2月・2
バスが貸し切りだっただけあって、病院も閑散としていた。
と言うより人影は全くない。
病棟のほうも他に入院患者はいないのかと思うほど静かだけれど、こうして病院全体が静まり返っていると場所が場所だけに生きて出られないような錯覚を覚える。
そんな時に限って看護用アンドロイドも出払っているのか、姿がない。
機器のものらしき電子音だけ聞こえるのが、忽然と人が消えてしまった後のような非日常を醸し出している。
「こういうのホラーゲームであるよね。で次に通る時にあの辺の壁に赤く手の跡が」
「そういうこと言うのなし」
「怖いんだ」
「……怖くないよ」
「安心しなって! お化けとか僕全然大丈夫だから!」
「あーそうだね、ヴィヴィなら勝てるね」
ヴィヴィがどう幽霊に強いのかは知らないけれど、陽キャに近付く幽霊なんていないだろう。そう言う意味では最強のパートナーかもしれない。
と言っても、此処はホラーゲームの中でもお化け屋敷でもないけれど。
「あ、本気にしてない」
「してるよ。ヴィヴィ、こう見えて結構男らしいとこあるもん。何かあったらよろしく」
そう言うとヴィヴィは複雑そうな顔をした。
常日頃、女性のような恰好をしているヴィヴィに”男らしい”は禁句だっただろうか。
けれどチャルマを庇う気質といい、判断の早さといい、ヴィヴィに何処となく”男らしい”頼もしさを感じているのは確かだ。
頼もしさや頼り甲斐は男だけのものではないと言われるかもしれないけれど、何と言えばいいのだろう。古き良き少年漫画の主人公のような。
しかしそれはあくまで僕の主観であって、ヴィヴィがどう思うかは別なわけで。
つい幼馴染みの無遠慮で思ったままに言ってしまったけれど……。
微妙な顔をしたまま黙り込んだヴィヴィをおそるおそる窺う。
と、ヴィヴィは大きく頷いた。
「だよねー! やっぱり僕って男になるよね!」
「え、あ?」
「皆、僕が女になるの期待してるし、女になったほうがこの先有利なのはわかってるんだけどさ。僕は男になる気がするんだよ」
「……そうなの?」
自分で言ったことだけれども意外だ。
と言うことは、男になる気でいるのに女の恰好をしている、と言うことになる。
まぁヴィヴィは海水浴の時にも『かわいい時にかわいい服を着て何が悪い』と豪語していたくらいだから、将来男になったらまず確実に着られなくなる女性ものを今のうちに着るつもりなだけかもしれないけれど……でもある意味神経が鋼鉄と言うか、猛者と言うか。
「でもマーレは女の子になるかも」
「何で!?」
「何となく。ほら、マーレってさ、何処か抜けてると言うか天然と言うか、放っておけない感じがするじゃない? 期待してる奴多いと思うよぉ? もし男だったとしても受けとか右側とか」
「受け?」
「あーーーー!! あーあーあー”レトの学徒様”は知らなくていい低俗なことです! うん、気にしないで!」
ヴィヴィは突然大声を出して話を遮った。
あはははは、と引きつった笑い声を立て、さっさと先に行ってしまう。
怪しすぎる。後で調べる必要がありそうだ。
僕はその後ろ姿に不審なものを覚えながらも後を追う。
くだらない雑談のおかげでホラーゲームからすっかり意識が離れたまま、僕らはチャルマの病室に着いた。
このあたりもやはり薄暗いけれど、そもそも看護アンドロイドなら灯りがなくても活動できるし、入院患者は部屋から出て来ないから廊下がどれだけ暗かろうと関係ない、とかで節電しているのかもしれない。
チャルマなら知っているだろうか。
後で聞いてみよう、と思いながらドアノブを回し――。
「……チャルマがいない」
病室はもぬけの殻だった。
ベッドは掛布団を剥がして整えられ、カーテンは端に揃えてまとめられ、掃除も既に終わっている。
どう見ても誰もいなくなってから数時間は経っている。
「え? 何? 退院?」
僕とヴィヴィは顔を見合わせる。
昨日までは確かにチャルマがいた。退院するとも部屋を変わるとも言っていなかったし、「また明日」という僕らに「またね」と返していた。
急に容態が悪化したのだろうか。
それとも、あれだけ元気だったのだ。退院が突然決まって、僕らと行き違ってしまっただけだろうか。
と、そんなことを考えた矢先。
「――チャルマさんは転院されました」
「え?」
急に背後から声をかけられ、僕らは振り返った。
何時部屋に入って来たのだろう。入口を塞ぐようにして看護アンドロイドが立っている。
フランのような若い女性型だが、銀色の髪と目と、何より表情のない顔が無機質さを感じさせる。
「転院って何処へ!?」
「ファータ・モンドへ。性徴が現れましたのでこの町にはいられなくなりました」
「それにしたって、」
唐突だ。
学校でも性徴を理由に姿を消す学生は日を追うごとに増えてきているが、昨日の今日で追い立てられることはない。
ファータ・モンドに行くにはバスを出さなければならないから、ある程度の人数を集めて出立させるのが常。旅立ちの日に比べれば人数が少ないからひっそり感はあるけれど、ひとりで行くことはまずない。
そしてバスは一昨日出たばかり。
昨日今日と新たに欠席した学生もいない今、性徴が現れたのはチャルマだけと推測できる。彼ののためだけにバスを出すなんてあり得ない。
入院患者だから特別なのだろうか。
一般学生とは別に――例えば救急車などで――出て行ったのだろうか。
「こちらはお返しします」
アンドロイドは重そうな紙袋を僕に押し付ける。
ノクトの本が無造作に詰め込まれている。ざっと上から見ただけでも表紙が折れ曲がっていたり、外された帯が隙間に押し込まれたりと、かなり雑な詰め込み方をしたことが見て取れる。
チャルマはこれらの本を『暗唱できるくらい読んだ』と言っていた。
リップサービスがかなり入っていて本当はそれほど興味のない内容だったかもしれない。
転院が急に決まって時間がなかったのかもしれない。
けれど、あのチャルマがノクトの本をこんな酷い状態で返すなんてあり得ない。
「用がなければお帰り下さい」
「用ならあるよ! ファータ・モンドの何て病院に行ったのさ! 結局何の病気だったの!?」
「答える義務はありません」
「名前くらい教えてくれたっていいじゃない! 何も此処を脱走して会いに行くなんて思わないよ! あと半年もすれば僕らだってファータ・モンドに行くんだし!」
「お帰り下さい」
食ってかかっているうちに何時の間にか看護アンドロイドの数が増えている。しかし数が増えても誰ひとりとして僕らの問いに答える者はいない。
それどころか、最初のアンドロイドの腕に縋りつくようにして問うヴィヴィを引き剥がそうと手を伸ばしてくる。
「待って! チャルマは、」
抵抗も空しく、僕らは病院から追い出された。
病院の正門前にあるバス停のベンチに腰掛けて、僕らはかなり長い時間無言だった。
目の前を3台のバスがやって来て、去って行った。
雪景色をオレンジ色に染めていた夕陽が建物の陰に消え、正面玄関のシャッターが下り、急患用入口の赤い看板以外の電気が消されてもまだ座り込んでいた。
『僕は……退院できるかわからないから』
先月、チャルマがそう言ったことを思い出す。
あれはどういう意味だったのだろう。てっきりイグニの嘘に感化されて薄幸のヒロインと化しているだけだと思っていた。
未知の病が進行して、ならともかく、まさか性徴が現れたなんて理由でいなくなるとは思ってもみなかった。
考えれば考えるほどおかしいことだらけだ。
ヴィヴィ曰く、チャルマは平均より身長が低いことを悩んでいた。確かにおせじにも体格がいいとは言えない。
育ちの悪い草は花が遅い。
実の成りも悪い。
そんな体の小さいチャルマが、僕らより先に性徴が来ることなどあるだろうか。
それに、前述したように昨日はファータ・モンド行きのバスは出ていない。
外出許可も出さない入院患者を、性徴程度で追い出すだろうか。完治してから送り出すのが筋、と思うのは甘えだろうか。
病院内は何処も監視され、不審者が入り込む隙などない。
看護アンドロイドたちの腕力が如何ほどのものかは、追い出された僕たちが誰よりもよく知っている。僕たちがあっさり現場に立ち入れたところから言って、連れ去られたり、襲われて命を落としたわけではない。
もしそうだったとしても、アンドロイドらが『ファータ・モンドに行った』と偽りを口にすることはない。彼らは人間に対し、嘘がつけないことになっている。レトが指示したのならともかく――。
そこまで考えて、ゾワリと背筋に冷たいものが走った。
まさか。
もしフローロの”やりたいこと”がレトに反旗を翻すことだったら。
ノクトが読み漁っていた厨二SFみたいに、レトこそが敵だったら。
「……まさか」
違う。そんなはずはない。
僕たちが生まれるずっと前からレトは人類のために世界を守ってきた。
フローロがレトに敵対する理由もない。レトは「フローロは世界のために尽力している」と言った。敵対していたらそんな言葉は出て来ない。
ああそうだ。あんな本を繰り返し読んでいるから、危険思想の持主だと思われてしまったのかもしれない。
ノクトは紙本なら繰り返し読もうが積読にしようがレトにはわからないと言っていたけれど、病室は1日中モニタリングされている。
ずっと人工知能と戦う話なんか読みふけっているから、精神鑑定を受けるために連れて行かれたのかもしれない。
鑑定でもし本当に危険だと判断されてしまえば、戻ってくることはない。
だからファータ・モンドの何処に行ったかまで教えてくれなかったのかもしれない。
ただ救いと言えるのは、チャルマはあれらの本を読んで日が浅いこと。
それに何より、レトに反旗を翻そうなんて思っていない。
レトもきっとわかってくれる。
「……何か……思いついた?」
打ちひしがれた顔でヴィヴィが僕を見る。
『”レトの学徒”なんだから何かいい方法を思いついてよ』と顔に書いてある。
「……ううん」
言えない。もしそうならレトは僕とヴィヴィも監視している。
チャルマが何も問題ないことがわかって開放されるまで、レトを疑うようなことは言えないし、考えてもいけない。
説明も何もなくチャルマを連れて行かれた分だけ、ヴィヴィはレトに反発しやすくなっているだろうから尚更だ。
「それより今は帰ることを考えよう」
町に戻るバスは既にない。
歩いて帰れる距離ではないから、タクシーを呼ぶしかないだろう。ふたりで割れば払えない額ではない。
「帰るの!?」
「此処にいたって凍死するだけだよ」
チャルマのことがはっきりするまで梃子でも動かない、とばかりのヴィヴィを他所に、僕はセルエタを起動させる。
僕だってこのまま帰ったのでは負けを認めたみたいで悔しいけれど、だからといって此処に座り込んでいたところで悪いようにしかならない。
「そんな、僕は、」
「――其処で何をしている」
ヴィヴィの反論に、第三者の声が被った。
見れば、少し離れたところで青年がひとり、無表情のまま僕たちを見ていた。
赤錆色のマントが、急患用の看板に照らされて深紅に染まっていた。




