7月・2
僕らは16歳を過ぎて性徴が現れるまで性別というものがない。
ほとんどの学生の一人称が”僕”なのも、三人称が”彼”なのも暫定的なもの。
遥か昔は”僕”も”彼”も男性に使うものだったらしいけれど、今は違う。
性徴が現れた後、僕らは初めて男性と女性に分かれる。
そこに自分の意思は介入できない。
そして運命だの赤い糸だのといった何の根拠もない直感ではなく、レトが膨大なデータに基づいて選び出した最も適した相手を伴侶とし、家庭を作る。
運に左右されることも、性格の不一致も、価値観の違いも起きない最良の相手と最良の家庭を作り、最良の人生を送る。それが今のシステムだ。
でも中には運命を重視する者もいる。「いつか王子様が」なんて思考はあまりに子供だけれども、子供だからこそ、そんな愚かさも至上に見えるのかもしれない。卒業する時期になるとセルエタ交換なるものが流行りだすのはこのためだ。
セルエタの機能のひとつである居場所特定機能――持ち主から離された時に持ち主の居場所を指し示す――を使えば、どれだけ姿が変わろうともセルエタ本来の持ち主と再び巡り合うことができる。つまり、レトが決めた相手ではなくその人を選ぶ約束の証。それがセルエタの交換だ。
けれど性徴が現れる前に将来の相手を決めるのはかなりの博打。
元々性別がないせいで僕らは中性的な顔立ち、体つきをしているのだけれども、それでもやはり個体差はある。
少女と見紛う顔と細い手足を持つ者もいれば、筋肉質で全体的にがっしりした印象を受ける者もいる。
前者の例としてはフローロ。
後者の例としてはイグニ。
しかしあくまで外見であって、内面までそうとは限らない。
例えば、噂ではイグニは無類のかわいいもの好きらしい。
けれどもその容姿から買い集めることを躊躇しているのだとか。
そこで考え出したのが「フローロに似合いそうだから」と言う言い訳だ。
あまりに頻繁に炸裂するせいで、周囲から半公式カップル認定されるほどになってしまった。
そのせいで、今更フローロのセルエタをイグニが持っていても誰も冷やかしすらしない。
けれども!
冗談ではない!!
フローロからは「イグニから贈り物なんて1度も貰ったことがない」と言質を取っている。
あれはイグニがフローロをダシに使っているだけ! なのに!
卒業して手が届かなくなる前に諸悪の根源を吊るし上げたいくらいだけれども……この件に関してはいくらでも脱線できてしまうから、このあたりで止めておく。
ともかく僕たちは今の姿のまま大人にはなれない。
極端な話、性徴が現れた後はまったく逆の見た目になってしまうこともある。
実際、セルエタを交換しておきながら、姿が変わったら好みではなかったと逃げてしまうケースもあると聞いている。
「そうやって誰彼構わず抱きつくのはやめないか? マーレも困ってる」
イグニは苦笑しながらフローロを諫めている。
このふたりはどうなのだろう。
言質は取ったが、よもやセルエタを交換するほど親しいとは知らなかった。
今でもフローロにその気はないように見えるけれど、「そうあってほしい」と思う僕の目が現実を歪めて映しているだけかもしれない。
「誰彼構わずじゃないし、マーレは困ってないよ。ねぇ」
「……ソウデスネ」
「ほら困ってる」
「困ってないって言ってるじゃない。イグニは目も耳もおかしい」
半公式だか何だか知らないけれど、そのせいでイグニが何かにつけて我が物顔で出てくるのには腹が立つ。
叶うことなら双方とも男、もしくは共に女になってしまえばいい、なんて思ってしまう程度に、僕はイグニが嫌いだ。
なのにこんなにベタベタとーー!
「フローロ、」
言いかけて、僕は声を詰まらせた。
何を言うつもりだ。
「正直に言ってイグニは嫌いです。フローロには釣り合わないと思っています」なんて告白、本人たちを前にして言えるわけがない。
しかし”レトの学徒”と呼ばれる最終学年で5人しか選ばれない監督生にもなったフローロに対し、イグニは寮長ではあるけれど、成績も中の中で目立つ特技もない。
「ちょい悪兄貴のようだ」と後輩の中に熱狂的な信者がいるだけだ。
在学中に付き合っていた相手も両手の指では足りないほどの”不誠実の権化”で、清廉なフローロの真逆を行く。それがイグニだ。
そうこき下ろす反面、僕が此処までイグニを嫌うのは、大好きな兄(もしくは姉)に恋人ができた時の弟が抱く幼い感情と同じなのだろう、とも思う。
「なぁに?」
「……何でもない。良き旅を」
だから「どうしてイグニなんだ」なんて聞けない。
僕はフローロを押しやる。
上手く笑えているだろうか。
心配性の彼がファータ・モンドに行ってまで案じることなどないくらいに。
「ファータ・モンドでまた会おう。絶対に。ノクトもヴィヴィもチャルマも、もちろんマーレもみんな僕の大事な弟分だよ。僕は、」
「もういいよ」
「マーレ」
「僕だってもう子供じゃない。フローロはこれから、イグニのことを1番に考えて生きていくんだ。そう決めたんでしょ?」
フローロは一時の熱情で将来を決めるような愚は冒さない。
性差が決まる前に相手を選ぶことがどれだけ早まった行いか。一般学生だって知っているそのことを、どんな手管で口説かれたとしても”レトの学徒”である彼が忘れるわけがない。
今のふわふわした綺麗な彼ではなくなって愛想を尽かされるかもしれないのに、今でもイグニは簡単に相手を変えるような奴なのに、それでも彼はイグニを選んだ。
イグニが将来を共に歩むに値すると判断したからだ。
そう思いたい。
思わなきゃ、今この胸の奥底でマグマのように沸き立っている感情に蓋をすることができない。
思っていることが伝わったのか、フローロはわずかに眉を下げる。
「イグニとはそんなんじゃないよ」
「いいって」
見せびらかすように首から下げているイグニとは逆に、フローロはイグニのセルエタを持っていない。けれどそれがフローロの言い分を肯定する証拠にはならない。
他の皆からやいのやいのと言われて、内ポケットにしまい込んでいるだけだろう。
「それにっ、ど、どうせ姿が変わってしまうから見つけられっこないし!」
姿の変わったフローロを唯一見つけ出せる手段を、彼はイグニに託した。
それがフローロの答え。外野が口を挟む権利なんてとうにないんだ。
「ねぇマーレ」
フローロは微かな笑みを僕に向ける。
「イグニはね、共犯なんだ。きみが思っているような間柄ではないけれど、でも、必要なんだよ」
「……共犯」
「そう、共犯。僕はファータ・モンドに行ってからやりたいことがあるんだ。それにイグニも協力してくれるからセルエタを預けてあるだけ」
やりたいこととは何だろう。
”伴侶を得て家庭を作る”以外に選択肢があるのだろうか。
「もしきみが将来の道を決めかねているのなら、僕を追って来てくれる?」
「え?」
フローロが僕を必要としてくれる。
それは嬉しいことだけれども、でも、共犯って何だろう。
どうしてはっきりと「これこれこういうこと」と教えてくれないのだろう。
「でも他に選ぶ道があるのなら、その道を行って。約束だよ」
そう言いながら小指を絡める仕草は何処となく子供っぽくて、それでいて何処か悲しげで。
「フローロはいったい何を、」
「追いかけたくなったら図書館のクレアを訪ねて」
なのにすることはと言えば準備万端すぎる。
何処までも僕に決定権があるような言い方をしておいて。
追いかけて来てほしいのなら、協力が要るのならそう言えばいいのに。
先を見越して用意して行ってくれるのがフローロなんだけれども、でも、僕は何時だってフローロの望むようにして来たのに。
「……そこまでお膳立てされたら追いかけるしかないじゃない」
「そうなの? そんなつもりはなかったんだけど。うん、本当に自分の好きなようにしてくれていいんだ。僕が頼んだからとかじゃなくて」
「わかってる」
将来なんて全く決めていなかったけれど、僕も来月には最終学年だ。
考えなければいけない時期はすぐそこまで来ていて、僕の選択はひとつしかない。
ふいに唸るような音を立ててセルエタが振動し始めた。
此処に集まっている全ての学生のセルエタが。
これはバスの発車5分前の合図。
乗り損なうわけにはいかない。
周囲の人混みも名残惜しげに卒業生と在校生とに分かれていく。
イグニがフローロの肩を叩き、軽く手を振ってバスに向かう。
その背を目で追い、それから改めてフローロは僕に向き直った。
「本当に。ファータ・モンドで会おうね。姿かたちがどう変わってもマーレはマーレだ。僕にはわかるよ」
イグニにもそう言われたのだろうか、フローロはフローロだと。
そんな口先だけでどうとでも取り繕えそうな軽い台詞を。
フローロはそれを共犯レベルの相方と受け取ったけれども果たしてイグニはどうだろう。
下心がないとは言えない。
協力すると言ったことだってフローロに取り入るつもりで――。
駄目だ。
それを言ったら彼が先ほど言葉に込めた想いをも否定することになる。
奥歯を噛み締めて否定を呑み込んだ僕に、フローロはただ微笑む。
その笑みはいつもよりずっと柔らかくて、それも全部イグニのせいなのかと思ったら……何だかちょっと悔しかった。