クスノハ遺跡の決戦(4)
「にぅ……」
リフが小さく鳴く。
一応全員の意見は念話を通じて聞いてはみたが、答えは一致していた。
「……まあ、やるしかないよな」
ここで逃げるぐらいなら、最初から来ていないのだ。
ただ、ここは場所が悪すぎる。
この地下遺跡の底はそれなりに広いとはいえ、それでも霊獣は大きく、シルバ達が戦うには少々手狭なのだ。
夜空を見上げる。
できれば、地上が望ましい。
「カナリー、それにキキョウ。ちょっと無理してもらえるか?」
シルバは二人に呼びかけた。
「心得た」
「……やれやれ、無茶を言うね」
キキョウはその場で跳躍し、そのまま半壊した天井を蹴ると、壁に沿った石の階段を駆け上がっていった。
紫色の淡い光を纏ったキキョウの姿がどんどんと小さくなっていく。
一方カナリーは地面を蹴ると、そのままシルバに向かって飛んできた。
「よろしく頼む。なるべく早く追いつくから」
シルバは懐からナイフを取り出すと、鞘から抜いた。
刀身に呪文の彫られたそれで腕を引き裂くと、鮮血が迸った。
「に! にぃ!」
「……心配してくれるのは分かるけど、大丈夫だリフ。このナイフには、痛み止めと治癒の加護がある。出血は派手だが、傷はすぐに塞がる」
魔剣の一種である。
そしてシルバが自分を傷つけたのはもちろん、カナリーに血を吸わせるためだ。
「いわゆる前払いって奴さ。もらうよ、シルバ」
「お手柔らかにな」
カナリーは優雅に一礼すると、シルバの腕に吸い付いた。
シルバの腕から力が抜けていき、カナリーの紅瞳が妖しく輝く。
「ごちそうさま、シルバ。じゃあ待ってるよ」
カナリーはシルバにハンカチを投げつけ、跳び退った。
そのまま超低空飛行で向かった先は、クロップ老と彼を守る眼鏡の青年オクトだった。
二人の身体を、雷の縄が幾重にも巻き付いていく。
「ぬおっ!? き、貴様何をする!?」
「ひいっ!?」
カナリーは雷の縄を引っ張ると、夜空に向かっての垂直飛行へと移行した。
縄で縛られた二人の身体も、宙を浮く。
「時間稼ぎさ! さあ、空の旅と行こうじゃないか! 君も来たまえ!」
カナリーの手から放たれた雷撃が、ようやく視力を取りもどした霊獣の頭を直撃した。
「ガアッ!!」
大きな怒りの叫び声を上げ、霊獣は自分を撃った者を見上げた。
カナリーと、そして自分の今の怒りの根源であるクロップ老。
「グルルルル……ガアアァァ!!」
霊獣の身体の光が一際強まり、カナリーを追うべく跳躍する。
空間自体を足場にした、高速疾走だ。
すさまじい速度でカナリーに、いや、カナリーが手に持った雷の縄に一括りにされた、クロップ老とその助手へと追いつこうとしていた。
もちろんカナリーも、その場に留まっているはずがない。
「ひぇっ、おっかないねえ……! まったく人二人抱えての霊獣からの全力逃走なんて、正気の沙汰とは思えないよ、シルバ!」
「うおおぉぉ……!? は、離せっ、離さんかぁーーーーー!!」
「く、来る! ちょ、大きい口が来るってばぁ!」
「グルアァァ!!」
カナリー達と霊獣の姿が遠ざかっていく。
「よし、行くぞ、ヒイロ、タイラン。急いで追いつかないと」
シルバは駆け出した。
「は、はい……!」
「先輩、他の連中はいいの?」
シルバと併走しながら、ヒイロは倒れたり腰を抜かしている、ローブ姿の男たちを指差した。
「いい訳ないだろ。リフ、途中で階段ぶっ壊すぞ」
「に?」
「あ、やっぱ逃がす気はないんだ」
ロープで全員を縛るような時間の余裕はない。
地上に上るには、壁沿いにある幅の広い岩の階段か、クレーンしかない。
「街中で銃ぶっ放すような連中、野放しにできると思うか? ま、後始末はまた、先生に頼むことになりそうだけどな」
シルバが目指したのは部屋の隅にあった、金網の仕切りと鉄骨の柱、そして鉄板の床で構成された大きな箱だった。
天井はなく、四角から伸びた鉄骨が高いところで結ばれた四角錐である。
頂点には鎖が繋がり、それは遥か天に伸びている。
クスノハ遺跡に到着した時に見た、クレーンである。
「どれだけの速さかは、ほとんど賭けだな……」
「で、ですね……多分昇降スイッチは、これだと思います」
シルバ達はクレーンの箱に乗り込んだ。
タイランは、天井から伸びたワイヤーに繋がっている、長方形の板を拾った。
板には二つのボタンがあり、上向きと下向きを示す三角形が刻まれていた。
タイランは多分と言ったが、昇降スイッチで間違いないだろう。
上向きの三角ボタンを押すと、ガクンとクレーンが動き、箱が浮き始める。
思ったよりは速い。
「……焦れるね、先輩」
ヒイロは夜空を見上げながら、呟いた。
「分かる」
最悪、シルバ自身とヒイロは『飛翔』を使って一気に壁沿いにある岩の階段まで到達し、タイランだけクレーンで昇ってもらうということも考えていたが、これなら全員クレーンで昇った方が速い。
今の見込みだと、一分も掛からないだろう。
それでも、気持ち的には焦れったいのだ。
垂直に昇るクレーンの箱は、そろそろ半分ほどには到達しただろう。
シルバは壁沿いに見える岩の階段を指差した。
「リフ、精霊砲を頼む」
「に」
リフの精霊砲が、岩の階段を半分ほど砕いた。
下に残っているローブ姿の男たちの足止めである。
そしてクレーンはどんどんと引き上げられ、シルバ達を乗せた箱は地上に到達した。
長い鉄橋が穴の端から伸びていて、箱まで繋がっている。
「カナリー達は……まあ、分かるよな」
「あれだ」
「……あれですね」
鉄橋を渡りながら、シルバ達はそれを見た。
一際大きく激しい緑色の光を嘲笑うかのように、黄金の光が宙を舞い、四肢に対しては紫色の光が何度もぶつかっている。
時折、緑色の光――霊獣が精霊砲を放ち、地上に残っているクスノハ遺跡を破壊しているようだった。
考えるまでもなく、黄金色と紫色の光はそれぞれカナリーとキキョウだろう。
「おっかねえなあ……」
「にぅー……」
「先輩、『凶化』はもうちょっと待った方がいいよね」
ヒイロの問いに、シルバは頷いた。
「……ああ、ここでやって、途中で切れるとヤバいからな。まあ、短期決戦になりそうだけど」
「長引いたら、勝ち目なさそうですからね……」
「ま、覚悟決めるしかないな……ん?」
シルバは走りながら、戦う二人と一匹から少し離れた場所に、霊獣のそれより鮮やかな緑の光点がポツンとあるのを、見たような気がした。
「どうしたの、先輩?」
「いや……」
目を凝らすと、やはりそんな光点はなかった。
遠くに見える灯りは、辺境都市アーミゼストのモノだ。
「気のせいか」
鉄橋を渡りきり、シルバ達は光に向かって走り出す。
「ちょ、死ぬ! 死んじゃいますよこれ!」
遺跡の砕けた石壁に隠れるようにして叫んでいるのは、眼鏡の青年オクトだった。
一緒に雷の縄で括られているクロップ老は、霊獣から目を離さないでいるようだ。
「ふはははは! すごいのう! これが霊獣の力か! 素晴らしいわい!」
地上に到達したカナリーは、ここで霊獣を釣る餌としての役割を果たした二人を離したようだ。
まあ、こんなお荷物を抱えたまま、空を飛び続ける訳にもいかないだろう。