血の渇望
「……深夜に吸血鬼の来訪とはまた、定番だな、おい」
ベッドに横たわったまま、シルバはカナリーを見上げた。
「ただし、この場合絵になるのは、俺の立ち位置が美女じゃないと様にならないんだが」
「それは的確じゃないな。吸血鬼が女性の場合は、相手は美青年さ」
「……それなら尚更、俺じゃ役者不足なんじゃないか?」
「残念なことに、他に役者がいない」
「出演依頼を受けた記憶もないんだが……あと、この金縛りを解いてもらえると、大変助かる」
おそらく、カナリーの瞳を見てしまったせいだろう。
シルバは、指一本も動けないでいた。
「でも、この金縛りを解いたら君、逃げるだろ?」
「うん、逃げるなぁ」
「じゃあ駄目だね」
カナリーは足を組んだまま、妖艶に笑った。
「せめて、理由の説明を」
嫌な汗が流れるのを自覚しながら、シルバはカナリーに要求する。回復の術を使って撃退……もこの状況では無理そうだ。
「いいとも。吸精の副作用その2さ。吸血行為の根源を探れば、これは渇望に到る。つまり吸精っていう吸血鬼の特性を利用することにより、渇きの衝動に襲われるんだ」
言われてみれば……と、シルバは酒場でのカナリーを思い出す。
ワインの量も然ることながら、食事の量も相当なモノだった。アレは食欲ではなく、むしろ……肉から滴る動物の血液が目的だったのではないか。
シルバの心を見抜いたように、カナリーは頷いた。
「そう。水、トマトジュース、赤ワイン、動物の血……そういったモノで、ある程度の渇きを満たすことは出来る」
「……が、今回は足りなかった、と」
「そういうことだね」
さて、とカナリーはふわりと身体を浮かせ、重力を感じさせない動きで、シルバのベッドの脇に回り込んだ。
「……もう一つ」
シルバは視線だけ動かし、カナリーを見る。
「時間稼ぎなら無駄だよ。『透心』で、キキョウ辺りに助けを求めようとしても、部屋には魔力障壁の結界は張ってある。都合よく登場という訳にはいかないだろうね」
「……普段のカナリーなら、絶対そんなことしないよな。ただ、血が飲みたいなら、普通に頼めばいいだけなんだから」
「そうだね。しかし今の私は正気じゃない。たとえキキョウやリフを敵に回しても……君の血が欲しい。君を僕の下僕に堕としたい。その衝動の方が上回っている」
早口で、カナリーが言う。
シルバとしては、予想通り、といった所だ。
微笑んでこそいるものの、カナリーの余裕は実はあまりなさそうだ。
おそらく、これはカナリーの本意ではないのだろう。
ただ、血への渇望に突き動かされ、こうした暴挙に出ていると見ていい。
「その後どうする」
「知ったことか。きっと後悔するだろうが、それでも今の私は……もういいだろう? せめて逃げる時間は確保したいんだ」
カナリーの細い指が、シルバの寝間着をはだけ、首筋をむき出しにする。
その状態のまま、シルバはカナリーを見据えた。
「……心配しなくても、キキョウは呼んでない」
「他の仲間かい」
「いいや、今日はみんな疲れてるんで、ゆっくり休んでもらいたいんだ。それに、カナリー一人をどうにかするのぐらい、俺一人で充分だしな」
「身体も動かせず、何をするって言うんだ、シルバ」
「は……っ」
シルバは小さく笑った。
「俺と目を合わせたのは失敗だったな、カナリー……っ!!」
『透心』を使い、頭の中で唱えた聖句をカナリーの意識に向け、一気に叩き付けた。
神の言葉は、吸血鬼に対してアレルギーにも似た強い力を持つ。
神々の根源である『万能たる聖霊』を知るシルバの場合、この力を無効化し、回復の祝福すら吸血鬼に与えることができるが、通常の使い方だってできるのだ。
「くぁっ……!?」
カナリーにダメージはない。
シルバは、人であろうと吸血鬼であろうと、相手を傷つけることはできないのだ。
だからこの場合、カナリーが受けた聖句の衝撃は、ガラスを金属で引っ掻く音を至近距離で聞かされたようなモノに近い。
カナリーの身体が大きく仰け反った。
血に飢えた吸血鬼の意識に抑圧されていた、本来のカナリーの意識が浮上するのを感じ、シルバはようやく『透心』を解いた。
「……正気に返ったか、カナリー?」
金縛りは既に解けていたが、頭がクラクラする。
一方、カナリーもシルバにまたがったまま、頭を振っていた。
「す、すまない、シルバ……助かった……」
「……まあ、カナリー自身が抵抗してたから、何とか間に合ったってところだけどな。完全に衝動に負けてたら、俺は寝てる最中に、もう噛まれてただろうし」
ようやく頭痛も治まり、シルバは軽く息を吐いた。
身体を起こし、ベッドサイドスタンドの明かりを付ける。
部屋が明るくなった。
「……まあ、他の奴を襲わなかったのが、不幸中の幸いだったな。自分で言うのもなんだけど、聖職者でもなきゃ抵抗できなかっただろ、これ」
「この状況を覆せる人間の心当たりが他にいなかった。何より……」
カナリーはベッドから降りると、手近にあった丸椅子を引き寄せた。
おぼつかない足取りで立ち上がり、それに腰掛ける。
そして、重い溜め息をついた。
「……同性のメンバーの血を吸う嗜好は、持ち合わせていないんでね」
「……敢えて追求しないぞ、その発言の真意」
何となく察してはいる、シルバであった。
高位の吸血鬼は、血の匂いに敏感だ。
そしてその嗅覚で、相手の性別、処女童貞の判定、健康状態などを見極めることができるのだ。
「それと、これからどうするかだな。何しろ一時的に正気に戻ったとはいえ、渇望自体はまだあるんだろう?」
「ああ」
「ならどうするかってーと……」
シルバは少し考えたが、手は一つしかなかった。
「やっぱこれしかないよな」
そして、自分の親指の皮を噛み切った。
「……!? お、おい、シルバ……」
動揺するカナリーに、シルバは血の滴る指先を突き出した。
「さっさと吸えよ。それで、飢えは癒されるんだろ。ただし、噛むなよ」
「し、しかし」
カナリーが躊躇うのも分かる。
シルバは定期的にカナリーに、自分の生き血を提供している。
そういう意味では、いつもと変わらない。
まあ、ここが自分の寝室であるとか、夜這い紛いの侵入だったとか、そういう意味ではやや特殊なケースだが。
それとは別にもう一つ、カナリーには失礼なたとえだが、シルバがカナリーに行っているのは大型の肉食獣に餌を与える行為に等しい。
互いの信頼関係がなければ、シルバは相手に食い殺されてしまうのだ。
そして今、カナリーは鎮まったとはいえ、直前までかなりの興奮状態にあった。
強者の側が怯えるのもおかしな話だが、理解できない話でもなかった。
「今のお前なら、噛まないように吸えるだろ?」
手首を切って、コップに血を満たすという手もあるのだが、それでは血としての効果が『薄い』。
この場合、血とは生命力を意味し、ダイレクトに吸わなければ意味がないのである。
「あと、もう一つ、回避方法があるのも知ってるけど、常識的に考えて駄目だろ」
逆に、シルバがカナリーの血を吸う、という方法である。
シルバがカナリーを噛む必要などはない。
ただし、吸血鬼が人間に血を吸わせるという行為は、吸血鬼の魂そのモノを吸わせた人間に服従させることを意味している。
また、高位の吸血鬼の間では、屈辱的な行為とも見なされている。
けれど、二重の意味でこれはない。
まず、人間として吸血鬼の血を吸うような趣味は、シルバにはない。
さらに聖職者としても、天敵とされる吸血鬼の血を吸うなど、もっての外だからだ。
なお今回、カナリーの一人称で『私』と『僕』が混同していますが、これはわざとですので誤字脱字には該当しないということで一つ。
一応、次の話辺りでここも言及したいところですが、忘れてたらすみません。




