霊獣親子との別れ
『名とは、存在を示す重要な要素だ。故に我らは親子であろうとあだ名で呼び合う。リフという名を与え、それを姫が認めたということはつまり、お前は我が姫を真名で縛ったということになる』
霊獣フィリオは、シルバにそう語った。
……いや、一気にまくし立てられても困るんだけど。
シルバの困惑がフィリオにも伝わったのか、彼は小さく咳払いをした。
『また、話が長くなったな。同性同士の場合ならば義兄弟の契りとなるのだが、今回は異性。これは人間の世界で言えば、一番近いのはプロポーズに当たる』
「はいっ!?」
シルバは、思わず間抜けな声を上げてしまった。
ちなみに、キキョウの耳と尻尾も大きく逆立ったのだが、それに気付く者はほとんどいなかった。
『しかも姫は受け入れているのだが、どうするつもりだ、シルバ・ロックール?』
ずずい、と獰猛な雰囲気を漂わせたフィリオが、巨大な鼻面を迫らせてくる。
さすがにシルバも言葉に詰まる。
「え、ええっと……?」
どう応えればいいのだろう。何となく「じゃあ受けます」とか言っちゃうと、そのままガブリと噛まれてしまいそうな気がするのだ。
かといって断ってもガブリと噛まれそうな気がする。
『にぃ……父上、お兄がこまってる』
困惑するシルバに、リフから助け船が出た。
さすがに娘には弱いのか、フィリオはわずかに顔を引いた。
『む……だがな、姫』
『お兄はそこまで深く考えてなかった。みとめたのはリフだけど、責任おしつけるはダメ』
『む、むぅ……! 我としては、その名の破棄を推奨するぞ、姫。そうすれば、この契約は無効となり……』
『だめ』
父親の譲歩案は、あっさり娘に却下された。
『何故だ!?』
『リフ、この名前気に入った』
『ならば、此奴と夫婦になるのか』
『父上』
『む……?』
『これいじょうお兄を困らせると……』
『こ、困らせると?』
『父上、きらいになりそう』
一瞬の間が生じた。
表情を引き締めたフィリオは、シルバに向き直った。
『よかろう、シルバ・ロックール。お前にこの契約について考える猶予を与える。そうだな、百年ぐらい!』
「……そ、そりゃどうも。また急にえらいアバウトになったな……」
それ多分、俺死んでますけど、とシルバは心の中で呟いた。
いや、むしろそれ狙いだとするなら、とっさの判断としては見事といえる。
『不満か。ならば、我が姫と契りを交わすか』
あ、いやそこまで考えてないわ、この霊獣。
「も、文句はないです、はい! 考えさせてもらいます!」
『ならば、よい』
父親を見上げていたリフが、振り返る。
『お兄。リフは一旦、山に帰る』
「そ、そうか。さすがにプロポーズがどうとかいうのは困るけど、そうじゃないなら、いつでも来てくれていいからな」
といっても、モース霊山があるのは、大陸のほぼ反対側だ。
しょっちゅう来るのは難しいかもな、とシルバは思った。
『に。また来る。盗賊おぼえる。まってて』
尻尾を立てて宣言する娘に、動揺したのは父親だった。
『な……! だ、駄目だ、姫! そんな事は許可できん。下界は危険だと、今回の件で分かったはずではないのか!』
『に……いい人もいっぱいいるって覚えた。それにリフはお兄の嫁』
「ちょっ!? それは保留のはずだろ!?」
今度慌てたのは、シルバだった。
『に。もんだいなし。これはリフの自称』
どことなく得意そうに言う、リフだった。
「……いや、俺はどっちかっていうとお前のお義父さんが怖いっつーか」
『グギギギギ……人間、貴様ぁ……』
フィリオの歯ぎしりの音が、あからさまに響いていた。
それを無視して、リフは父親の鼻面に向かって跳躍する。
そのまま頭の上に乗った。
『父上、かえろう』
『わ、我は認めないからな! 帰るぞ、姫、それに倅達よ』
ほとんど負け惜しみのような言葉と共に、フィリオは踵を返した。
その尻尾が、鞭のように大きく揺れていた。
「「「にぁー……!」」」
巨大な父親の背で、三頭の息子達が鳴いた。
だがふと何かを思い出したのか、フィリオは振り返った。
『そこの吸血鬼と精霊は既に知っているであろうが、シルバ・ロックールよ。あの老人とその手下どもは我が頂いておいた。その旨、お前の上司であるあのストア・カプリスという女に伝えておくがよい。残りの始末はすべて、あの女が付けてくれるであろう』
「え、あ、それはどうも……」
『では、さらばだ』
『に。お兄、また』
フィリオに続いてリフも言うと、巨大な霊獣は駆け出し、その姿はあっという間に見えなくなった。
シルバは振り返り、カナリーとタイランを見た。
「さっき、あの霊獣殿から知識を授かった時に、おまけでね」
「死んではいないようですが、その……」
タイランは、何やら言いづらそうだ。
ふ、とカナリーは笑った。
「ミイラ状態というか、死ぬ直前ぐらいまで精気を搾り取られてて、あれは呼吸するのも辛いだろう。まあ、楽には死なせないってことじゃあないかな。ちなみに搾り取った精気は、モース霊山の糧になるみたいだよ」
クロップ老達の末路に関しては、シルバとしては一発ぐらい殴れたらよかったかなとも思うが、そういうことならフィリオに任せておいていいだろう。
シルバとしては、フィリオに渡るか、上司であるストアに預けるかのどちらかだったので、それはまあいい。
ただ、一つ引っかかることがあった。
「うーん、都市の中で暴れた分が放ったらかしなのは、ちょっとなぁ」
最初の接触時に、路地周辺には大きな迷惑を掛けた。
クロップ老やモンブラン四号によって、地面や建物には結構な被害が出たのだ。
その責任を取れる老人は、フィリオに連れ去られてしまった。
そんなシルバの心中を察したかのように、カナリーは言葉を続けた。
「遺跡の奥の研究室を漁れば、ある程度の資金になるはずだよ。換金は、ホルスティン家でどうにかしよう。実際の建物の修理の手配なんかは、シルバ、教会の方で頼むよ」
「分かった……ん?」
遠くから、車輪の音が響いてきた。
これは、馬車の近付いてくる音か。
「ああ、ウチの馬車が来たようだね。それじゃあみんな、帰るとしようか」
「で、あるな。シルバ殿、シートを片そう」
「ああ」
キキョウに促され、地面に敷いたシートを丸める作業をシルバも手伝う。
「リフちゃん、今度はいつ来るのかなー。さすがに明日ってことはないよね」
ヒイロは、タイランの兜を持ち上げた。
フィリオから新たにもらった鎧のそれではなく、元から使用していた残骸となってしまったそれである。
シルバから、空間収納能力のある革袋を預かったカナリーが、タイランと共に大きくその口を開いた。
そこに、鎧の残りやフィリオからもらった新たな鎧などを、ヒイロが詰めていく。
「モース霊山はとても遠いですから、すぐというのはちょっと……フィリオさんっていう霊獣の長の足を考えても、最低でも半年は掛かるんじゃないかと……」
「えぇー。それちょっと長すぎるよー。そうだ、先輩!」
タイランの言葉に眉を下げたヒイロだったが、すぐにいいことを思いついたと、シルバを見た。
ヒイロが何を言いたいのかは、シルバにも分かった。
「いや、行かないからな。モース霊山とか、旅するにしても、さすがにキツすぎるからな」
「先輩冷たい!」
「冷たくねえよ! 普通のこと言ってるだけだよ!?」
「ま、それも本当に足を使えばの話だけどね」
カナリーが、ポツリと呟いた。
「僕たちの知らない、『転移門』を知っているかもしれないし」
「『転移門』って?」
ヒイロの問いに答えず、カナリーはシルバの革袋の口を閉じた。
ちょうど、ホルスティン家の吸血馬車が、到着した。
高級な箱は大きく、座り心地もいい特別製だ。
「……ま、語ることは他にもあるんだけど、とにかくそういうのはもう、後日にしないかい? 僕はもう、さっさと家に帰って眠りたいんだ……」
「そりゃ同感だな。……ヒイロ、その龍魚を乗せるの、手伝ってくれ」
「あ、うん! でも、その馬車に乗るかな?」
シルバが龍魚の頭を持ち、ヒイロが尾を持ち上げた。
そんなヒイロの肩に、小さくなったタイランが乗った。
「わ、私の身体を小さくした分、大丈夫だと思いますよ……?」
人工精霊であるタイランは、人と身体の構造が違う。
精霊炉に入る時は、密度を高め、こうして縮んで入っていたのだ。
「行きでタイランが乗った時も余裕があったし、問題はないであろう……しかしこの馬車、座り心地がよすぎて、途中で眠ってしまいそうであるな」
シルバ、龍漁、ヒイロとタイランも馬車に乗り込み、最後にキキョウが乗って、扉を閉じた。
馬車が、辺境都市アーミゼストへと走り出す。
箱の中は静かだった。
……そして、ほんの数分もたたないうちに、複数の寝息が聞こえ始めたのだった。