10月・4
何にせよ、全く進展のなかった数ヵ月に比べれば劇的な変化だと言えるのかもしれない。
これが石板を擦ったせいか、時間の経過によるものか。
これを機にトントン拍子に変化があるのか、これで打ち止めか。
それは神のみぞ知るところ。
でも兎も角、周囲は既に夕暮れというには暗さが際立ち始めている。
このあたりには街灯もないから、もう少しすれば闇に閉ざされるだろう。
さすがに3人もいれば道に迷う心配も暴漢に襲われる心配もしていないし、その前に子供ばかりのこの町に暴漢なんてものはいないけれど、一応は授業の一環として此処に来ているわけだから直帰するわけにもいかない。
「……とりあえず持って帰ったら? 定礎」
僕は未だに屈み込んでいるふたりを見下ろす。
刻限だ。先に行った同級生はそろそろ学校に到着してしまう。
僕らも戻らなければ。
「寮で擦れってか?」
「何か思いついた時にわざわざ此処まで来るのは面倒でしょ」
「不審な外出をしている、ってレトに思われても知らないよ」とセルエタを掲げて見せると、溜息をひとつ吐いてノクトも立ち上がった。
未練がましく屈み込んだままのチャルマに「行くぞ」と声をかけている。
「随分チャルマと仲良くなったことで」
「妬いてんのか?」
「なんで僕が」
先日、半強制的に移動遊園地に送り込んだ後日談は聞いていないが、チャルマの懐きようからして楽しく過ごせたのだろう。
ノクトが最近穏やかになったのは、この世界で生きるために牙を隠しただけではなく、理解者の存在も大きいに違いない。
チャルマは最初から能登大地にも親身になって接していた。
味方だと思える相手がひとりでもいれば”知らない異世界”も”第2の人生を歩むに値する場所”になる。
「ほら、チャルマも立って」
僕は未だ屈んだままのチャルマの肩を叩いた。
何故立たない?
駆け戻って来たせいで足でも痛めたのか?
そうであってもノクトに背負わせるだけだけれども。
叩いた振動か、チャルマの体が傾いだ。
そして、そのまま地べたに倒れ込む。
「チャルマ?」
何が起きたのかわからなかった。
今まで、つい今さっきまであんなに元気でいたのに。
「チャルマーー!?」
虚ろに目を開けたまま人形のように動かないチャルマを前に、僕は名を叫ぶしかなかった。
チャルマはそのまま入院した。
見舞いに行ったヴィヴィの話では意識もはっきりしていて元気らしいから、そのうち戻ってくるだろう。
と、思って2週間。
未だに帰って来ない。
時間は無常に過ぎて、学校では新たな”レトの学徒”が選ばれる運びとなった。
”レトの学徒”とは最終学年の中から選ばれる監督生の呼称で、僕の中ではつい最近までフローロの代名詞。
成績だけでなく普段の素行や言動まで含めた上で選ばれる彼らは、常に一般学生の規範となることを求められる。
窮屈ではあるけれどその肩書きはファータ・モンドに行ってからも役に立つと言うことで、目標にする学生は案外多い。
それに選ばれた。
以前、フランから”レトの学徒”を目指していることを指摘されてはいた――言い換えればレト自身に知られていた――けれど、それで優遇されたのだろうか。
ノクトに振り回されて試験は散々だったし、半ば諦めていたのに。
”レトの学徒”専用の赤いベストに袖を通してもまだ実感がわかない。
何故僕なのだろう。試験勉強はそれなりに頑張ったけれど、それなりの域を越えてはいない。
成績以外の面だって訴求力は弱い。
リーダーシップはヴィヴィという抜きん出た存在がいるし、(主にノクトのせいで)レトに隠しごとまでしているし、それをレトに知られているし。
どう考えても僕には選ばれる要素がない。
「あれだけ男遊びの盛んな奴が他の学生の規範になると本気で思ってんのか?」
ベッドに転がって本を読んでいたノクトが、目も向けないまま鼻で嗤う。
「男遊びって」
性別がないのだから男遊びも何もないと言うのはこの場合、欺瞞なのだろう。
でもあの水着は普通に店に売っているものだし、ヴィヴィはそれを着て歩いていただけだし、勝手に群がるのが悪いと言うの……は、媚びて来ることを想定している時点でヴィヴィにも非があると言えばそうなんだけれども。
「……ノクトってヴィヴィにだけ異様に厳しくない?」
”海”での喧嘩を今でも引っ張っているのだろうけれど、突然幼馴染みが別人になってしまった挙句引き籠って収拾がつかなかったのだから、その”幼馴染み”たるノクトにも原因はあるはずだ。
第一、人生15年の僕たちよりも30年生きている能登大地が歩み寄るべきではないのか? と思うのは子供の甘えだろうか。
「ヴィヴィは僕よりしっかりしてるし面倒見もいいよ。きみが引き籠ってる時だって、」
「あー……違うんだ」
「違うって何が」
これで実は好みのタイプでした、喧嘩腰だったのは好きな子を苛めたいという子供特有のアレと同じです。と言うのならわからなくもないけれど、応援する気にはなれない。
でもそれは僕がヴィヴィやノクトに特別な想いを抱いているというわけではない。
チャルマに対して申し訳が立たないと言う意味でもない。
何度も言いたくはないが此処での恋愛ごっこは黒歴史になる率が異様に高い。
他人ごとながらそれを危惧しているだけだ。
ヴィヴィも奔放に遊んでいるように見えて『相手はこの学校の卒業生以外にしてくれ』とレトに頼み込んでいるらしい。
筋骨隆々とした男になってしまった日には、可愛らしさ限界突破の水着でチャラチャラ歩いていた過去など抹消したいだろうし、それを知っている奴なんて顔を合わせるのも嫌だろう。
そんなある意味手前勝手な願望をレトが考慮してくれるかどうかは別問題だが。
「ああ見えてヴィヴィはノクトのことを心配してたよ。あの水着だってもとはと言えばノクトを外に引っ張り出すための策だし、それを、」
「あー。……!!」
怪訝な目を向ける僕に、ノクトはわしゃわしゃと髪を掻きむしり、それから勢いよく上体を起こした。
「違うんだ。あいつはな! 妹に似てるんだよ!」
「妹、と言うと女で且つ年下の兄妹」
「そんな解説いらねぇ」
この”妹”とは言うまでもなく”能登大地の妹”のことだろう。
ノクトでいるために能登大地を封じた彼が元の世界の妹の話をするなんて意外だけれど、思わず喋りたくなってしまうほどヴィヴィが似ていたのかもしれない。
生まれてすぐに揺りかごに入れられる僕たちには兄弟という概念がない。
血が繋がっているであろう誰かよりも、揺りかごからずっと顔を突き合わせている同級生のほうが兄弟に近い。
それを考えると僕がヴィヴィに向ける想いと能登大地が妹に向ける想いは似ているのかもしれない。顔が似ているのならなおさら。
「妹さんは生きてるの?」
「この時代で”生きてるか?”って聞かれても、もう死んでるとしか言いようがないんだが」
「あ、うん、そうなんだけど」
能登大地がこの世界に来たのは本人の意思でも何でもないけれど、物語では異世界に飛ばされるにはそれなりの理由があるもの。
なのに彼はその理由を探すこともなく、この世界に馴染もうとしている。
『戻れたら~』とは口にしたけれども積極的に戻りたいと思っているようには見えない。
転生なら戻れないと思っているのか。
もしかしたら戻ったところで彼を待つ者はもう誰も――その妹も――いない、なんて事態になっているのか。
孤独を実感する中で妹のそっくりさんがいれば、因縁じみたものを感じないはずがない。
「……ごめん」
「お前がそんなこと言うと槍でも降ってきそうだな」
何にせよ、ヴィヴィに対するあの態度が恋愛感情でないのならとやかく言うことではない。
相手の傷口をこじ開けてまで聞くものでもない。
僕はベストを脱ぎ、パーカーを羽織る。
「何だ? ファッションショーはもう終わりか?」
「見てもいないくせに」
「見せてくれてたのか、そりゃ失礼。ほらもう1回着て1回転してみな。見てやるから」
「見せてません」
最近はこのノクトの茶化しにも慣れて来た。と同時に、以前のノクトならどんな反応が返って来たのかを想像することができなくなっている。
もしこのまま僕の中でこのノクトがノクトになってしまったら、何かあった時に――例えば本物のノクトが現れた時に――彼をただの部外者だと切り捨てることができるのだろうか。
「で、話を戻すけどさ。お前が”レトの学徒”に選ばれるのが不思議だとかいうアレ、レトは掌の上で泳がせたいんだろう」
そんな僕の中の嵐に気付いている風もなく、ノクトは本を閉じた。
コーティングが剥がれかけた安っぽい表紙には『人工知能との対決』というタイトルが見える。ノクトになりきるために彼の蔵書を読み込んでいるのか、何時かくるかもしれないレトと対決する日に備えているのか。
後者だとしたら子供向けSF本で対策を練ろうとしている時点で既に負けている気がするのだが。
「どう言うこと?」
「お前は真面目だから、選ばれたら”レトのために”って張り切るだろ? それこそ向こうの思う壺ってことだよ。レトは妄信的に動く手足が欲しいのさ」
「でも僕はレトに喋れ喋れって言われてもノクトのことを黙ってたよ? 妄信的とは言えないんじゃない?」
「あの時は”レトの学徒”じゃなかったろ」
「……これからだって喋るつもりはないよ」
レトもノクトが言うように”レトの学徒”になれば隠していることも喋るはずだ、という打算で僕を選んだのだろうか。
否、そんな回りくどいことをせずとも催眠術的なことで喋らせるなり拷問にかけるなり、レトにならいくらでも方法があるはずだ。
実際にそれをするかどうかは別として、世界を統べる人工知能なら。
それこそノクトが読んでいた本に出て来る敵役のように。




