この一撃は食らいたくない
(しっかしまあ、よくこんな事思いつくなぁ……)
ヒイロの内心の呟きは、『透心』を通してシルバにも届いていた。
「前の魔王討伐軍遠征の後、戦災復興支援に参加してた時にちょっとな。土砂崩れの撤去を楽にできないかな―って思いついたんだよ。……ま、とにかく」
次の術の印を切りながら、シルバは正面を指差した。
「機動力は下げた! 速攻で叩け、キキョウ、ヒイロ!」
「うむ、心得た!」
「らじゃっ!」
キキョウとヒイロが、地面に埋まりもがく敵前衛目がけて駆け出した。
そして、シルバは足を止め、それを守るようにタイランも待機した。
「兄貴! 何とかしてくれぇ!」
ポールたち前衛三人は、地面に足を取られながら、まだもがいていた。
両腕で何とか脱出を試みてはいるが、その腕ごと地面に埋まってしまうのだ。
「問題ない! そこに踏み込んだら、相手だって機動力が落ちるんだ! 踏み込んでなんてこれない!」
もちろん、ネイサンがそう考える事は、シルバにも予想していた事だ。
そこで、次の魔術が発動する。
「ところがどっこい――『飛翔』」
シルバの指の音と共に、前衛二人の足が地面をふわりと離れる。
「う、わっ、たたっ!」
空を浮く経験は初めてなのか、ヒイロが慌てた声を上げた。
「落ち着くのだ、ヒイロ。シルバ殿の術である。害はない」
「う、うん」
焦ったのはほんの一瞬、ヒイロは不可視の床を蹴ってキキョウと共に加速し、ポールたちに迫る。
一方、シルバの術とほぼ同時に、ネイサンの魔術も完成していた。
「くっ、ならば『猛毒』!!」
ネイサンの叫びに呼応するかのように、シルバのパーティーを禍々しい紫色の煙が包み込んだ。
「けほっ、ごほっ」
ヒイロが咳き込む。
シルバ自身も軽い吐き気を覚えたが、予定通りの行動を始めることにした。
すなわち――毒の状態を完全に無視した。
「な――!?」
ネイサンは絶句した。
これまで、『猛毒』を食らった相手は、モンスターだろうが人だろうが、反応はほぼ同じだった。
毒に苦しみ、術を仕掛けたネイサンに敵意が集中する。
しかし、ネイサンまでの距離は開いており、間にはポールたち前衛という壁が存在し、焦りから攻撃は雑になる。
『解毒』を使える聖職者がいる場合もあるが、味方全体に解毒できる高位の術者などほぼいなかったし、いたとしても一手、無駄を作ることとなる。
なのに、それら全部を無視して行動するなんて……。
「ありえないだろ……!?」
そんなネイサンの言葉が聞こえた訳ではない。
けれど、表情からシルバはネイサンの困惑を読み取っていた。
「……相手が何をするか分かっているんだ。あとは覚悟さえ決めればどうとでもなる」
毒は確かに厄介だ。
身体は蝕まれ、気は逸る。
下手をすれば致死にもなり得るだろう。
だが、一度の戦闘。
長くても十分も掛けず決着をつけると、最初から決めていれば、毒が回りきる前に敵を倒すことは可能だ。
そして戦闘が終わってからの解毒で、充分間に合う。
やや特殊な動く鎧であるタイランを除き、毒の魔術の効果を受けるのは、シルバ自身、そしてキキョウとヒイロだ。
シルバの腹は決まっていたので、問題はキキョウとヒイロだったが――。
「そういうことならば、某はシルバ殿を信じよう」
「なるほどー。言われてみれば確かにそうだね! じゃあ、ちゃっちゃとやっつけちゃおう!」
そう、二人も納得してくれた。
もちろん仮に言葉では納得してくれたとしても、いざ実際に毒を食らえば、動揺しても仕方がないことだ。
けれど、二人の心に乱れはない。
それが『透心』を通して、シルバにも伝わってきていた。
そしてまさしくキキョウとヒイロは、ポールたちに肉薄していた。
キキョウが刀の柄に手を掛け、刃を振り抜く。
「へっ……それでもお前達に勝ち目はないのさ!」
膝を地面に埋めたままポールは不敵に笑い、キキョウの刃の軌道に大きな腕をかざした。
「っ……!」
甲高い金属音が鳴り響き、キキョウがわずかに退く。
「へへへ……」
ポールは若干腕の震えを自覚しながらも、ダメージが通っていない事を確かめる。
「――ほう、よい鎧だ」
宙に浮いたまま、キキョウは腰を落とした抜刀術の構えを解かないでいた。
「テメエの攻撃なんて、効きゃしねえんだよ! 死ねや!」
ポールは足に踏ん張りを込め、半ば跳躍しながら斧を振るった。
「物騒だな。だが、機動力を殺すというのはこちらの攻撃を当てるのと同時に――」
キキョウはわずかに身体を傾け、巨大な振り下ろしを回避する。
「くっ……!?」
ズブリ、と再びポールの足下が地面に沈んだ。
否、先ほどよりもさらに深く、腰の辺りまでポールの身体は土に埋もれていた。
「――お主らの攻撃が当たらぬという事。どれだけ某達の守りが衰えようと、当たらなければ問題はない」
冷たい視線で、キキョウはポールを見下ろした。
「生意気な!」
もう一人、前衛の戦士が乱暴な足取りでキキョウに迫ってきた。
この距離では、振るうよりも突きの方が有効とみたのか、腰だめにロングソードを構えている。
しかしキキョウはそれに慌てず、身を翻した。
「そして某の攻撃は通じぬようだが……彼ならばどうかな?」
「え……」
「らっしゃい――」
直後、戦士の側頭部に、ヒイロが振るった横殴りの骨剣が直撃した。
「――ませーっ!!」
メキリ、と骨の軋む音と共に、戦士の身体は地面から引き抜かれて、数メルトほど吹き飛んだ。
その時点で既に意識はなかったのだろう、まるで馬車に撥ねられたかのように、何度もバウンドしながら転がり、やがて動かなくなった。
わずかに痙攣しているので、死んではいないようだ。
しん、と模擬戦闘の場が静まり返る。
ごく至近距離でこれを見ていたポールの顔が、引きつる。
観客達も絶句していた。
……この攻撃は食らいたくない。
今この瞬間は、敵も味方も意見が一致していた。
「まずは一人!」
グッ、とヒイロはガッツポーズを作った。
「うむ、では次である」
特に驚く事なく、キキョウは刀を収め、再びポールと相対した。
「ちょ、ちょっと待て、なんだその攻撃力!?」
我に返ったポールが、絶叫した。
シルバが、キキョウとヒイロに攻撃力が上がる術を使った様子はなかった。
つまり、今のは鬼の素の攻撃力という事になる。
「鬼の筋力舐めちゃ駄目っしょ。ま、素早い相手にゃ本来当てるまでが一苦労なんだけど」
にひひ、と笑うヒイロ。
「くっ、やってられるか!」
半ば転がるようにして、ポールが底なし沼のような地面をやっとの事で脱出した。
「ぬ!?」
キキョウが刃を放つが、ポールは両腕を交差してガードした。
「にゃろ!」
ヒイロが骨剣を横薙ぎに振り抜いたが、本来の速度を取り戻したポールにその攻撃は通用しない。
彼は、背の低いヒイロの頭上を飛び越した。
「でかした、ポール!」
キキョウとヒイロの二人を相手にせず、ポールの視線はシルバに固定されていた。
わずかに焦った顔をする前衛二人に、シルバはまだ地面の中でもがいている戦士を指差し、『透心』を飛ばした。
(二人は残っている前衛を片付けて。……こっちには、タイランがいるから問題ない)
(承知した)
(タイラン、頑張ってねー)
(は、はい……!)
シルバの意思を受け取ったキキョウたちは空中を蹴り、何とか緩んだ地面から脱出できそうな戦士に迫っていく。
戦士を守ろうと、神官の強化によって威力の増した火球をネイサンが放ち、盗賊の放った矢も飛んでくるが、それらの悉くがキキョウの放つ居合いの刃に散らされていた。
「ありがとう、キキョウさん!」
「敵の遠距離攻撃は、気にせずともよいぞ。すべて某が払う故、お主は相手を倒すことのみ考えればよいのだ」
「ガッテン承知のスケザエモン!」
「……ヒイロ、どこでそんな言葉を憶えてきたのだ?」
キキョウの刀はともかく、ヒイロの骨剣は食らいたくないのだろう。
戦士の腰は完全に引けているし、二人の敵では最早ない。
キキョウかヒイロか、どちらの攻撃を食らうかは分からないが、倒されるのは時間の問題といえた。
一方、ポールの相手をするのは、重装兵のタイランだ。
ガチャリ、と金属質な音を鳴らし、シルバを守るようにポールの前に立ちふさがった。
「お、おおおっ!!」
ポールの両手斧を、タイランは斧槍の柄でガードする。
「くうっ!!」
わずかに後ずさりながらも、かろうじてタイランはその一撃を受けきった。
タイランの技量がまだまだ拙いことに勝機を見出したのだろう、ポールは皮肉っぽい笑みを浮かべ、斧を構え直した。