共食いの第三層
『墜落殿』第三層。
冒険者達の探索は現在第五層まで進んでいるが、それよりも浅い層が完全に調べ尽くされたという訳ではない。
隠し扉の先や闇通路の奥など、まだまだ未調査の部分は存在する。
ここは、そんな未踏破区画の、さらに隠されていた部屋の一つ。
埃っぽく大きな広間では、冒険者達が殺し合っていた。
複数の冒険者パーティーによる、大規模調査団。
規模が大きければ大きいほど、モンスター相手には有利に探索を進めることができる。
事前の準備さえ怠らなければ、行きには大量の物資を運搬でき、帰りには手に入れた素材や財宝を持ち帰ることができるのだ。
計画的な運営ができるならば、こうした複数のパーティーが手を組むことには、メリットが大きい。
では何故、ほとんどそういう大規模調査団が、なかなか結成されないのか。
それは単純に、デメリットの方が大きいからだ。
計画的な運営ができればというが、アクシデントの起こらないダンジョンの探索の方がむしろ珍しいといっていいだろう。
人数が多いということは、分け前が減るということであり、平等な分配などほぼ不可能に近い。
複数のパーティーの間では実力差による、暗黙の階級差が確実に生じる。
今回、手を組んだ冒険者パーティは十二組。
人間関係のトラブルは避けようがない。
故に極端な話、こうした身内同士の争いで、人死にが出てしまうのだ。
ましてや、最初から悪意を持って参加した人間がいたとなれば、尚更に。
少女商人ノワの足下に、ドサリとまた冒険者が倒れた。
ノワと二人の仲間は、部屋の隅、壁際にもたれてのんきにそんな死闘を眺めていた。
ノワは、冒険者の身体から流れる血がブーツを汚そうとするのを、スッと足を引いて避けた。
広間では、戦士達が刃を交し、盗賊が跳び、炎や雷の魔術があちこちで炸裂していた。
けれど、必死に戦う彼らがノワ達に気づく様子はない。
何せ、錬金術師兼魔術師でもある半吸血鬼、クロス・フェリーが使用したアイテム『隠形の皮膜』の効果で、その姿はまるで見えないのだから。
「ねー、ロン君、残り人数どれぐらいかなぁ?」
退屈そうなノワの問いに、黒髪黒装束の青年ロン・タルボルトは胡座を掻いたまま、暴れ回る冒険者達を数えた。
「……二十三人」
「十人以下になったら動こうかなーって思ってたけど……そろそろ飽きて来ちゃった。ロン君、ちょっと減らしてくれる?」
「分かった」
ロンは立ち上がったかと思うと、わずかに彼らを覆う皮膜を揺らし、その場から消失した。
剣を振り上げようとしていた戦士の一人は、突然目の前に現れた黒髪の青年に仰天した。
「な……」
「一人」
青年――ロン・タルボルトの姿が消えたかと思うと、戦士の顎に衝撃が走った。
掌底だ。
続く回し蹴りで、戦士は真横に吹っ飛ばされた。
「がっ!?」
壁に亀裂が走り、戦士は血反吐を吐いた。
「何だ!? どこから現れやがった!?」
冒険者の何人かが黒髪の青年に気付いたが、その時にはもう、彼はその場にはいない。
「お、おい、何だ!? 何かいるぞ!」
弓手が、慌てて左右を見渡す。
だがロンは、その背後に回っていた。
ロンの手が瞬き、どう、と弓手が背中から血を迸らせながら倒れる。
「二人」
獣の爪のような傷跡が、血まみれの背中には残っていた。
第三層に到達できるほどの冒険者達は、ロン・タルボルトに翻弄されていた。
戦っている相手がまだ人間だと思っているその油断が、彼らの感覚を狂わせていた。
その隙を逃さず、青年、ロン・タルボルトは乱戦の中を駆け抜け、次々と冒険者達をその体術で手に掛けていった。
「五、六人」
ロンの手が瞬くたびに、血飛沫が舞い、冒険者が倒れていく。
「くそ、くそ、当たらねえ! 速すぎる!」
「どこから現れやがった!? さっきまでいなかったぞコイツ!」
ロンの鋭い爪は血に濡れ、血と戦の昂りによって肌が次第に毛深さを増していく。
「はああぁぁ……」
慌てふためく冒険者達が、ロンの姿が次第に狼へと近付いていっていることに気付くには、今少しの時間が必要だった。
「元気ですね、彼」
パーティーのメンバーである狼男、ロン・タルボルトの活躍を、クロスとノワは相変わらず呑気に眺めていた。
「うん、ロン君はやっぱり戦ってる時が一番輝いてるねー☆」
ロンの爪が閃く度に、冒険者が一人、また一人と、倒れていく。
ふと、ノワはクロスを見上げた。
「あ、そだ。クロス君も、チャージしとく?」
ノワの提案に、クロスは銀縁眼鏡をくい、と持ち上げた。
「ありがたく、頂きましょう」
「その分は、ちゃんと働いてよ?」
ノワは自分の右人差し指にはまった指輪を、グルッと回した。
指輪は薄い刃が仕込まれている特殊なモノで、隙間から血が滴り始める。
「もちろんですとも」
そのノワの指先に、しゃがみ込んだ金髪紅瞳の半吸血鬼は口付ける。
クロス・フェリーの瞳の紅色が、さらに鮮やかさを増していく。
狼頭のロン・タルボルトは、自分を取り囲む冒険者達を数えた。
「……六人、か」
胸につけられた、所属パーティーを見分ける紋章はバラバラだ。
どうやら彼らは一時的に手を組み、ロンを最優先に倒すことに決めたようだ。
「クソ犬っころが、よくも俺の仲間達を……いいか、テメエら、一斉にやるぞ?」
ロンを取り囲んでいる中で、最も屈強な戦士が声を上げた。
全員が頷く。
しかし、ロンは動じなかった。
「……いいのか?」
「何?」
「俺に集中してるということは、他が見えていないということだ」
ロンの言葉と同時に、包囲網の一角が不意に崩れ始めた。
「うっ……」
「あぁっ……な、何だ……力が……」
「立って、いられねえ……!?」
冒険者達が、三人ほどまとめて跪く。
「ど、どうした、おい?」
リーダー格の男が叫んだ。
活力を奪われ、その場に倒れた冒険者達の背中を踏みつけ、豪奢なマントを羽織った眼鏡の青年――クロス・フェリーは柔和な笑みを浮かべた。
「やあ、どうも」
「テメエ!? コイツの仲間か?」
「どうでしょうねえ?」
クロスは、自分達のパーティーを示す紋章を外している。
それはロンも同じだ。
自分達以外は全員敵なのだし、敵に自分の所属を教えてやる必要などない。
この広場に来るまでは、なるべく大人しくしていたし、クロス達のことを憶えている者も少ないだろう。
まあ、憶えていても、あまり意味はないのだが。
どうせ、ここで全員倒れるのだから。
「ほらほら、よそ見をしていると――」
「九、十人」
円の中心にいたロンは既に動き出し、新たに冒険者を二人、血の海に沈めていた。
「しまっ――」
最後まで、男は言うことはできなかった。
手に持っていた剣を振るうより早く、ロンの爪が男の顔を裂いたからだ。
「十一人」
ロンは、小さく呟いた。
「回復ですよ、ロン君」
ふわりと重力を感じさせない動きでロンにすれ違いざま、毛皮に覆われた首筋にわずかに触れた。
その瞬間、ロンの身体についた幾つもの浅い傷が、次第に癒えていく。
「さて」
パン、とクロスは手を叩き、軽く宙に浮いた。
そして、手を高らかに掲げ、宣言する。
「――『雷雨』」
掲げられた手の平から膨大な紫電が生じ、残り少ない冒険者達に降り注いだ。
「がはぁっ!?」
雷に貫かれた冒険者達が、次々と倒れていく。
「く、くそ!」
唯一、魔力障壁で紫電を防いだ魔術師がいた。
彼は杖を振り、空に浮かぶクロスに向けて、呪文を放とうとした。
だが、それは叶わなかった。
「ざーんねん♪」
「がっ……!」
魔術師の後ろに回り込んでいたノワが、彼の脳天に斧を振り下ろしたのだった。




