後には変化するかもしれない。セルエタで日々の体調管理されてるし、レトにはわかるんだよ」
「知ったかぶりしないで!」
ヴィヴィの腕を掴む力がさらに増す。
言いたいことはわからなくもない。現に痣の出たチャルマは『ファータ・モンドの病院に転院した』と言う理由を残して消息を絶ったのだから。
「……ヴィヴィ、秋頃、レトの学徒に預けた栄養剤は飲んだか?」
そんな中ずっと黙って話を聞いていたクルーツォは、なのに全く違う質問を口にした。
何故今、栄養剤の話を?
ヴィヴィの不安に気付かないはずないだろうのに。
「飲んだよ! それが何!?」
「いや。……そうか。どうも表示されていた成分より生命の花が多く使われていて、」
「だから何!」
どうにもクルーツォは自分よりも栄養剤に関心があるらしい、と察したのか、ヴィヴィの声が甲高く、攻撃的になって来る。
僕を掴んでいることも忘れているだろう。僕の腕は完全に怒りの吐き出し口にされていて……一旦弛めてもらわないと血の流れがせき止められて壊死しそうだ。
「ヴィヴィ、痛、」
「その痣は、そのせいかも――」
僕の抗議もクルーツォの言葉も、最後まで発せられることはなかった。
僕たちの目の前で、ボコボコと内側から何かが出て来るかのようにヴィヴィの背中が盛り上がる。
かと思うと、服を引き裂いて木が現れたのだ。
「……っ!?」
その木は尋常ではない早さで伸びていく。
メキメキと音を立てながら枝を伸ばし、根を張り。
細かったヴィヴィの体は膨らみ、節くれだった幹になるまで時間はかからなかった。しなやかな四肢はガサガサに乾いた茶色に変色し、そのところどころに服の切れ端が残ったままで。
恐怖に駆られたヴィヴィの顔が引きつった形のまま茶に染まる。
訴えていた口はポカンと開いたまま2度と塞がることもなく、ただ”人間ではないもの”に変容していく。
そしてその手は、まだ僕を掴んでいる。
引き剥がそうとして、一瞬、迷った。
何故こんなことになったかはわからないけれど、これはヴィヴィだ。変化に最も恐怖しているのはヴィヴィのはずだ。
なのにその手を振り払ってしまったら。
僕はヴィヴィを”木の化け物”と見なしたことになる。発せられている救いから目を背けたことになる。
そして迷ったその一瞬、ヴィヴィの手が木に変わった。
空に向かって伸び続ける木に合わせて、かつて腕だった枝も上へ上へと上がって行き……僕の腕もそれに引っ張られる。引っ張られて足が浮く。
目の前に迫る幹に顔のような節が見える。
両目が見開かれ、口は呪詛を紡ぐように歪み。
そう、これは人の顔。ヴィヴィの顔だ。
「あ……あああああああああ!!」
どうしてこんなことに。
ヴィヴィに何が。何が起きているんだ!?
「マーレ!!」
ノクトの声と、何かが叩きつけられるような音が聞こえた。
けれど振り返ることもできない。枝はまるで僕を飲み込もうとするかの如く膨れ上がる。首に、腰に新たな枝が伸びてくる。
「ヴィ……」
苦しい。痛い。意識が朦朧とする。
僕はこのままヴィヴィに飲み込まれて木の一部になってしまうのだろうか。
でもどうして。何故。これも――。
意識が途切れかけた時、ふいに視界が開けた。
腕に絡みついていた枝が弾けるように散る。
次いで首に巻きつきかかっていた細枝が消え。
腰に絡んだ枝1本で辛うじて引っかかっている状態では体重を支えきれなかったのか、ガクンという衝撃と共に僕は枝ごと地べたに叩きつけられた。
目を開ければ空を覆う枝。
裂けて白い生木が見える箇所は、僕を捕えていた枝が折れた痕だろうか。
其処にクルーツォがいる。
彼も僕同様、ヴィヴィを攻撃することに躊躇いがあるのか、自身に向かって四方から襲い掛かる枝を前に防戦一方……いや、防戦するしかないのだ。よく見れば片腕の肘から先が幹に飲み込まれている。
僕が助かったのは彼が枝を絶ってくれたからか。
そのせいで僕の代わりに捕まってしまったのか。
本当なら今頃、ああして飲み込まれるのは僕だったのだろうか。
攻撃できないクルーツォに縋るように――泣きながら縋るヴィヴィの姿が重なって見えて――枝が彼の身に、足に絡む。
幹に飲み込まれた腕が潰されていく音なのか、ギシギシと硬い音が響く。
駄目だ。
このままじゃクルーツォが――!!
「ヴィヴィ!!」
――パン! パァン!
僕の叫びに重なるように銃声がした。
クルーツォの腕が、そして足が。その銃声と共に砕け、彼は真っ逆さまに落下した。
「……蒸留の時間が過ぎているのに何時までも帰って来ないと思ったら、何だいこれは」
何時の間にかアポティが僕の横にいる。銃身の長い銃を手にしている。
彼がクルーツォを撃ったのだろうか。
確かに木に飲み込まれるばかりのところから救出するには、既に飲み込まれた部分を切り離すのが1番早いけれど。
そうしている間にも大勢のアンドロイドたちが木を取り囲み、枝を払っていく。
門の警備兵ばかりではない。カフェの制服など様々な服装をした彼らはクリスマスの暴動の時にマルヴォを捕えた人々と同様、”人間とこの町を守るために”集まり、”人間とこの町を脅かす”モノを排除しようとしている。
が。
「待って! その木は!」
その木はヴィヴィだ。”人間”だ。
切り倒されたら彼はどうなる?
アンドロイドなら壊れた箇所を付け直せばいいだけだけれども、人間は胴体を真っ二つにされたら生きていけない。
「ヴィヴィが、」
「自分もあの一部になっていたかもしれないって時に平和だねぇ、きみは」
駆け寄ろうとした僕はアポティに押さえられた。
薬局販売員の細腕――しかも片腕だけなのに身動きが取れない。
僕の目の前で木に火が放たれる。
生木は煙が出るばかりで燃えないと何時かの授業で習ったけれど、どうして、一気に火が回った。
高く燃え上がる炎の柱はあちこちから見えたらしく、何ごとかと学生が集まって来る。
アンドロイドたちが野次馬を抑えている。
ゴウゴウと鳴る音に混じって断末魔の悲鳴のようなものが聞こえたのは、ただの錯覚かもしれない。
けれど、僕にはヴィヴィが叫んでいるようにしか聞こえなくて。
「やめ……!」
アポティを振り切り、手を伸ばしたその先でヴィヴィだったものが倒れた。
火の粉が、砂塵のように舞い上がった。




