戦い終わって
「ひぃっ!?」
御者を務めていた眼鏡の青年オクトは、その場で腰を抜かした。
逃げたくても、身体が動かない。
仮に動けたとしても、目の前の存在は身体全体がバネのようなしなやかさを有しており、あっという間に捕まってしまうだろう。
『……我が何か、そして何故ここに来たか、分かっているようだな』
オクトの頭に響く念話を使う、巨大な白い剣牙虎。
二つの巨大な牙が、月の光で輝いている。
間違いなく、目の前の存在はオクトとその師匠であるテュポン・クロップが精霊炉の稼働に用いた、仔虎達の親であろう。
住処であるモース霊山付近では、神と同じように崇められている存在だ。
今更ながら、そのような恐ろしい存在の子を利用していたことに、背筋が寒くなる。
「ち、違、違くて、その……せ、先生!」
「おおおおお、知っておるぞ、お主! モース霊山の守護者、世界樹の護り手、白き王虎と呼ばれる霊獣フィリオじゃな!」
何と師であるクロップ老は、荷台から身を乗り出し目を輝かせていた。
この胆力は本当にすごいが、時々空気を読んで欲しいと思うオクトである。
『その通り……だがその前に、貴様達は去るがよい』
霊獣フィリオが言うと、馬達を拘束していた金具が自然と弾けていった。
「ひんっ!」「ひひん!」
怯えていた馬達は、一目散に逃げていった。
うらやましいと、心底思うオクトである。
フィリオは逃げた馬達を目を細めて見送り、再びオクト達を見据えた。
『これでよい。……話を戻すぞ。我は、お前達が掠った子達の親である』
「それは違うのう! 儂らは仲介業者から買うたんじゃ! よって掠った者は別におる!」
「そういう話ではないと思うんですが、先生!」
さすがに突っ込まざるを得ない、オクトであった。
『……では、精霊炉に投じ、その力を吸い上げたのは?』
「ああ、それは儂らじゃの」
「ちょ、せ、先生いいいぃぃぃ! それ認めちゃらめえぇぇぇ!」
「案ずるでない。霊獣は人語を解する。ならば、会話も成立するというもの。何ら問題はないわい」
クロップ老は、本当に自信ありげだ。
だから逆に、オクトは不安になった。
「……あの僕、人語を解するのに、まったく会話が成立しない人に、一人心当たりがあるんですが。目の前に」
「そのような者がこの世にいるとは嘆かわしいのう」
『もうよかろう、道化はそこまでだ』
フィリオの声に、どこか呆れがあるのはオクトの気のせいではないと思う。
『お前達は己の研究に、我の子を犠牲にしようとした。故に、その報いをここで受けよ』
静かに、フィリオは口を開いた。
大きな二本の牙が目立つが、口内に並ぶ牙も充分に鋭い。
「それは違うの! 犠牲などとんでもない! そんな勿体ない真似ができるはずもなかろうが! 生かさず殺さず、限界まで霊力を引き出すつもりだったのじゃ!」
「先生それは火に油を注ぐ台詞です!」
『これ以上は、聞くに耐えぬな……!!』
風が揺れ、フィリオの姿が消えた。
いや違う、高く跳躍したのだ。
「ちぃっ! あ……」
クロップ老はポケットに手を伸ばし、そして何かに気付いたようだ。
「しもうた。無敵モードの装置を小僧に取られとったわ」
巨大な剣牙虎が、落下してくる。
「うわあああぁぁぁ!!」
オクトの悲鳴が平原に響き――途切れたのだった。
クスノハ遺跡。
シルバ達は地面にシートを敷いて、休憩していた。
色々と動かなければならないのは分かっているが、体力的にも精神的にも皆、ほぼ限界だったのだ。
スッと、空を舞っていたカナリーが、着地した。
「クレーンの昇降スイッチには細工しておいたよ。階段も崩れているし、下に残ってる爺様の手下連中が昇ってくることはないだろうね」
「何よりだ。あー……疲れた」
シルバは水筒に入れていた香茶を金属カップに注ぐと、カナリーに渡した。
「ありがとう。……さすがに、これ以上働くのは、僕もしばらく勘弁願いたい」
カナリーは岩に腰掛け、香茶の匂いを嗅いだ。
一方ヒイロは、敷かれたシートに大の字になっている。
「同じくー……」
「……とりあえずタイランの鎧の修復は、休憩を挟んでからであるな」
やはり香茶に口づけながら、シートに正座したキキョウは集めた甲冑の残骸を振り返った。
そしてその隣で、やはり正座したタイランは、白衣に身を包んだその身体を縮こまらせていた。
「ご、ご迷惑をお掛けします……あの、ええと……」
「まあ、タイランの諸々の事情とかは後にしないか。……少なくとも、色々隠してたこととかで、責める奴とかはいないだろ……いないよな?」
「……問題なーし」
倒れ込んだまま、ヒイロが手を挙げた。
「いや、問題自体は大ありだよ!?」
突っ込んだのはカナリーである。
それから夜空を見上げ、吐息をついた。
「ただ、話も聞かずに怒るような人はいないだろうね」
「それは無論である」
うむ、とキキョウも大きく頷いた。
むくり、とヒイロが起き上がり、胡座を掻いた。
少し不安そうだ。
「先輩、タイランパーティーから外しちゃうの?」
「いや、だからその話は後でしようってことだったんだけど……まあ、宙ぶらりんなのもタイランも落ち着かないだろうから話しとくと、今のところ俺としては、残留しといてもらいたいんだけどな。理由とかは後回しで。っていうか今、そんな頭回らないし」
「あ、ありがとうございます」
頭を下げるタイランの手を、ヒイロが取った。
「よかったねぇ、タイラン!」
「……ヒイロは、元気だなあ、おい」
「それが取り柄だからね!」
なお、シルバはまだ、立ち上がる気力すらなかった。
他の皆とは違い、それほど動いてはいなかったが、精神的にまだ回復しきっていないのである。
あと、眠い。
眠いが、最低限の話し合いは必要だ。
「さて、まあ急ぎの課題としては、この子達だな」
シルバ達は、シートの中央に固まって眠る三頭の仔虎を見た。
「にぅー……」
シルバの膝元で、リフが心配そうに鳴いた。
「命に別状はないようであるが、目を覚まさぬのだ。シルバ殿、カナリー、本当に大丈夫なのであるか?」
キキョウの問いに、シルバとカナリーは顔を見合わせ、同時に頷いた。
「まあ、生物的には単純な疲労だな」
「僕も同じ見立てだ。もっとも半分精霊だから、そういう意味では医学的に当てにはならないんだけど……」
カナリーは視線を、人工精霊であるタイランに向けた。
コクコクと、タイランは首を縦に振る。
「す、衰弱はしていましたけど、そこはシルバさんが回復してくれましたから……その、後はゆっくり休むのが一番ではないかと」
ちなみにもう一体の霊獣、龍魚はシートの横に敷いた、長いタオルに横たえられていた。
ヒイロが両手をついて龍魚を見下ろした。
「ねえ、タイラン。お魚なのに、陸でも大丈夫なの?」
「龍魚は……水の中に棲みますけど、空も泳げますから、窒息することはないんです」
「そっちも容態は安定しているよ。もう馬車は呼んでるから、後は教会だね。まったく、吸血鬼の馬車が教会に乗り付けるとかどんな冗談だい」
クックックと笑いながら、カナリーは香茶を飲み干した。
「しょうがないだろ。ウチでの保護が、一番安全なんだから」
普段はダラダラしているシルバの師匠であるストア・カプリスだが、何だかんだでこうしたトラブルでは頼りになるのだ。
カナリーからカップを受け取り、香茶のおかわりを注ぐ。
「保護だけなら、別に僕の家でも構わないけどね……さすがに霊獣の世話のノウハウなんて、ないからねえ」
「にぅ……お兄、よろしく」
尻尾をユラユラと揺らしながら、リフがシルバを見上げてきた。
カップを受け取ったカナリーは、スッと都市の方角を指差した。
「逃げた爺さんと助手だけど、少し離れた所に幌馬車だけあったよ。ただ、訳が分からない。二頭立ての馬車だったんだけど、馬は二頭とも逃げてたし、周辺に隠れるところはなかったのに姿が見えないんだ」
「じゃあ、街に戻ったら即手配書を広めないとな」
そんなことを呟いていると、急にリフが立ち上がった。
「に!」
その尻尾がピンと立ったかと思うと、全身の毛を逆立てる。
「ぬ、どうしたのだ、リフ」
「に! に!」
キキョウの言葉を無視して、リフの尻尾が大きく左右に振れた。
「……っ!? な、何であるか、この気配は……!?」
「これは……」
キキョウが鞘に入った刀に手を伸ばし、シルバもリフを抱えて立ち上がる。
何か途方もないエネルギーを持った何かが近付いてくる。
ただ、敵意がないのはシルバにも分かった。
それでも、その存在感は皆を緊張させるのには、充分だった。
ヒイロやカナリー、タイランもまだ眠る仔虎達を守るように、臨戦態勢を取る。
やがて、巨大な剣牙虎が、シルバ達の前に姿を現わした。
『……無事だったようだな、姫』
瞳に静かな知性を宿した霊獣フィリオが、シルバに抱えられたリフを見下ろした。
ピキッと父親の額に血管が浮いたように見えたのは、多分シルバの気のせい……ではなさそうだ。
すみません、何か前回と終わり方が同じになってしまいました。
あとクロップ老の最後の抵抗(失敗)ですが、多分無敵モードの懐中時計があってもその後精霊砲食らって終わりです。




