12月・4
新たな炭酸水を物色する素振りで僕は1つ目の屋台を素通りする。
次いで2つ目、3つ目と過ぎ。
チラリと振り返ってみたが、人混みに紛れてしまってノクトも子供たちも見ることはできなかった。
あの場所で待っているのか、子供たちのグループを見つけたのか、帰ってしまったのか。
わからないけれど追いかけて来る様子はない。
僕は何をやっているのだろう。ノクトをひとりで置いて来てしまうなんて。
いや、引き籠りとは言え30歳が迷子になって帰って来られなくなる、なんて心配はしていない。
”この世界に害を及ぼすかもしれない異界からの侵入者”を見張らなければならないのに放棄した。
これでノクトが再び行方をくらましたら、今度こそ僕のせいだ。
足は重く、立ち止まったら動けなくなりそうで、そのくせ少しでも遠ざかりたいと気は急くばかり。
早く帰りたい。
でも先に帰ってしまったら今夜からどんな顔で会えばいい?
今からでも引き返せばいい。見て回るうちに買う気が削がれてしまったとか、人混みで気分を悪くして休んでいたとか、理由は何とでも付けられる。
頭の中でふたりの僕が言い合っているうちに、気がつけば学校の前まで来てしまっていた。
ダンスパーティをやっているのであろう、軽快な音楽が聞こえて来る。
ヴィヴィたちもいるだろうか、『勝ちに行く』ダンスがどんなものなのか少し見て行こうかなんて思う傍ら、会場にいるのはペアを組んだ者ばかりだと考えると敷居が高くて躊躇してしまう。
その時だった。
悲鳴が聞こえたのは。
ホールのほうから聞こえたが喧嘩だろうか。
子供ばかりの町だから凶悪な犯罪が起きることはないと言われているけれど、年齢と言うテンプレートに当てはめて『だから、ない』と思い込むのが愚かだってことは、何十年も何百年も前から言われている。
子供だから純粋だ。
子供だから邪念などない。
そんなのは大人の勝手な思い込み。むしろ純粋と言う名の無知だからこそ、酷いことを酷いと理解できない。
学生らが逃げて来る。
ただの喧嘩にしては慌てふためく様子がどうにも普通ではないようで――逃げる時点で普通ではないことが起きているのだろうけれど、それにしても誰も彼もが酷く怯えて――同じように何ごとかと目を向けていた周囲の学生たちの間にも緊張が走るのがわかった。
先んじて踵を返す者もいる。
あれだけ大勢が必死の形相で逃げて来るのだ。喧嘩なんて甘っちょろい言葉では表しきれないことが起きているに違いない。
が、理由も知らないまま一緒になって逃げ惑ったところでさらなる混乱を呼ぶだけだ。
「落ち着いて!」
声を張り上げたけれど、誰も聞いていない。
そうしているうちにも我を忘れた集団が押し寄せる。
動線上の僕たちを避けきれずにぶつかる者もいる。
どちらともなく転倒し、それがさらに避けられなかった者によって突き飛ばされ、踏みつけられ。
嵐に耐え、嵐が去り。
やっと身を起こした僕は、ホールのほうから遅れて走って来る人影に動けなくなった。
鉄パイプのような棒状のものを手にしている。
進路の妨げになりそうな学生に向かってその鉄パイプを振り回し、弾き飛ばしながらこちらにやって来る。
あれは確か海水浴の時にヴィヴィに付きまとっていた奴ではなかっただろうか。
話したそうにしていたが当のヴィヴィから「話すことなどない」と一蹴されて、それでも教室や廊下でヴィヴィの周りにいて。その諦めの悪さには感心しかけたこともあって。
名前は確か、
「マ、ルヴォ……?」
そうだ。マルヴォだ。
そして。
「ヴィヴィ!?」
マルヴォに引っ張られているのはヴィヴィだ。顔に点々とついた赤い染みは血だろうか。
ヴィヴィは僕の声に顔を上げた。
泣きそうな顔はいつもの気丈な彼からは想像もできない。
「邪魔だぁぁぁぁぁぁああああああ!!」
僕を視界に留めたマルヴォが鉄パイプを振り上げる。
逃げないと。
でも足が動かない。
ヴィヴィもこのままにはしておけない。
でも。
「何をしている!」
そんな第三者の声がして、誰かが僕の腕を掴んで引っ張った。
抱え込まれたと思う間もなく、鈍い振動が響く。この振動は……この誰かは身を挺して僕を庇っている。
でも鉄パイプなのに。
あんなもので力任せに打たれては無事ではいられない。
打ちどころが悪ければ命にかかわる。
何故。
僕を庇って得をすることなどないのに。
「何だ貴様ぁあ!」
マルヴォの叫び声と共に視界が開けた。
庇っていた誰かが腕を緩めてくれたらしい……けれども。
「ク……ルーツォ!?」
僕を庇っていたのは、薬局で出会った青年だった。
他のアンドロイドたちとは違い、紅白の衣装ではなく先日と同じ赤錆色のマントを着ている。
偶然薬局に来ていたのだろうか。
騒動を聞き、駆けつけたのだろうか。
アンドロイドは余程のことがない限り、人間を守るよう設計されている。
この”余程のこと”とは”その人間を守ることで世界が脅かされるのなら、人間よりも世界を選ぶ”と言う、日常生活をする上ではまず比較する機会がないもので、だから今、クルーツォが僕を庇ったのはアンドロイドとしては「何故」と問われるまでもない行動なのだろう。
ただ、庇われる側としては気恥ずかしいどころではない。
「あ、ありが、」
「気にするな」
「その手を離せアンドロイドぉ!」
叫び声にふと声のしたほうを見ると、至近距離に怒りで顔が赤黒くなったマルヴォがいて、思わずたじろいでしまった。
今のやり取りを見られていた!? ではなくて!
マルヴォは鉄パイプを握っている。
その先端は、と見れば、クルーツォが掴んでいる。
振り下ろしたであろう鉄パイプを手で受け止めるなんて、やっぱりアンドロイドは違――。
「人間は避難していろ」
クルーツォは鉄パイプを掴んだまま、僕を開放した。
「クルーツォは!?」
思わず聞き返したが返事はない。
ないが、返って来るであろう台詞は推測できる。
”アンドロイドは余程のことがない限り人間を守る。”
例え自分が壊れる結果になろうとも、害をなすものから。そう定められている。
しかし相手は人質を取っている。
ヴィヴィと僕を守りつつ、凶器を持った奴を相手にするなんて、いくらアンドロイドでも無事で済むはずがない。
だから僕を追い出した。
守る人数が減れば、その分動きやすくなる。
僕にできることは助っ人に入ることではなく、距離を取って足手纏いにならないようにすることだけだ。
マルヴォの隙をついてヴィヴィを助け出すことすら、きっと邪魔にしかならない。
「邪魔するなああああああ!!」
マルヴォは凶器を掴んだまま立ち塞がるクルーツォに向け、威嚇するように大声を張り上げた。
そして渾身の力で鉄パイプを奪い返し、すかさず振り上げる。
クルーツォが僕を払い除けた。
ふいをつかれて重心を崩した僕がよろけるように数歩下がる間に、彼は目の前から消えた。
いや、消えたのではない。
跳躍だ。
その直後、僕がいた空間を鉄パイプが斜めに裂いた。
クルーツォが払い除けてくれなかったら僕は今頃、肩から腰にかけて潰されていたに違いない。
その間にもクルーツォは街路樹の枝を両手で掴む。ブランコの要領で自身に勢いをつけ、マルヴォの顔面に蹴りを入れる。
マルヴォの頭を支点に身を捻り、ヴィヴィを掴んでいる手に手刀を振り下ろす。
「ぐはっ!」
マルヴォの手から鉄パイプとヴィヴィが離れた。
だがマルヴォもやられてばかりではない。
拳を握ると着地したばかりのクルーツォに殴り掛かる。
しかしクルーツォはその手を難なく掴み、捻り上げた。
肘から先が雑巾を絞るように捻じれ、マルヴォは苦鳴を上げてのた打ち回る。
暴れるその背にまたがると、クルーツォはマルヴォの両腕をひとまとめにして押さえ込んだ。
あっという間の拘束劇に、僕は息を飲むしかできなかった。
心配することなど何もなかった。
クルーツォの手足は僕と同じくらいひょろ長いけれど、性能は僕の比ではなかった。
そうしている間に他のアンドロイドたちが集まって来る。
彼らはクルーツォの下からマルヴォを引っ張り出し、両手を拘束し、そして何処かへ連行していった。
「無事か、マーレ」
ノクトが駆けて来る。
炭酸水を買いに出て行ったままこんなところに来ている僕をどう思っただろう。
何時から此処にいたのか。
来た時には既にマルヴォがいたのか。
鉄パイプを振り回す奴を前に近付いたところで新たな標的になるばかりなのだから安全が確認できるまで離れたところにいるのは間違ってはいないのだけれども、高みの見物をされていたようで気分は良くない。
「……ヴィヴィは?」
僕はノクトから顔を背け、濃紺のワンピースを探す。
顔に血がついていたようだけれども怪我はしていないだろうか。
何故マルヴォに引っ張られてたのだろうか。
一緒にいたヴィードは、
「ヴィード!」
ヴィヴィは担架で運ばれていく学生に駆け寄るところだった。
担架で運ばれるということは相当酷い傷を負ったのだろう。
マルヴォの鉄パイプやヴィヴィの顔についていた血は、もしかしなくても彼のものに違いない。
マルヴォが連行され、ヴィードとヴィヴィも医療班と共に去り、僕たちのセルエタが一斉に鳴る。
レトだ。
「今日の催しは全て中止します。皆帰りなさい」と言う指示のもと、興を削がれた学生らが無言のまま散っていく。
誰もいなくなるのにそんなに時間はかからなかった。
「……クルーツォ?」
そして。
我に返って赤錆色のマントを探すも、彼の姿は何時の間にやら消えてしまっていた。
薬師という仕事に従事する彼があれだけ動けると言うのも意外だが、殴られてもいたようだし相当負荷がかかったのではないだろうか。何処も悪くしていなければいいのだが。
と思うと共に、フランもアポティもクレアも、それ以外の誰もがこういった事態に対処しうるだけの力を隠し持っているのだ、と実感する。
それがこの町の治安を守っているのだと。
でも。
「クルーツォ、ってさっきお前と一緒にいた、」
「何でもないよ」
ノクトを遮って、僕はイルミネーションを見上げる。
クルーツォが人間のマルヴォを”守る対象”ではなく”害をなす敵”と見なして攻撃したように、彼らはその気になれば何時でも僕らに反旗を翻すことができる。
言い換えれば、何時でも僕らを支配下に置くことができる、と言うことにならないのか――?
視界を覆うイルミネーションの花。
期せずして目にすることが叶った”誰もいない”光景だけれども、しかし、それはどうしようもなく色褪せて見えた。




