1月・3
前に見舞いに訪れた時と寸分違わず、チャルマはベッドの上で本を広げていた。
少しやつれたと思うのは、入院してから数ヵ月、良くも悪くも進展しないチャルマに変化を求めてしまったからだろうか。
それとも伸びた髪が顔の輪郭を覆っているせいで細く見えただけだろうか。
「ノクト! とマーレにヴィヴィも、久しぶり!」
ただ、声はいつものチャルマで。
予想通り真っ先に呼ぶのがノクトで、僕は思わずこみ上げた失笑を隠すためにノクトの陰に隠れてしまった。
「ほら、新しいの」
ヴィヴィや僕にはついぞ見せない笑顔で、ノクトは本を詰めた紙袋を渡している。
”目を三角にする”僕に遠慮したのか、自分が読まない本をピックアップしたのか、ハッピーエンドに終わりそうなファンタジー系が多い。
とは言えあのノクトの蔵書だから一癖も二癖もあるのだけれど。
「うわあ! 良かった、前に借りたのは全部読んじゃってさ。暗唱できそうだよー」
そんなチャルマが手にしているのは中二SFの中でも穏やかな部類に入る1冊。
暗唱できると言うくらいだから、何度も繰り返し読んだのだろう。
そう考えると、
『――何度読んだかまで知られるのが問題なんだ』
やはりあれらの本は紙でよかった。チャルマにあらぬ嫌疑がかけられては困る。
「で、こっちは見舞い。賞味期限あるから早めに飲めよ」
僕の手からドリンクの箱を取り上げ、ノクトは病室備え付けの小さな冷蔵庫の中に押し込む。
本当は僕らの分も入っていたけれど、ヴィヴィと合流して頭数が増えてしまったから開けるのはやめたらしい。
同じ味ばかり3本になってしまったが、毎日の病院食を考えれば、飽きる前に飲み干してしまうだろう。
「……って言うか、その頭のやつは何だ?」
詰め終わり、腰を伸ばすように立ち上がると、ノクトはまじまじとチャルマの顔を覗き込んだ。
その声に僕やヴィヴィもチャルマを見る。
ノクトが指摘したのはチャルマの眉間のあたりに浮かぶ四葉のような小さな模様だった。できたばかりのほくろみたいな色をしている。
痣と言うには形があまりにも綺麗に整いすぎていて、シールでも貼り付けたかのようだ。
「あ、気がついちゃった?」
チャルマは少し照れたように口元を歪めてその痣に手をやる。
「つくだろ普通」
「うん。僕もね、一昨日の朝、気がついたんだけど」
医師によると体に害を与えるものではないらしい。
だが本当にそうだろうか。痣自体は病気の兆候でもなんでもないけれど、ここまでデザインじみた痣となると偶然の産物とは言えない。
ノクトの蔵書にも、偉人の生まれ変わりだの勇者の印だので妙な形の痣を理由に挙げるものが多々ある。
むしろそちらを引用して「だから自分も」と言い出さないだけましではあるけれど……こんなものがいきなり浮かび上がって丸2日、未だに理由がはっきりしないなんてチャルマの主治医はかなりのヤブではないのだろうか、と失礼ながらそんなことを思ってしまう。
「俺の世界のビンディに似てるな。あっちはシールだが」
そしてノクトはこんなものにも見覚えがあるらしい。
「ビンディ?」
チャルマはタブレット端末を引き寄せ、早速検索を始める。
「ああ、あった。ええと、既婚女性が付ける印」
「既婚女性」
「うわあ! それってもしかして女の子になるって証拠かもしれなくない!?」
僕たちの会話に、今までおとなしくしていたヴィヴィが目を輝かせて割り込んで来た。
鞄から手鏡を取り出してチャルマに見せている。
「ほら、花みたいでかわいいし、絶対そうだよ!」
チャルマの額の痣とビンディは別物。女性になる証とは言えない。
それはわかっているのだけれど、痣の原因すらつかめていない状態で僕らが異を唱えたところで何になるだろう。
病は気からとも言うし、前向きな発想でいたほうがとりあえず精神は病まない。
それにわざわざ否定する必要もない。
噂の域を出ないけれど、少なくともこの町では性徴後に女性に変化する者は少ないと言う認識だ。
ヴィヴィのように女の子の恰好をしただけでモテるのだから、本当に女性になると確約されるのであればむしろ人生勝ち組かもしれない。
チャルマ本人が「絶対に女は嫌だ」と思っていない限りは。
鏡をあっちに向けたりこっちに向けたりしてひとしきり痣を確認していたチャルマは、ふと思い出したように僕を見た。
「そう言えば知ってる? フローロにも痣があったの」
「フローロに?」
僕は首を傾げる。
フローロに痣があったなんて知らない。
どうせ「ぶつけてできた痣が猫に見えるよかわいいー」とか、その程度のものだろう。彼を中二仲間に巻き込まないでほしい。
「フローロは首のこの辺にあるんだって。襟で隠れるから皆知らないけど」
この辺、と指したのは左側の鎖骨付近。
制服を着ている限りは絶対に見えない場所だ。
そして僕の知る限り、彼はそんな襟ぐりの広い服を着たことがない。
「……なんでチャルマが知ってるのさ」
「……あ」
思わず出た声は予想以上に低かった。
チャルマは口を開きかけて止まった。僕の怒りに触れたと察したのかもしれない。
救いを求めるようにノクトとヴィヴィに視線を動かし、言い出しにくそうにかなりの間逡巡し、それからやっと観念したように口を開く。
「……………………イグニに聞いたんだ」
イグニに。
ずっと忘れていたかったニヤケ顔が思い起こされる。
旅立ちの日に当然のような顔でフローロの横にいたイグニ。
フローロのセルエタを持っていたイグニ。
襟に隠れて見えない痣を知っているということは、それを見たということだ。
寮の同室でもないあのふたりにとって、フローロが見せない限りイグニに見る機会などない。
でも何処で。
フローロはイグニとは違う。
間違っても奴の前で服を乱すようなことはしない。
セルエタを交換する仲になろうとも、絶対に。
それにフローロは別れる時に「イグニとはそうじゃない」と言った。
あの言葉を信じるのなら……信……じるのなら、フローロが見せたわけじゃない。
フローロはそんなことしない。
「海水浴ん時に見たのかもしれないだろ」
「そうだよ。水着だったら見せるつもりがなくたって見えちゃうよ。ほら、それにさ、それってフローロは痣があってもちゃんと卒業したってことでしょ? だったらチャルマのそれも病気なんかじゃないってことじゃない。お医者さんが言ったとおりだよ! ね!」
黙り込む僕を宥めすかすようにノクトとヴィヴィが口を挟む。
特にヴィヴィはさりげなく話題を痣にすり替えている。
そうだ。今は痣の話だ。
フローロもイグニも……特にイグニは関係ない。想像だけでフローロを汚すなんて失礼にもほどがある。
頭の中で、そう理性が感情を押さえつけている。
けれども上手くいかない。
どうしてイグニがそんなことを知っている?
どうしてイグニはチャルマにそんなことを教えた?
どうしてフローロは、
「あ、ああ、そうだな。変な痣だけど心配することないぞきっと!」
ヴィヴィの話題すり替えを察したらしいノクトが柄にもなく話を合わせている。
だが肝心のチャルマにその空気は読めなかったらしい。彼は引き出しからセルエタを取り出すと、ノクトに差し出した。
「イグニのだよ。預かったんだ。”ファータ・モンドに行ってからフローロに何かあるかもしれない。可能なら来年、ファータ・モンドで手を貸してほしい。僕を探して、追って来てほしい”って」
『僕はファータ・モンドに行ってからやりたいことがあるんだ』
『もしきみが将来の道を決めかねているのなら、僕を追って来てくれる?』
旅立ちの日にフローロはそう言い残した。
あれは海を再生させたいという意味ではなかったのか?
何かあるかもしれないってどういうことだ?
海の再生は人類の悲願で、レトにとっても同じことで。
それにレトは「フローロは元気にしている」と言った。
ファータ・モンドでもレトはフローロを見守ってくれている。レトの目をかいくぐってフローロに害をなすことなんてできやしない。
だから、フローロの身に何かが起きるはずがない。
「ファータ・モンドって、ただの大人の町じゃないのかな。それとも大人になったら僕たちじゃ考えつかないようなことがあるのかな。旅立ちの日まであと6ヵ月しかないけど、僕たちは何も知らないよね。イグニやフローロが知っていたことを僕たちは」
『フローロに何かある』と言う言葉には痣が関係しているとでも言いたげだ。
何か?
『痣持ちはいずれ敵となって立ち塞がるから、まだ力のない子供のうちに見つけ出して葬れ』なんて指示された反レト信者がファータ・モンドにいるとでも言うのか?
彼らが痣持ちを血眼になって探している、なんて本気で思っているのなら被害妄想甚だしいどころではない。
「……イグニの戯言を信じて、自分も痣が出たから何かあるかもしれない、って?」
「う……ん、でも僕が持ってるよりノクトやマーレが持っていたほうがいいと思うんだ。僕はきっと退院できないから」
くだらない。
血眼の敵までは想定していないかもしれないけれど、チャルマは痣のせいでフローロに何か起きると思っている。
いや、起きることを期待している。
「知ってるチャルマ? そう言うのをヒロイン願望って言うんだよ。そう言ったらノクトが助けてくれるって思ってるんでしょ。うん、助けてくれるかもしれないねノクトなら。でもさ、傍から聞いてて寒いよ、そういう設定に酔いしれるの」
そして何時か自分も、と思っている。
くだらない。
くだらない考えだ。
「そ、そうだよ何もないよ。チャルマはこんなに元気なんだし、今すぐにでも退院できるって。むしろどうして退院できないのかが疑問だよ」
気まずくなった場の空気をヴィヴィが何とか盛り上げようとするも、
「そう。どうして退院できないんだと思う?」
チャルマの目は、もう笑っていなかった。




