それぞれの休日
その鍼灸院は、グラスポート温泉街にほど近い場所にあった。
キキョウとヒイロは、スイングドアの横に掛かった木製の看板を見た。
どちらも装備は身につけておらず、普段着姿である。
「ここが、某が世話になっている、整体と鍼灸の院である」
看板には墨で『ムワン鍼灸院』と書かれてあった。
「キキョウさん、整体は分かるけど、シンキューって何?」
「鍼は針。灸は小さなもぐさを身体に置き、そこに火を置くのだ」
「火あぶり!?」
「間違ってはおらぬが、人聞きが悪いにも程があるのだ。院長が聞いたら、ぶん殴られてしまうぞ」
「ずいぶんと、過激な先生なんだね」
するとスイングドアの向こうから、木製の下履きが飛んできた。
極東の国ジェントに伝わる、下駄と呼ばれる履き物だ。
放物線を描いたそれは見事にキキョウを捉えていたが、キキョウはスッと頭を傾け、それを避けた。
「人の店の前で、声がデカいし、しっかり聞こえていたぞ」
スイングドアが開かれ、束ねた長い黒髪を肩から垂らし銀縁眼鏡を掛けた、細身の女性が姿を現した。
歳は二十を少し出たぐらいだろうか。
白衣に両手を突っ込み、片方の下駄がない。
口には煙草を咥え、相当に性格がキツそうだ。
この鍼灸院の院長を務める、セーラ・ムワンである。
「言ったのは某ではなく、こちらのヒイロであるぞ!?」
「そうか」
シュッとセーラの足が前に出、飛んだ下駄がヒイロの額を直撃した。
「あだぁっ!?」
頭を抱えるヒイロに、素足のままセーラは近付いてきた。
そして、スッと手を差し出してきた。
「院長のセーラ・ムワンだ。よろしくな」
「よ、よろしくお願いします」
ヒイロはその手を握り返した。
……下駄で攻撃したことなど、セーラはまるでどうでもいいことのようだ。
ヒイロから手を離すと、セーラは地面に転がった二つの下駄を足の指で転がし、履き直した。
そして、首を傾けヒイロを見た。
「ちなみに火あぶりにはしないぞ」
「よかったぁ」
「針は刺すがな」
ニィッと、セーラは笑った。
「ひぃっ!」
相変わらず性格の悪い女だと、キキョウは思ったが口に出すとまた攻撃されるので、黙っておいた。
鼻がスッとするような匂いがする院内には、いくつかの簡易ベッドが並べられ、それぞれが天井から吊り下げられたカーテンで仕切られていた。
今は、客はいないようだ。
ベッドの脇には、植物で編まれた籠が置かれている。
「ハッ……」
部屋を見渡していたヒイロが、ふと動きを止めた。
「どうした?」
セーラの問いに、ヒイロはわたわたと落ち着きなく、視線を移動させた。
「あ、いや、整体って確か、服脱ぐんだよね」
「そりゃ、全裸になる必要はないが、ある程度はな」
「身体も触られるよね?」
「何だ、触られると感染る病気でも持っているのか? 明らかに健康優良児という感じに見えるが」
「い、いや、そういう訳でもないけど、あー、あっ! しまった! ボク、急な用事を思い出しちゃった! キキョウさんごめん、整体はまた今度で!」
いかにも棒読みな台詞をまくし立てると、ヒイロはシュタッと手を挙げ、外へと飛び出してしまった。
「ぬ、ヒイロ、いや、急ぎの用事があるなら仕方がないが……ああ、行ってしまった」
キキョウが声を掛ける間もなく、ヒイロはもう遙か遠くへと行ってしまった。
セーラも、呆気にとられながら頭を掻いていた。
「何だったんだ、あの小僧は」
「すまぬな、ムワン殿。慌ただしくしてしまった」
「別に構わんがお前、運がよかったぞ」
「何がであるか?」
セーラは先端が鈎状になった棒を手に取ると、出口に向かった。
スイングドアの向こうにあるシャッターを、下げていく。
シャッターを下ろしきると、鍵も掛けた。
院内は薄暗くなったが、セーラが煙草を吸うと、先端の火が明るくなると共に、院内の照明もうっすらと灯されていった。
そして、キキョウに振り返った。
「このまま、あの小僧と一緒に整体をすることになったらどうなるか、少し想像を働かせろ」
「……」
意味が分からず、キキョウは首を傾げた。
そして、想像してみた。
ヒイロがいたまま、施術を始めた場合、どういう事態が発生するか。
「……っ!」
狐耳と尻尾の毛が、ビンッと逆立った。
「あ、危ないところであった……!」
ダラダラダラと冷や汗を流す、キキョウであった。
「だろう。まあ、仕切りを作るからそうそうそれがバレることはないだろうが、可能性としては充分あり得るからな。そもそも、だからこそ君が来る時は貸し切りにしているのだろうが。なのに他の人間を引き連れてくるとか、正気かと私は一瞬、頭を疑ったぞ」
「うむ。実に迂闊であった。反省せねばな」
とはいえ、危機は回避できた。
ヒイロの言う急用に、キキョウは感謝した。
「反省もいいが、施術はしていかないのか? 時間だけでも金は取るぞ」
セーラは、ベッドの一つを手で叩いた。
「そ、それは困る。それなりの金額を支払うのだ。某は、なるべく早く全盛期の力を取り戻さねば!」
「じゃあ、さっさと着物を脱いでここに寝ろ。早く仕上げたいんだろう?」
「うむ、よろしく頼むのである」
キキョウは、己の着物に手を掛けた。
一方、ヒイロは街の大通りを走っていた。
「あー、もー、うかつうかつ。そーだよねー。入るまで思いつかなかったよもー」
ようやく、頬の熱も元に戻り、ヒイロは落ち着きを取り戻した。
そして、何となくこれからどうするか考えながら、足を進めていた。
空を見ると、まだ太陽は完全には昇りきっていない。
「うーん、時間的にはちょっと中途半端だけど、行くかなー、山」
呟き、少しずつ足を速めていく。
「……とりあえず今日は、街の周辺で肩慣らしかな。出発は明日。よし決めた」
元気よく駆け出すと、ヒイロは冒険者ギルドに向かった。
昼前の冒険者ギルドは空いていた。
仕事を受ける冒険者達は大体が、早朝に依頼を確認し、出発してしまう。
なのでこの時間帯にいる冒険者は休みの者がほとんど、もしくは仲間と待ち合わせの為だったり……大体は暇人だ。
そんな中をヒイロは駆け抜け、空いている受付カウンターに向かった。
「こんにちわー!」
顔馴染みの受付嬢に、元気よくヒイロは挨拶した。
挨拶は、大事である。
受付嬢も、ヤンチャな弟を見るような視線で、微笑んだ。
「あら、ヒイロ君こんにちは。今日は一人ですか?」
「うん。今はお休みで、みんな自由行動なんだよ。シルバさんはもう来た?」
「ええ、パーティーの名前を申請しに来ましたよ。また、ずいぶんと面白い名前をつけましたね」
「あはは、でしょ」
ヒイロは笑うが、受付嬢は書類を手に、少し苦笑いだ。
「ギルド泣かせな名前なんですよねぇ、これ。通常の書類で使用する『名無し』と紛らわしくて」
「ご、ごめんなさい。でもパーティー名、『バラバラ』になってたかもしれないんだよ?」
「バ、バラバラ?」
「うん」
ヒイロの言葉に、受付嬢は小さく唸った。
「そ、それは……パーティーが解散危機に陥りそうな名前ですね」
「まあ、ボクが考えたんだけど、今思うと止めてもらえてよかったと思うよ」
「『名無し』……よくよく読んでみると、ユニークで、いい名前です」
まるで自分を納得させるように、受付嬢は書類を置いた。
中途半端なところで何ですが、続きます。




