9月・4
ノクトは溜息を吐いた。
「機械に飼い慣らされてる自覚はないのか。おめでたい奴だな」
同情? 違う。これは相手を貶めることで自分の優位を保とうとする行為でしかない。
僕は知っている。
前時代の養育には欠点も多かったけれど、でも病気になっても治療させて貰えないなんてのはごく一部で、多くの親は子供のことを思っていた。
能登大地にも親はいたはずだし、その親はきっと普通に愛情を込めて接してくれていただろう。
けれどその”多くの親”が、今の僕たちにとっての”レト”だとどうして理解できない?
「飼われてない」
「じゃあさっきのアレは何だよ」
「フランから解放してくれたのは助かったよ。でもフランもレトも危害を加えようとしていたわけじゃない」
今までの異世界転生ごっこも辛いものがあったけれど、今度は支配者的な人工知能と戦う系SFにシフトチェンジしたのだろうか。
本当に、これだけいろいろ思いつけるのなら作家にでも……そう言えば能登大地は「ゲームを作っていた」と言っていたか。
もとから(もと、と言えばノクトもそうだけれども)妄想の素質はあるわけだ。
「ああ、もしかしてまた新しい設定を思いついたの? きみの好きな本の中に暴走する人工知能と対立するSFとかあったよね」
このノクトは本当にノクトか。
能登大地という別人か。
別人のように演技しているだけか。
選択肢はいくつもあるけれど、何にせよ振り回されるのは一緒。うんざりする。
「茶化すな」
「茶化してなんかないよ」
とは言え、今の僕は目の前の同級生を幼馴染みのノクトとは見ていない。
”能登大地という別人”と認識してしまっている。
ヴィヴィが言うところの”前世の記憶がよみがえった説”を採るのなら目の前のノクトは(中身はともかく)ノクトで間違いないだろうのに、僕は彼を以前のノクトと同一人物だと認識できないでいる。
「だいたいおかしいと思わないのか? 大人は皆、ファータ・モンドにいる、って。この世界には此処と其処しかないわけじゃないだろう?」
僕の態度が気に入らないのか、今日のノクトは饒舌だ。
6月以前のノクトだってここまで喋ったかどうか。
だから余計にノクトに見えない。
ノクトの顔をしているのに、僕は彼をノクトだと思うことにしたのに、それが間違っていたと言われているようで直視できない。
「そうだね。ファータ・モンドからさらに先があるかもしれないけど、それは此処じゃわからない。ただ、今は知る必要はない」
「どうして」
「危険だからだよ。世界が広がれば、其処に行きたい、見たいと思うだろう? ノクトはずっとそうだった。卒業すればいくらでも出ていけるのに、ずっと町の外に出たがってた。それがどれだけ危険な行為かには目を瞑って、夢みたいなことばかり言うんだいつも」
この世界のことを知らないのは彼がノクトではないから。
この世界のことを悪く言うのも彼がノクトではないから。
ただ単に何処ぞの誰かの記憶が入り込んだだけにしては、彼の中には”ノクトとしての記憶”がなさすぎる。
チャルマの説によれば、転生前の記憶を取り戻すとこちらの記憶は忘れてしまうらしい。
しかし生まれ育った環境には過去を思い出させるきっかけが幾つも残されている。
100のきっかけの中のたったひとつだとしても……幸せな記憶にしろトラウマにしろ、魂に鮮烈に刻み込まれた記憶と言うものは、誰にでもひとつやふたつはある。
なのに。
テセウスの船、と言う話を思い出した。
ひとつの船をあちこち修繕し続けて元からの部品が何ひとつなくなってしまっても、それは同じ船と言えるのか、という話。
これはノクトにも言えるかもしれない。
今までのノクトとしての記憶はほぼなく、あるのは能登大地の記憶ばかり。これでもまだ彼はノクトだと言えるのだろうか。
学校に近付くにつれ、通りに人影が増えて来る。
肩を並べて歩く学生は僕たちだけではないので目立つはずはないのだけれど、やけに視線を感じる。
しかし見回したところで誰も見ていない。
視線を逸らした風でもない。
誰が見ている?
学生か? アンドロイドか? 監視カメラか?
そう思いかけて、ぞっとした。
ノクトの警戒が伝染ったようで。
ひとつの家族のように親しんで来たアンドロイドたちとの間に1本、越えられない溝ができてしまった感覚。彼らを純粋に”味方”だと思えなくなっている感情。
こんなもの、僕じゃない。
僕はそんなこと思わない。
ああ、これはきっと穏やかな暮らしをしているからこそ緊張感のあるストーリーに惹かれ、その主人公に憧れるようなものだ。
ノクトのごっこ遊びと同じ。
感化されてはいけない。
「……さっきの女だって、どうせ俺のことを聞いてきたんだろう?」
「…………………………聞かれてないよ」
正確に言えば”まだ”聞かれていない。
しかしノクトに引っ張り出されなければ今頃は喋っていたかもしれない。
フランの目の中で瞬いていた光を思い出す。
吸い込まれるような光の明滅を見ているうちに意識がぼんやりと漂い出そうになるのを感じ……いや、違う。
これもごっこ遊びの延長。
フランにそんな機能はない。”敵の尖兵”のように見るなんて失礼もいいところだ。
”能登大地”は人工知能や機械といったものにそんなに信を置いていないと言うか、警戒している節が見える。
SFの世界だと世界をまとめている人工知能というのは大抵ラスボスだったりするから、彼も先入観を持っているのかもしれない。
そんな彼に、レトは今までどおり、”ノクトのつもり”で接触してきたかもしれない。
械慣れしていないであろう”能登大地”なら、必要以上に恐怖を覚えても仕方がない。
「……きみはノクトだよね」
僕は手首を掴んでいる手を、もう片方の手で外す。
「ねぇ。6歳の頃から僕の隣にいるノクトはまだ、きみの中にいるの? 全部”能登大地”と入れ替わっちゃった? それとも最初から言っていたように、ノクトとは別の人なの?」
彼は僕が見聞きして知ったことがレトに伝わることを恐れている。
それはつまり”ノクトではない”と言っているようなものではないのか?
”前世の記憶がよみがえった設定”なんてものを考えて中途半端に歩み寄ろうとせず、最初からノクトかそうでないかをはっきりさせておけばこんなことにはならなかったのではないか?
彼はノクトか。
それとも赤の他人か。
もし前世の記憶が入り込んだだけのノクトだとしても、今のままなら別人でしかない。
テセウスの船がまるで違うものに作り替えられるように。
そして赤の他人だとすれば、本物のノクトは何処に?
旅立ちの日から既に2ヵ月。
未だ町中で見かけた形跡はなく、外に出てしまったのだとすれば生きている可能性は0に等しい。
早めに探してもらっていれば生きて見つかったかもしれない可能性を、潰したのは僕だ。
「……………………俺は……ノクトだ」
ノクトは口籠りながらもそう呟いた。
まるで自分で自分を納得させているように見える。
ノクトでいてほしいと言う僕の思いを垣間見て、そう言ったようにも見える。
今からノクトとして生きていくと、そう決めたようにも――。
『あんたが何処の誰だかは知らないけど、今はノクトなの。ノクトとして振る舞って。それができないならノクトとして死んで。僕たちに迷惑をかけないで』
ヴィヴィが彼に言った言葉も重く沈んでいるだろう。
けれどヴィヴィが悪いわけじゃない。
ヴィヴィが言わなければ、僕が同じことを言っていた。
「だから、」
「わかった」
わかってしまった。
このノクトはもう6歳の頃から知っている”ノクト”ではない。
彼の中に今までのノクトがいようがいまいが、彼自身は”能登大地”でしかない。
僕は頷く。
頷きながら考える。
『レトに見つかったら処分されるだろうね。でもノクトとして生きていくなら衣食住と教育は保障される』
記憶だけなのか、器ごと能登大地なのか。
何にせよ彼はこの世界でどう振る舞うのが最も得策かを考え、ノクトとして生きることを選んだ。
だから僕も、このノクトをノクトとして接していくしかない。
本物のノクトが万にひとつの確率で戻ってくるまでは、彼には”ノクト”として生きてもらうしかない。
死んでいるのならそれこそ一生、”ノクト”でいてもらうだけだ。
「レトに言うなよ」
「わかってるよ。だからきみも発言には気を付けて。自分の首を絞めるだけだからね」
僕たちの意思はあの時にもう決まっていた。
お互いに、お互いを利用するだけだと。




