クスノハ遺跡の決戦(7)
テュポン・クロップ老人が名付けた、『無敵モード』。
それは物理攻撃に対する絶対防御であるが、同時に大きな弱点も存在していた。
一つは使用者の動きが極端に鈍ること。
これは、使用者のパワーを底上げすることで、クロップ老は解消した。
まあ、要するに完全な力業ではあるが、問題点の解決には違いない。
そしてもう一つは魔術攻撃に対する抵抗力が、ゼロになってしまうという点。
初見で見切ることは困難ではあるが、それを知れば、『無敵モード』は脅威たり得ない。
こちらが魔術攻撃手段を有しているならば、むしろ使ってくれた方が美味しいといえる。
つまり、シルバの狙いはそれであった。
懐中時計を飲み込んだ霊獣は、一瞬動きを止めた。
直後、強い波動がその巨体から放たれ、シルバ達を弾き飛ばそうとする。
シルバは、夜空を見上げた。
「カナリー!」
カナリーの身体は赤く輝いていた。
カナリー自身が唱えた『豪拳』の聖句はシルバを経由して神へと届き、『万能たる聖霊』の応えが再びシルバを通してカナリーへと還っていた。
「準備なら、できているとも――『雷槌』!!」
巨大な雷柱が、霊獣の身体を包み込む。
「ガ、アアアァァァァァアアア……!!」
しかし霊獣は足を踏ん張り、まだ倒れない。
身体のあちこちから緑色の煙を噴きながらも、六つの瞳にはまだ力が宿っていた。
ほぼ同時に、リフがシルバの腕を伝い、手の甲へと乗った。
「に!」
「リフも頼む! アイツらを止めてやれ!」
「にぃ!」
リフの口から放たれた精霊砲は、霊獣の中央の顔面を貫通した。
手応えは、間違いなくあった。
「ガ、アア……!」
霊獣の中央の頭が崩れ、左右の頭がリフを睨む。
「そういうことならば、某も及ばずながら協力しよう。――『狐火』」
ボッと、左の頭が妖しい炎に包まれた。
「ギ、イイイァァァ!!」
「おおおりゃああぁぁぁっ!!」
ヒイロの掛け声と共に、右の額が弾け飛んだ。
魔力を帯びた骨剣を、投げ放ったのだ。
三つの頭が砕け、霊獣の身体が変質を開始する。
三つだった頭が統合され、魚のそれに。
毛皮が溶け、鱗が表面に目立ち始め、四つ足がヒレへと変わっていく。
クロップ老がリフの兄弟とは別に掠った半精霊――龍魚の特徴が強く顕われ始めたのだ。
身体から放出される霊気も、緑色のそれから青色へと変化しつつあった。
ただ、その変化は中途半端で、身体のあちこちで青と緑が入り交じる崩れ方になっていた。
半死半生。
一言で言えば、そんな状態だ。
あと、もう一押し。
シルバは、カナリーを見上げた。
首を振られた。
無理もない。
さすがに連発は厳しいだろう。
リフも今の精霊砲で全部を出し切ったようで、シルバの腕に身体を預けている状態だ。
「にうぅ……」
「リフ、入ってろ」
シルバは、リフを自分の懐に押し込んだ。
キキョウも刀を杖に何とか立っている状態だし、ヒイロはそもそも武器自体を投げてしまった。
そんな中でまだ、タイランだけは健在だった。
「シルバさん!」
青白い光を放っていたその身体が、いつの間にか黄金色へと変化していた。
周囲に黄色い火花をまき散らすその姿は、正に雷の精霊だ。
シルバは指を鳴らした。
「――『豪拳』」
黄金色に赤い光が混じる。
龍魚が大きな瞳を動かし、タイランを捉えた。
「グアッ!!」
そのまま巨大な口を開けて、タイランを飲み込もうとする。
しかしタイランはその場を動かす、両手を突き出した。
「いきます!!」
強化された稲妻が、龍魚の口目掛けて放たれた。
一瞬、龍魚の身体が風船のように大きく膨らんだかと思うと、身体のあちこちから黄金色の光が溢れ出す。
そして、ぱぁんと空気が割れる音と共に、弾け飛んだ。
そして、三匹の小さな白虎が三頭、そして一メルトほどの龍魚が空から落ちてきた。
もう一つ煙を噴いた懐中時計も、一緒に降ってくる。
「にぅ!」
シルバの懐で、リフが鳴いた。
「……とりあえず一匹捕まえとくよ。……後は頼んだ」
フラフラと飛びながらも、カナリーが仔虎を一頭、空中で拾い上げた。
「ぬう、某も負けてはおれぬ……!」
力なく、しかしそれでも速く、地面に落ちる直前の仔虎を、キキョウがキャッチする。
そしてそのまま、尻餅をついた。
「と、と、先輩、こっちも捕まえたよー!」
そしてもう一匹を、右往左往しながらもヒイロが受け止めていた。
どうやら体力は一番有り余っているようだ。
「……ちょっと待て。あれ受け止めるのはちょっと無理じゃね?」
大分小さくなったとはいえ、一メルトの龍魚である。
魚としては普通に大きいし、受け止める角度を間違えれば額の角が身体に突き刺さりそうだ。
「に。お兄、ポケット」
「え、あ」
シルバは考えるより早く、ポケットからウネウネと蠢く蔓を取り出した。
「タイラン、リフ、頼む」
「は、はい」
「に!」
シルバが放り投げた蔓が大きく成長し、空に向かって伸びていく。
龍魚の身体を蔓が絡め取ったかと思うと、落下の勢いは失われていき、やがてその身体はゆっくりと地面に横たえられた。
「はぁ……」
タイランの身体は、木属性なのだろう緑色に変化していた。
「助かったよ、タイラン」
「え、あ、は、はい……」
シルバが声を掛けると、タイランはハッと顔を上げた。
色を除けば、十代半ばの髪の長い乙女に見える。
しかも全裸だ。
……シルバは少し考え込み、片手に持っていた白衣をタイランに渡した。
「その格好はちょっとどうかと思うんで、これでも着といてくれ。リフは、みんなと一緒に兄弟をお迎えだ。俺はまだ、することが残ってる」
「にぅ」
懐からリフを取り出すと、シルバは後ろの遺跡を振り返った。
「あの爺さんには、しっかり落とし前をつけてもらわないとな」
「な……」
シルバは絶句した。
遺跡の陰に隠していた、クロップ老とその助手であるオクトがいなくなっていた。
カナリーの雷の縄が切れたのか?
いや、それならカナリーはそう言うだろう。
周囲を見渡し、ふとシルバは水たまりがあるのに気がついた。
その水面が、微かに揺れている。
「まさか……」
シルバは考えた。
縄の電気を、水たまりで拡散させたのか?
とにかくここに、クロップ老の気配はない。
「……やられた」
シルバは舌打ちした。
クスノハ遺跡から一ケルトほど離れた場所。
「欲しい! 欲しいのうあの精霊!」
髪の毛をチリチリにさせたテュポン・クロップは、馬車に揺られていた。
御者は、同じく髪の毛をチリチリにさせた眼鏡の青年オクトである。
乗っている幌馬車は、普段は自動鎧モンブランを運搬するために使用していたモノで、別の遺跡の陰に隠していた為、シルバ達には見つからなかったのだ。
「せ、先生落ち着いてください」
馬車を操りながら、オクトが師匠であるクロップ老を宥める。
だが、クロップ老の興奮はまったく鎮まらなかった。
「これが落ち着いていられるか! 霊獣とは違う、自我のある精霊じゃぞ! しかも属性が固定されておらぬのは、見たであろう!?」
「そ、それは見てましたけど……」
「おそらくあのタイランという精霊は、己の属性を自在に切り替えられるのじゃ。信じられるか!? そのような精霊、聞いたことがない! 是が非でも手に入れる! 奪われた霊獣たちも取り戻し、さらなる精霊炉を! そしてモンブラン三十二号を完成させるのじゃ!」
「……十六号を飛ばして三十二号ですかー」
「そうじゃの、望みは高く百二十八号と行くか! カッカッカ!」
クロップ老は高笑いをした。
「でも先生、他の助手はいなくなってしまいましたし、そちらも救出しないと駄目なんじゃないですか?」
「ふん、そんなモノ、新たなモンブランが完成すれば、問題ないわい。牢獄だろうとどこだろうとぶち破ってしまえば問題なかろう」
「そういうもんですか……うわっ!」
馬車が急停車し、オクトの身体がつんのめった。
クロップの身体もその急制動に、荷台の中で転がった。
「ぬぅ……どうした? オクトよ、何故止まる?」
「わ、分かりません……急に馬が怯えて……」
「何じゃと?」
見ると、確かに二頭の馬が震えていた。
まるで、正面に何か化物でもいるかのように、必至に後ずさろうと努力する。
しかし身体そのモノが、動かない、動けないようだった。
何故なら、冷徹な殺意を持った視線が、幌馬車を射竦めていたからだ。
もはやその気配を隠そうともせず、ノソリ、と太い前脚を踏み出し、ゆっくりと近付いてくる。
クロップ老達に迫る、剣呑な気配。
それは、巨大な白い虎の形をしていた。




