9月・2
「言えないことですか?」
フランが畳みかけて来る。
「いや、言うほどのことじゃないと言うか」
「どんな些細なことでも、いえ、些細なことだと自分では思っていたとしても、本当は深く傷ついていることもあります。誰にも言いませんから言ってごらんなさい」
些細だなんて思っていないし、『誰にも言わない』と言ったところで1番知られてほしくない人には知られてしまう。
でも黙っていればそれこそ『言えないようなことを隠している』と言っているようなものだ。
全てを打ち明けてレトの指示を仰いだほうがいいことはわかっている。
隠していたことは何かしらの罰を与えられるかもしれないけれど、僕だって隠したくて隠しているわけじゃない。
ノクトの顔をしてノクトの声で喋る相手を前に、別人だと思うほうがおかしいし、レトもそこはわかってくれるだろう。
でも、それでもし”本物に非ず”と判断された日には?
ノクトは――?
そんな僕に、フランは、ふっと笑みを見せた。
見透かされたのか、レトから新たな指示が出たのか、と思わず身構えてしまったものの、フランはどこか遠くを見るような眼差しをする。
「フローロもよく思い悩んでいました」
「フローロが?」
思いがけない人の名を聞いて思わず僕はフランの視線の先を追ってしまった。
照明のよそよそしい光に照らされた此処とは逆に、外は陽がキラキラと煌めいている。
フローロのセルエタに似た花が咲き乱れている。
でも、当たり前のことだけれども彼の人の姿はない。
口を割らない僕に別方向から攻めることにしたのか。
しかしあのフローロに限って何を悩むことがあるのだろう。
僕と同じように人間関係だろうか。イグニに付きまとわれて迷惑しているとか。
旅立ちの日に当然のような顔でフローロの横にいたイグニを思い出すと腹が立って来る。
寮で同室だというわけでも特別親しいわけでもなかった彼らがどうしてセルエタを交換する仲になったのか。
フローロは共犯だからと言ったけれど本音は違うだろう。
……知りたいけれど、知りたくもない。
「知っていますか? マーレという言葉には海の意味があるということを」
「え? 海?」
「そう、海。全ての生命の源の」
唐突だ。
先ほどのフローロのことと言い、海のことと言い。
毎年夏になるとレトがよみがえらせる”海”。
かつて世界の7割を占めていたという”海”。
今となっては見ることもできないその”海”が自分の名の由来だと言うのも驚きだが、それがフローロの悩みとどう関係してくると言うのだろう。
どう返事を返せばいいのかもわからず、僕は黙ってフランの次の句を待つ。
「フローロは海を再生するにはどうしたらいいか、とよく尋ねてきました」
「フランに?」
何も考えずに口にしてしまった問いに、フランは黙ったまま視線だけを向けた。
その目は寮母アンドロイドとして親しんで来た彼女の目ではなく、僕は改めて話をしている相手がレトだということを認識する。
「正確に言えば図書館司書のクレアに、ですが、彼女と私はリンクしています」
司書のクレアと言えば、フローロが「訪ねて」と言った相手だ。
ノクトのことでバタバタしていて未だに彼女には会えていないが、と言うことはフローロがクレアに託した”何か”についてはフランもレトも知っているのだろうか。
フランが知っているのなら、わざわざ面識のないクレアを訪ねずとも済むのだが。
「海がなくなったのは、この世界が疲れて、生きる力を失くしてしまったからなのです。マーレにもあるでしょう? 疲れが酷いと動けなくなるときが」
フローロが曖昧に託して来た例の”共犯”の件。
詳しく言わなかったのは僕の未来を拘束することになるからだ。
『他に選ぶ道があるのなら、その道を行って』と言ったのは、その協力が1年2年では終わらないことを示している。
”海を再生すること”が託すつもりの中身なら、確かに僕の一生分の年月をつぎ込むことになりかねない。
海の再生は先人が何百年もかけて、それで未だに成し得ていないこと。
憧れの先輩に協力したい、なんて甘い理由でできることじゃない。
「それと同じです。余力があれば休めば回復しますが、ひどいと回復できず、死に至る。そしてそれは海だけに限ったことではなく、世界そのものに言えます」
フランの声をBGMに、僕は此処にいない人へと想いを馳せる。
フローロが海を再生したいと思ったのは僕の名前の由来が海だからだろうか。
僕の名前が海だから、親近感を持って接してくれただけだろうか。
名前の由来になったものの死について語るのもどうかと思うのだけれども、フランの中では”海”と”僕”は別物と判断されているのだろうし、僕が”海”でないことくらい僕自身がわかっている。
わかっているけれど、フローロが僕を気にかけた理由を考えると気持ちの置き場に困ってしまう。
一説によると多くの生物が死滅したのは海が涸れ果てたのも一因とされている。
そのせいで気象が変わり、地表は生きるのに適さない環境になったのだと。
だがやはり最大の原因は未知の疫病が流行ったためだろう。
人類ばかりではなく多くの生き物が死に絶えたその疫病も、フランの言い方からすると、”世界そのものが疲れ果ててしまった”故に現れるべくして現れたのかもしれない。
人類は新たな体を手に入れ、その疫病をも克服した。
しかし多くの動物は消えた。
失った動物たちを再びよみがえらせるのに”生命の源たる海”の再生を、というのはわからなくもないけれど、それこそ微生物からの進化を期待しているのだとしたら数千年単位の計画になる。
何百年も前に海が涸れ果てて以降、多くの先人が知恵を持ち寄ってあの手この手の策を講じてきただろうから、計画の必要年数も多少は短くなっているだろう。
それでもフローロの代で成せるものではない。
いくら”レトの学徒”だったとしても。
僕やイグニが協力したとしても。
でも、そんな壮大な計画のほんの一部分にしかならなくても、フローロは力を尽くすつもりでいる。
彼は寮に帰ってからも机に向かっていることが多かった。
あの頃は『さすがレトの学徒は予習復習にも余念がないのだな』程度の感想しか抱かなかったけれど、あれはきっと独学で勉強していたに違いない。
ただ、
『――専門分野はファータ・モンドに行ってからしか学べないから』
以前、チャルマが言ったように、 此 処 で得られる知識には限りがある。不甲斐なさも感じていただろう。
「ね、ねぇ。フローロは……元気?」
「はい。この世界のために尽力してくれていますよ」
思わず尋ねてしまったフローロの近況にも、フランは見て来たかのように答える。
これは此処に縛りつけられている”フラン”では知り得ないこと――レトがフランの口を借りて答えてくれたことを意味する。
けれど”喋っている相手がレトだった”よりも”フローロが元気でいる”と知れたことが嬉しい。
しかも既に世界のために何かを始めていると言う。
日数的にはまだ夢を掴むために専門分野の勉強を始めたばかりだろうけれど、やはり”レトの学徒”は違う。
「あなたにも可能性はありますよ、マーレ」
「僕なんか」
謙遜しながらも将来のことを思うと気持ちが高揚するのを覚える。
フローロには僕が必要だ。他の誰でもなく、彼がそう望んでいる。
自慢ではないけれど僕にはこれといった将来の展望もないし、だったら望まれる道を選ぶのもいいかもしれない。
そうすれば。
今から勉強すれば、来年にはまたフローロと共にいられる。
そう。
大人になるということが家庭を作って終わりのはずがないだろうのに、今までの僕は専門分野を学ぶ自分の姿も、働く姿もまるで見えていなかった。
壮大な意味の名を貰っているにもかかわらず。
ファータ・モンドの情報がまるで入って来ないのだから将来の自分の姿を想像できなくたって仕方がない、と言ってしまうのは楽かもしれない。
けれど昨年の今頃、今の僕と同い年だったフローロがちゃんと考えていたことを思えば、ぬるいとしか言えない。
「あなたも”レトの学徒”を目指しているのでしょう?」
「え、まぁ……でも」
”レトの学徒”になりたい、とフランに言ったことなどあっただろうか。
いつもフローロの後ばかり追いかけていた僕のことだから、当然”レトの学徒”をも目指していると思われているのかもしれない。
確かに目指してはいるけれど、学年で5人の枠に入るのは容易なことではないし、吹聴して回れるほど確実にその枠内にいるわけでもない。
加えて最近はノクトに振り回されて勉強どころではなかった。
でも。
フローロに追いつくには……。
「じき中間試験です。どんな悩みであれそれが圧し掛かって日常生活に、そしてあなたの夢に支障が出るようでは問題だと思いませんか?」
フランはそう言うと、改めて僕の顔を覗き込んで来た。




