9月・1(☆)
9月。新学年での新学期が始まった。
海水浴での女の子アピールがきいているのか、ヴィヴィの周りにはいつも誰かしらの取り巻きがいる。
あの日「話すことなどない」と切り捨てていた学生の姿もあった。
まだ諦めてはいないらしい。
始終誰かが傍にいるせいで、学校や寮でヴィヴィを見かけても話しかけるきっかけが掴めない。
話しかけられることもない。
ヴィヴィに特別な感情など持っていないつもりだったけれど……いや、これは特別と言うよりも、友達が突然アイドルデビューして遠い存在になってしまったような、そんな寂しさだろう。
人慣れしていないチャルマはヴィヴィの陰で小さくなっている。
別行動すればいいのにとも思ったが、彼狙いの学生もいるようだ。取り巻きに紛れて話しかけようとしているのを何度か目にした。
見知らぬ誰かに囲まれるくらいならヴィヴィと一緒にいるほうが心強い、と思う気持ちは僕にも理解できる。
少し気の毒ではあるけれど無理やり迫られているわけでもなし、交友関係は助太刀に行くようなものでもないので、遠巻きに眺めるに留めている。
ノクトはと言えば危惧していた引き籠り生活に逆戻りはしなかったものの、格段に口数が減った。
クラスが分かれなかったのは、妙なことを口走らないように見張る分には幸か不幸か。
しかし6月までに比べれば連れ立って何かをする時間は減っている。
ノクトは警戒している。
僕に。他の学生に。この世界そのものに。
僕と距離を置くようになった分、他の学生に質問にいくかと思いきや、そうでもないのがその証拠。この世界に慣れたわけではないだろう。
聞く前に諦めてしまっているのか。
今でもノクトではなく能登大地のつもりでいるのか。
傷がついてしまったセルエタの修理に行かないかと誘っても無反応で……とにかくストラップだけは切れていては使い勝手が悪いどころではないので適当なものを買って渡した。
『能登大地は30歳』だと言っていたので派手過ぎない、子供っぽく見えないものを選んだつもりだけれども、趣味に合っているかはわからない。
こんな時、誰よりも真っ先に気付いて声をかけてきたのはフローロだった。
僕は案外、彼に救われていた。
今頃彼は何をしているのだろう。
彼だったら今のこのギクシャクした事態をどう収拾しているのだろう。
「悩みごとがありますか? マーレ」
ある朝。
ノクトを避けて早めに寮を出ようとしていた僕は、玄関先を掃き清めていたフランに尋ねられた。
彼女は寮専用のアンドロイド。
掃除や補修など寮生活で生じる雑事全般を請け負っている。
フローロに次いで、と言うか、同列レベルで子供の頃から世話になっている人だ。
癒し系お姉さん的な容姿は子供たちからの親しまれやすさを重視しているからだそうで、その甲斐あってか彼女に悩みを打ち明ける学生もいる。
同年代や、ましてレトには話しづらいと言う悩みは案外に多いようだ。
実際にはフランの背後にいるレトが悩みを聞いて最適解を示すのだから『レトには話しづらいからフランに』と言うのは矛盾以外の何ものでもない。
けれど、雲の上の存在である”人工知能レト”ではなく親しい年上の女性の”フラン”に聞いてもらった気になるのが大きいらしい。
こうして彼女が尋ねて来たのも、レトが”僕が悩みを抱いている”と判断したからだ。
秀でたところのない凡庸な一学生のことまでレトはよく見ている。
そしてレト本人ではなく6歳の頃から親しんできた”姉”を差し向けてくるあたり、レトは人間の感情もよく知っている。
「……大したことじゃないよ。休み明けはみんなこうでしょ?」
僕はフランの目を避け、俯いて靴紐を結ぶ。
きっとレトには僕とノクトの関係が悪化しているのも知られている。
でもそれはセルエタが記録している心拍数の変化や個々の訪問場所などから判断されているだけ。
日常会話まで逐次監視されているわけではないから、ノクトが自分のことを”能登大地”だと思いこんでいること、それに僕やヴィヴィたちが振り回されていることまでは伝わっているかどうか。
伝わることでノクトが反省してくれるのならいくらでも伝わってほしい。
むしろこちらから洗いざらい喋ってしまいたい。
けれど、問題はそれで済まない場合だ。
海水浴の時に抱いた懸念。
僕らはノクトを”突然前世の記憶がよみがえった”設定で接しているけれど、本当は全くの別人だったとしたら。
偶然、同じ外見をしたふたりが入れ替わってしまっただけで、幼馴染みでもあるノクトは何処か別のところにいるのだとしたら。
セルエタが今のノクトをノクト本人だと認めたのだからノクト本人だ。
別人なんかじゃない。
と一蹴したいところだけれども、そのセルエタだって門に引き摺られていたのだ。壊れていないとは言えない。
『あんたがどこの誰だかは知らないけど、今はノクトとして振る舞って。それができないならノクトとして死んで』
もし本物のノクトが別にいるとしたら。
帰ってきたら自分の場所に別の誰かが入り込んでいて、戻るに戻れなくなっているのだとしたら。
今でも戻る機会を窺っているのだとしたら。
あの日、僕はあのノクトを”ノクト”だと決めつけてしまった。
他人の空似なんて思いもしなかった。
能登大地はずっと『ノクトじゃない』と言い張っていたのに、僕は聞こうともしなかった。
だから能登大地が能登大地でしかなくても、ノクトとして生きて貰わないと困る。
今更、本物のノクトが出て来たらややこしくなる。
町の外に出てしまったのなら今頃はもう干乾びて砂になっているからいいのだけれど……いや。
行き着いた自分の考えが恐ろしくなって、僕は大きく頭を振った。
僕は今、本物のノクトの死を望んでいた。
僕自身の保身のために。
「……悩んでるように見える?」
「はい」
靴紐を結ぶ僕の隣にフランは腰掛ける。
横に座られてしまうと、何となく話を打ち切って出て行くのが憚られる。
「レトはそう判断しました。マーレには精神的疲労の蓄積が見られます」
「精神的、」
失笑しようとして失敗した。
虚ろな笑いはそれだけでレトの判断が間違っていないと証明するようなものだ。
確かに人生初と言っていいほどの負荷がかかっている。
最初はノクトの妄想に振り回されて。そして今は、ノクトのことがレトにバレたらどうなるのだろう、という点で。
心臓の音が聞こえる。
僕が今、緊張していることはリアルタイムでレトに伝わっている。
「他人に話すだけで軽くなる悩みはいくらでもありますよ」
フランはただ僕を心配して言っているだけだ、といつもなら思っただろう。
でも彼女はアンドロイド。
見聞きしたことは全てレトに伝わり、レトが判断した結果に基づいて行動する。
言い換えれば、僕は今”フランの皮を被ったレト”と話をしている。
「言ってごらんなさい、マーレ」
”海”での口喧嘩は大勢の学生に聞かれている。
あの中の悪意がある何人かはノクトのことを面白おかしく――転生者だ、だの、顔が似ているだけの別人だ、だのと密告したかもしれない。
レトもフランも会話する分には人間と変わらないけれど、中身は機械。ノクトを”ノクトではない”と判断したら最後、排除する方向に動かないとは限らない。
たとえセルエタがあのノクトを本物だと示したとしても。
僕らが彼をノクトとして接しているとしても。
もしレトが既に、彼を別人と位置付ける”何か”を得ていたとしたら。だから探りを入れてきている、という考えは杞憂だろうか。
そしてそうなれば、僕らが何もお咎めなしで済むとは言えない。
『能登大地だなんていつもの妄想だと思っていました』『ずっとノクトだと信じていました』と言ったところで、真実か虚偽かを判断するのはレトなのだから。




