11月・2
図書館棟の壁に蔦が這っている。
つい先日まで青々と茂っていたそれらも、今は全体的に彩度が落ちている。
葉の数も減っている。
教室の窓からそれが見える。
葉の数を数えるのは病床の少女であって僕ではないのに、こうして数えているのは”友人がいなくなって悲しみに暮れる可哀想な自分”でも望んでいるのだろうか。
どうせなら新たに葉を描き足すくらいの甲斐性があればいいものを。
「もっと小さい教室はないのかねぇ。スカスカして見るからに寒い」
ノクトの声に、僕は外に向けていた目を室内に戻した。
3人掛けの机が横に3つ、縦に7つ。満席になれば63人が入れる教室だがそれだけの人数はいないし、そのほとんどが窓際に集まっている。
だからスカスカしているように見えるだけだ、と言ってもいいのだけれど、実際、9月に比べて人数が減っていることには違いない。
とは言え、いなくなった学生が全てチャルマのように入院しているわけではない。
「窓閉める?」
「……俺がそういう意味で言ってないことくらいわかってるよな監督生」
室内に射し込む陽射しは日に日に弱まっている。
もうじき冬が来る。
ずっと日の当たる窓際にいないと命にかかわる、ということはないけれど、光合成で命を繋ぐ身としては陽が射し込む席のほうがいい。
陽射しが弱ければ尚更だ。
けれど窓際は案外に風が入るので陽射しの温かさと相殺……どころかマイナスが勝つ。
ただそれはノクトが言う『スカスカして見るからに寒い』とは意味合いが違う。
「知ってんだろ? 教えろよ」
最近はこの世界の仕組みについて聞かれることも減ったけれど、能登大地にとっては初めての秋で初めての冬で初めての最終学年。
最終学年に関しては僕も同じではあるけれど、ずっと先輩たちを見て来た僕はこの現象の理由を知っている。
学生が減っている理由。それは。
「……性徴が来たんだ」
「あ?」
「生育には個人差があるから。最終学年にもなると卒業を待つことなくファータ・モンド送りになる学生が増えて来るんだよ」
僕たちは本来ならファータ・モンドに行ってから性徴を迎える。
そうなるべく、全員が7月末に誕生日が来るよう調整されている。
けれど予定は予定。
遅れる分にはいいのだろうけれど性徴が早く来てしまった時は、6月の卒業を待たずに此処を立たねばならない。
大人になったらネバーランドにはいられないように。
ノクトは腑に落ちないという顔をする。
「別にいたっていいんじゃないのか? 卒業くらいさせてやれよ。お前ら全員、兄弟みたいに顔突き合わせて来たんだし、見た目が変わった程度で疎遠になるような間柄でもないだろ」
「だから問題なんじゃない。ノクトだって胸がないのに欲情するなんておかしいとか言ってたでしょ」
「胸に欲情する奴が出てきて風紀が乱れるってことか? だったらアンドロイドは何だよ、フランなんて思いっきり女じゃねぇか」
「……無知っていいねぇ」
「おい」
「1回絞めて貰ったら彼女に力でなんか太刀打ちできないってよくわかると思うよ」
第一、アンドロイドに性別があると言ったところで顔だけだ。
服を剥がしてしまえば、そこにあるのは人間とは似ても似つかない冷たい機械の塊でしかない。
けれどいつも隣にいた同級生が男の体、女の体になったとなれば話は別。
いずれ自分たちが通る道でもあるわけだし、興味を示さないわけがない。
そして兄弟みたいに親しければ親しいだけ遠慮がなくなる。
それこそ性的に何かされることだってあるかもしれない。
子供の興味は時には残酷だ。
余計な嵐が起きる前にファータ・モンドに送ったほうが、本人にも周囲にもいいに決まっている。
「それにしたって急に減り過ぎじゃね?」
「そうかな。よくわからないな」
全員が7月末に誕生日が来る、とは、全員が7月末に生まれたということ。
性徴が来る時期を揃えるのが目的なら、早めに現れるにしてもある程度は揃うだろう? とノクトは言う。
でもそれを言うなら急に減ったことだって”早めに揃った”結果なわけで。
ともかく、此処でああだこうだと議論したって始まらない。
「とりあえず僕もきみも、卒業を待たずに此処から出ていく可能性があるってことだけ留意しておくといいよ」
「ふーん。せっかく監督生になっても意味がないかもしれないのか。残念だなマーレ」
「ご心配ありがとう。でも僕は卒業までにできることをするだけだから」
そう言ったものの、監督生に求められていることなんて他の学生の規範になることくらいだ。
”優秀な学生はレトの冠を付けて呼ばれる”、”レトの学徒専用のベストを着ることができる”というのは一種のわかりやすいステイタスだから目指す学生が多いだけで、この肩書きが実際、人生でどれだけ役に立ってくれるのか、此処にいる間に知る術はない。
教室の一角に人だかりができている。
スカスカしているように見えるのは、あの一角に人が集まり過ぎているからではないのか? とチラリと思う。
中心にいるのはヴィヴィだろう。
今月の感謝祭、来月のクリスマスと年末はイベントが目白押しだからいろいろと誘われているに違いない。
規範を求められる”レトの学徒”はああした疑似的な色恋沙汰を楽しむこともできない。
したいかと問われれば、不特定多数からまつり上げられるのは落ち着かないから「したくない」と答えてしまうのだろうけれど、規範、規範と自ら枷を嵌めている僕は他の誰よりもつまらない人生を歩んでいるように思えて、それだけで気が塞ぐのも確かなこと。
自ら望んで得た学徒の称号なのに、こんな感情を向けるのは間違っている。
そんな罪悪感が余計に気を重くする。
ぼんやりと人だかりを眺める僕と彼らを見比べ、何を思ったのやらノクトは肩を竦めた。
「ま、あいつらよりはお前のほうがいい奴だと思うぞ」
「……どういう意味かな?」
「ヴィヴィに気があるんだろ?」
「ないよ!!!!」
思わず大声を上げてしまって、慌てて口を塞ぐ。
一瞬にして集まった視線は再び緩やかに散らばっていく。
頬杖をついたままニヤニヤと含み笑いをしているノクトの足を蹴飛ばして、僕はいささか乱暴に腰を下ろした。
よりにもよって何を勘違いしたのやら。
海水浴での絡みからそう思われたのかもしれないけれど、僕もヴィヴィにもそんな感情は一切ない。兄目線で「お前になら妹をくれてやってもいい」なんて思われたのなら迷惑だ。
「僕は此処で相手を見つけるつもりなんてないし、ヴィヴィだってそうだよ」
「真面目だな監督生」
「監督生じゃなくたってそうなの!」
けれど当人の思いとは別に周囲は動く。
特に卒業までに相手を見つけたい最終学年にとってはこの2ヵ月が勝負月。あの手この手で口説きに来る。
それがあの人だかりだ。
以前、ヴィヴィにその気はないとは言ったけれど、途中で考えが変わらないとは限らない。
フローロのように絆されてしまうかもしれない。
本当にヴィヴィが妹のように見えているのなら、僕をからかうよりもヴィヴィの隣で目を光らせていたほうがずっといいだろうに。
僕は息をひとつ吐き、視線を窓の外に向ける。
蔦の葉が1枚、抵抗も空しく舞い落ちるのが見えた。
その時、突然セルエタが鳴った。
クラス全員ではなく、僕ひとりのようだ。
「何だって?」
眉をひそめたノクトが身を寄せて僕のセルエタを覗き込む。
またレトが仕掛けて来たのかと警戒しているのだろう。
でもこれは違う。
「大したことじゃないよ。放課後に薬局に寄ってくれって」
「……薬局?」
「栄養剤を代表で取りに来いって意味だと思う。レトの呼び出しじゃないから心配しなくていい」
「学徒様に雑用をやらせるのか此処は」
「監督生って言っても特に役割があるわけじゃないし。それにこうして他の学生のために動くのも規範のひとつだよ」
突然降ってきた”レトの学徒”の役割に、ノクトは納得できないといわんばかりの顔をする。
彼のことだ。学園を牛耳る権力者を想像していたかもしれない。
「雑用係になるためにあれだけ試験勉強するのか……俺には理解できねぇ」
「”他の学生のためになる仕事”」
「恰好よく言ったって雑用係だろうが」
ともかく、そんな”雑用係”初の仕事は栄養剤の受け取り。
冬になると陽射しが弱くなる。気温も下がる。
生命維持の大半を光合成に頼っている僕らが弱らないよう、この時期になるとひとり1本、栄養剤が配布されるのだ。
光合成に栄養剤とくると本気で鉢植えの草花になった気分になるのだが、前文明で行われていた予防接種と意図する効果は同じ。腕に針を突き刺すか口から薬を入れるかの違いだけ。
「栄養剤ねぇ。本格的に植物になってきたな。そのうち肥料も配られるんじゃね?」
「何とでも言って」
退屈そうに大欠伸をしたノクトは自らのセルエタを起動させる。
ゲームでも始めるのかと思いきや、開けたのはメールフォームだ。
「何?」
「いや、チャルマからメール来てたの返事してなかったな、と思って」
「元気そう?」
「ああ。相変わらず病名はわからないって言ってるけど、あれだけ元気なら感謝祭やクリスマスには戻って来れるんじゃね?」
「病名がわからないのに?」
ノクトは楽観視しているけれどもそうだろうか。
病名が付かない=治療法がわからないお手上げ状態と言うことだろう。
もしかすると前文明を滅ぼしかけた疫病のような未知の病気で、だから何時まで経ってもめぼしい成果が上げられないのではないのか?
「治療法のない新種の病気なら面会謝絶になってるだろうよ」
「……そうだね」
面会できる。会う前に防護服に着替えたり全身を消毒したりすることもなく。
それはチャルマの病気が僕たちに伝染るものではない、と言うことだ。
退院できないながらも元気でいるのは”ある程度は”薬が効いている、とも考えられる。
『不治の病かもしれない』なんて深刻に考えては、チャルマに余計な不安を与えてしまう。
「感謝祭に戻って来られるなら、その時はエスコートしてあげるといいよ」
「俺が?」
「楽しかったでしょ? 遊園地」
ノクトは複雑そうな顔をしたものの、何も言い返さずにメールフォームに戻っていった。引き籠りの30歳に華々しいイベントは荷が重いのかもしれない。
けれど今は”ノクト”だ。
此処にいる間くらい過去の自分をなぞって生きることもない。




