11月・1(☆)
僕とノクトはバスに揺られている。
もう10駅は過ぎただろうか。もとから半分以下だった乗車率は、今では貸し切り状態にまで下がってしまった。比例するように見慣れた景色も遠ざかり、何時しかやたらと枝が張り出した街路樹に遮られて何も見えなくなった。
視界を覆うのはハラハラと散る黄色い落ち葉。
このペースなら数日のうちに全ての葉が落ちてしまうだろう。
自動運転だからどれだけ視界を塞がれようとも支障はないとは言え、落ち葉が空気の導入口に入り込んだり、車輪を滑らせたりはしないのかと心配になる。
ノクトは窓枠に肘をついて外を眺めている。
見えるのは落ち葉だけなのに、何が面白いのかずっと窓の外に顔を向けている。
「……珍しい?」
「別に」
返事はいつも素っ気ない。
この光景を見たこともないほど能登大地のいた世界は自然の少ない世界だったのか、それとも懐かしいのかを判断することはできそうにないけれど、話を弾ませる気にもなれないので僕はそれ以上追及するのはやめて目を閉じる。
校外学習のあったあの日、チャルマは入院した。
そして経つこと数週間。
至って元気だと言うわりに未だ戻って来ない。
入院した病院はバスで10数駅行った先にあり、寮や学校といった僕たちの生活圏からは遠い。
放課後にちょっと見舞いに行くことなんてとてもできない位置にある。
10数駅。
そう、僕たちは今、チャルマの病院に向かっている。
「抜けたぞ」
ノクトの声に目を開けると、あたりは見渡す限りの更地になっていた。
先ほどまでの街路樹のトンネルと、そして僕たちが住んでいる町までもが夢だったかのように何もない。
人類が突然変異を起こす前――所謂前文明では此処まで人が住んでいたらしい。
この広大な地を埋め尽くしていた建物群は使われるあてもないまま経年劣化で安全性が下がり、全て取り壊された。
当初の予定ではもっと早くに人口が戻る予定だったそうだから、本来ならこのあたりにも学校を中心としたコミュニティができるはずだったのだろう。
出生率などレトの采配でいくらでも増減できる。
なのに増えないのは、きっと 此 処 以外の町との兼ね合いなど、そう簡単にいかない事情があるに違いない。
出て行った分だけ入って来る此処と違って、ファータ・モンドのような受け入れる側の人口は医療が発達したこともあって増える一方だろうし。
雑草だらけの何もない更地の向こうに学校に似た白い建物が見える。
バスは引き寄せられるように其処に向かう。
「ノクト! と、マーレも。久しぶりぃ」
ベッドで上体を起こして本を読んでいたチャルマは、僕たちの顔を見て破顔した。
読んでいるのはノクトの蔵書だ。
元気なら入院生活は退屈だろうと貸したのだけれども、そのせいでもうひとつの病は順調に悪化している。
そのうち「この病は太古の王族の末裔のみがかかる。この試練を乗り越えた時、私は世界を救う勇者として神の力を手に入れるのだ!」などと意味不明なことを口走って精神に疾患があるなどと診断されやしないだろうか……と心配になってくるほどに。
「調子はどう?」
「全然大丈夫だよ。ねぇノクト、あれから何か進展あった?」
「ねぇよ」
チャルマとしては未だ石板とノクトの記憶が気になるようだ。
が、その石板は今や部屋の隅で壁の一部と化している。
チャルマが入院していなければ毎日見張られながら石板を擦らされていたかもしれないが、結局あれ以降何もしていないのだから進展も何もあったものではない。
「ああ、そうだ。調べたんだけどね、定礎ってタイムカプセルなんだって。あの板の後ろにね、その建物を建てた頃のものを隠して、その後、あの板で蓋をするそうだよ」
しかしそんなノクトの塩対応に凹むこともなくチャルマはタブレット端末を起動させ、保存しておいたのであろう様々な画像を見せて来る。
暇だったのだろう。
おかげで定礎なるものがどんなものかは何となくわかってきたけれど……。
「そのタイムカプセルが見つかれば、ノクトのいた世界がどれくらい前なのかもわかるのにねぇ」
建物自体が粉砕されている今、タイムカプセルが無事でいられるはずがない。
隠したものが当時の新聞や写真など、石以上に形を留めておけないものなら尚更だ。
「あー……そう、だね」
「無理だろ。あれだけ粉々にぶっ壊してんだし」
「ノクト、」
そのあたりをぼかして曖昧に頷く僕の横で、ノクトは情け容赦ない。
「そうだよねぇ」
なのにチャルマは機嫌を損ねた様子もなく笑っている。
相手がノクトだからか、それともさして親しくもない学生らに囲まれることもなくなってストレスが減ったからだろうか。
顔色もよく、以前よりずっと健康そうに見えるから複雑だ。
「しっかし1日中本読んでいられるなんて極楽だな」
「羨ましいでしょ」
「全くだ。煩い同室もいないし」
「あははは。ヴィヴィも同じこと言ってた。僕が煩く言わないから遅くまで遊び歩いてるんだ、って」
僕たちだけではなく、ヴィヴィも何度か見舞いに訪れているらしい。
けれど今まで1度も院内で遭遇したことはない。
チャルマ曰く、いつも取り巻きが何人か付いて来るらしく、来ても早々に帰ってしまうのだとか。
ずっと廊下で待っている彼らのことを思えば長居はできないのだろうけれど、少し薄情な気もする。
「ヴィヴィ寂しいんだよ。マーレ、忙しいだろうけど今度遊んであげて」
「僕じゃ退屈でしょ」
「そんなことないよぅ。あ、そう言えばマーレは”レトの学徒”になったんだってね。おめでとう」
ヴィヴィは此処で僕の話をしているのだろうか。
”レトの学徒”は成績だけでなれるものではない。
その成績以外の諸々を加味すれば僕よりもヴィヴィのほうが適任なのに、とヴィヴィを1番身近で見ているチャルマなら思いそうなもの。なのに、そうではない純粋な賛辞が苦しい。
「これでフローロと一緒だね」
「フローロにはほど遠いけど」
「そんなことないよ。マーレ頑張ってたし」
”レトの学徒”になったからと言って超人的な力に目覚めるわけでもないし、医学に詳しくなるわけでもないのだから仕方のないことだけれども、チャルマを前にして無力さを感じる。
1日中趣味に埋没していられたとしても、たったひとりで隔離されたような生活が楽しいはずがない。
楽しかったら僕たちの顔を見てあんなに喜色を浮かべるはずもない。
フローロの後を追うのではなく、医学の道を歩んだほうがいいのではないか、なんてことを思う。
僕の一生を捧げたところで”海”は再生できそうにないけれど、チャルマを治すことはできるかもしれない。
「ねぇマーレ」
ふいにチャルマは真顔になった。
けれど呼びかけておきながら、視線は僕に向いていない。
宙を漂っているというか、目を合わさないようにしていると言うか、こんな態度は大抵、良くないことを言う前フリだ。
「なに?」
「イグニのこと、きっとマーレは誤解してると思うんだけど」
案の定。何故この期に及んでその名が出て来る?
予想どおり、いや、予想の数倍最悪な結果に、あからさまに嫌そうな顔をしてしまったのだろう。
自分から振った話題なんだからこういう顔をされるのも予測していただろうのに、チャルマはおどおどと僕を窺う。
「あ、あのね。イグニとフローロはそういうのじゃないから」
「はあ?」
そういうの? と聞き返そうとしてやめた。
聞き返すまでもない。彼らはセルエタを交換する仲ではない、と言いたいのだろう。
フローロ本人もイグニとはそんな仲じゃないと言っていた。
しかし実際にイグニはフローロのセルエタを持っていたわけで、言い換えればフローロが誰よりも再会したい相手はイグニだと言うわけで。
険しい顔をしているであろう僕に、チャルマは中途半端に視線を逸らしながらも訴えて来る。
「イグニはね、フローロの力になりたいんだ。フローロがファータ・モンドに行ってからやりたい夢の手助けがしたいんだ」
『――それにイグニも協力してくれるからセルエタを預けてあるだけ』
チャルマがの訴えはフローロが言い残した言葉と同じ。
「でも向こうに行ってから再会できるかどうかはわからないでしょ? 見た目も変わっちゃうし、他の学校から来た子や元からファータ・モンドにいる人たちの中に混ざっちゃったら何百人の中からひとりを探すことになる。だからフローロのセルエタを貰っただけなんだ。フローロを探すために」
「……知ってるよ」
知っている。そんなことは。
だって僕はフローロ本人から聞いた。
けれどそんなの嘘に決まっている。
フローロの夢は”海”を再生すること。
多くの先人が挑んでいるけれども未だに成功しない望み。
イグニでは力不足だ。
ろくに勉強もしないで遊び歩いていたくせに、何を協力できるって?
「信じてはもらえないだろうけど」
信じろと言うほうが無理だろう。
100歩譲ったとしても、研究者として立身出世するであろうフローロに付きまとって甘い汁を吸いたいから、という理由しか思いつかない。
それに、
「……どうしてチャルマはイグニなんかの肩を持つのさ」
イグニは下級生にやたらと人気があったけれど、チャルマは違った。傾倒などしていなかった。
なのに何故今になってイグニを庇う?
「肩を持ってるわけじゃないよ。でも、」
ずっと言いたくても言えなかった。退院の目処も立たない今、これだけは言っておこうと思った。
なんて理由での大告白大会だとしても、僕が賛同しなければならない義務もない。
「2度と会えない先輩方がどう誤解されていようとチャルマには関係ない話だしさ。アレはやっぱ、お前の誤解を解きたいって気持ちで言ったんじゃね?」
コトコトと車輪から生じる振動がバスを揺らす。
ノクトは相変わらず窓枠に肘を乗せて視線を外に向けている。
「その理屈なら解いても解かなくてもチャルマには関係ないと思うけど?」
「だからさ。お前が未だに大好きな先輩のことで気を病んでるのが見ていて痛々しいから誤解を解きたいんだろう。お前のために」
「……意味わかんない」
夕暮れの中にポツンと浮かび上がった病院が遠ざかっていく。
それはまるで、病院にひとり残していくチャルマそのもののようだった。




