4月・1(☆)
「あらフローロ。今日はイグニと一緒なの?」
ノクトを連れて図書館を訪れると、カウンターにいたクレアが声をかけて来た。
やはり今日も彼女の周囲には操作ディスプレイが展開され、忙しそうにしている。しかし作業自体は前回此処を訪れた、僕に気がつかなかった時と同じようで……気がつく日と気がつかない日の違いがよくわからない。
彼女が僕をフローロと呼ぶのは、フローロの貸し出しコードを預けるための演技だと僕は思っていた。
しかしそうなるとノクトをイグニと呼び間違えるのは何故だろう。
それも演技なのか。
それとも本当に顔認識機能が壊れているのか。
出会った当初のワンテンポずれた対応があまりにも嘘臭さかったから、演技だと思い込んでしまったけれど、もしかするとあの反応の遅さは故障のせいかもしれない。
もし本当に顔の識別ができないのであれば、他に見分ける材料になるのは髪型か服装くらい。でも制服着用の学生ばかりの中、服装で見分けるのは無理がある。
だが残る髪型で、となるとそれも難しい。ましてノクトとイグニは髪型すら似ていない。
自分を名指しで会いに来る学生はフローロ。フローロと一緒にいる学生はイグニ、という認識なのだろうか。
司書に望む対応なんて学生からしてみれば誰でも同じだから、わざわざ指名したりはしない。言い換えれば「クレアを」と言って来る学生はほぼいないと言っていい。
フローロはそれを逆手に取って、「クレア」と名指しする学生はフローロ、と覚えさせてしまったのかもしれない。後でやって来るであろう後輩に自身の貸し出しコードを渡すために。
しかしイグニは。
共犯だと言うくらいなのだからフローロがイグニに信を置いていることは確かだ。学校や寮で一緒にいたことなどほとんど見たことがなかったけれど、此処では違ったのかもしれない。
「ねぇフローロ、」
クレアは先に書架に行ってしまったノクトの後ろ姿に目をやり、声をひそめた。
「学生時代のお友達は貴重なものだけれども、相手はもっと選ぶべきだと思うわ。あなたは”レトの学徒”でしょう?」
一緒に図書館に来る程度の仲で「相手はもっと選ぶべき」なんて苦言を呈されるはずがない。彼らが此処でどれだけ仲睦まじく過ごしていたかまで、その言葉から想像させられてしまう。
けれどアンドロイドの目(しかも壊れた目)を通しても、フローロとイグニは釣り合わないように――釣り合わない、と当人に言いたくなるほどに――見えるのか。
それでもフローロはイグニを遠ざけるどころか、信用に足ると思っていたのか。
”レトの学徒”の称号は万能ではない。
学生の中でも秀でているとレトに認められた5人、と言うことで一目は置かれるけれど、何をしても許される免罪符にはならない。
むしろ他の学生の規範になることを求められる足枷。
1年でたった1度、クリスマスと言う最も羽目を外しても許される日なら、とヴィードがヴィヴィを誘ったのもわかる気がする。
交友関係にまで”レトの学徒”に相応しい相手を求められる。強制される。
フローロもそれが嫌だったのかもしれない。……だからと言ってイグニを選ぶのはどうかと思うけれど。
「変な女だな」
席に戻ると、先に戻っていたノクトが不審そうに目を細めた。
「釣り合わない」と言われていたのが聞こえたのだろうか。正確には僕でもノクトでもなく、フローロとイグニのことを言っていたのだけれども、自分のほうをチラチラ見ながら声をひそめて言われる悪口は、人違いだとわかっていてもいい気はしないものだ。
「もしかしたらクレアも初期型なのかもしれない。壊れてる部分もあるみたいだし」
「初期型?」
「うん。アンドロイドが量産される前の型……らしい。性能はすごくいいんだよ」
「イングラムとエコノミーみたいなもんか」
「何それ」
アンドロイドは初期型、後期量産型で分けられる。
初期型が何年前に作られたかは定かではないが、修理に修理を重ねて生き延びさせたところでクレアの壊れっぷりを見るに、いい加減寿命だろう。
とは言え、初期型のスペックはかなり高い。顔認識機能が壊れた程度なら交換しないで使い続けたほうがいい、と判断されているのかもしれない。
それでもクレアのように屋内、いや町の中から動かないのなら量産型アンドロイド複数体で補うこともできるかもしれない。所謂「あの人は〇人分の働きをする」「あの人が抜けた穴には〇人必要だ」みたいな感じで。
だがクルーツォのように外に出る業務はどうなる?
あの砂嵐の世界は量産型では耐えられない。もし初期型が全て活動を停止したら、生命の花は……摘むのを止めるのだろうか。
「……クルーツォがどうにかなる前にワクチン作ってもらわないとね」
しかし今僕らが考えるべきことはワクチンだろう。
初期型だからと言って今日明日に壊れるわけではないが、しかし壊れないとも言えない。
先日ヴィヴィと「クルーツォが帰ってきたら」という話をしたけれど、帰って来ない可能性は今こうしている間もかなりの確率である。通せる話は早めに通して早めに手に入れなければ、永遠に入手できなくなるおそれがある。
けれど。
ノクトは顔を上げた。
何処か不満そうにも見える。
「なに?」
「いや。……この間からいろいろ考えてもらってて悪いけど、やっぱ俺、向こうの世界に戻るつもりないからさ。ワクチンは別にいいかな、って」
「でも、それじゃ」
「俺が持って帰らなくても人類はそこそこ生き残るよ。あれで結構しぶといんだ」
『人類が滅んじゃったら、この世界もなくなる』
ノクトを乗せるために言った言葉は、僕の中で予想以上に重く沈み込んでいる。
苦労してワクチンを手に入れて戻ったとしても、無駄骨で終わる可能性もある。いや、彼がそのあたりの神託を受けて此処に来たのではない以上、無駄骨の可能性は非常に高い。
けれど、もしその使命がノクトに課せられていたとしたら。
彼が動かなかったことで人類は滅び、数珠繋ぎにこの世界も、そして僕の存在も消える。
しかしノクトは首を縦には振らない。
「だって今、俺はワクチンを持って帰る前だけど、世界はこうしてあるし、人間も生きてるし。下手に持って帰ったら余計に未来が変わることにならないか?」
「でも」
昔は異世界転生と言えば勇者になって魔王(もしくはそれに該当する厄災をもたらすもの)を倒すまでがお決まりコースだった。
今までのノクトが口にしてきたホラ話も、勇者になって世界を救うばかりだった。
が、このノクトは違うのかもしれない。
転生モノの最近の流行りも、目的もなく飛ばされては気ままにスローライフに明け暮れたり、元の世界の知識を生かして店を出したりと第2の人生を楽しんでいる話が多いらしい。このノクトもそっち系なのかもしれない。
考えてみれば、30歳にもなって部屋に引き籠ってゲームを作っている時点でインドア派だ。「きみの行動が人々を救うよ!」と言われたところで奮起するタイプではない。
「まぁ、本当にワクチンができてそれを向こうの世界に持って行ける手段があるんなら、やったほうがいいのは確かなんだけどな。向こうの世界の連中にとっちゃ」
僕はどんな顔をしていたのだろう。
ノクトは気まずそうに笑う。
その笑みは星詠みの灯台でヴィヴィが見せたものによく似ていて……子供じみた我が儘を言われて困っているようで。
そうなのだろうか。
本当に持って帰らなくても大丈夫なのだろうか。
持って帰ったほうが逆に過去を改変することになるのだろうか。
この世界が消えることも、僕が消えることも、確かに僕ひとりの我が儘でしかない。
僕が消えたところで困るのは僕だけ。他の誰も、ノクトですらきっと僕が消えたら困るとは思っていない。
仮定の粋を出ない話でノクトを縛りつけ、無駄になる率の高い、且つ意に沿わないことをさせようとする僕は、自分勝手で汚い。
でも。
「飽きた。帰るぞ」
「え!? もう!?」
「もう、だ。そのクルーツォとやらにも話を通さないといけないなら、こんなところで本読んでる場合じゃないだろう?」
何かが癇に障ったのだろうか。「元の世界に戻る気はない」と言った口で、「クルーツォに話を通しに行く」と言うのは矛盾している。
ああ言ったけれど、やはり僕の意見を立てる気になったのか。
それともこの僅かな間に「ワクチンを手にするのです勇者よ」なんて神託が下りた……はずはないだろうけれど。
広げていた本を鞄に押し込んで図書館を出ていくノクトを見送りかけ、僕も慌てて借りたばかりの本を抱えて後を追う。
今日は喋ってばかりで全く勉強にならなかったから此処に残ってもよかったのだが、ノクトの性分からしてこのまま放置すると「何故追いかけて来ない」と理不尽に責めてくることは間違いない。




