お風呂に入ろう
アーミゼスト北部、グラスポート温泉街。
雨上がりの湿った地面に、何十かある公衆浴場のあちこちから湯気が立ち、相当に湿気が高い。
リフを連れたシルバは使い魔の入浴も可能な風呂を選び、更衣室で法衣を手早く脱ぎ、タオルを腰、桶を脇に、湯煙漂う岩作りの温泉に入場した。
ムワッとした白い湯気が、一人と一匹を包み込む。
「そして温泉な訳だが!」
「に!」
元気よく、桶に入ったリフも返事をする。
「風呂が好きか、リフ」
「に!」
「お前はそれでも猫科の動物か! もうちょっと嫌がるモノだぞ!」
「に!」
「……まー、暴れられて、手が爪痕だらけになるよりは、よっぽどマシか」
ボヤキながら、まずは身体を洗う事にした。
岩に腰掛けると、リフが尻尾をゆらゆら揺らしながら、自分を見上げているのに気付いた。
その視線を追うと、自分の左胸にある大きな傷痕に辿り着く。
「ん、何だ気になるか、これ」
「に」
「昔、死んだ事があってなー。その時の名残だー。まあ、神様に助けてもらったんだけどなー」
ざばーっとお湯を浴びながら気楽に言う。
「に!?」
リフの毛が逆立った。
ちなみにこの傷は、完全に貫通している為、背中にまで到達している。
「まあ、今は全然平気だから、問題ないって。それよりお前も洗うから大人しくしろよー」
「にー」
自分の身体と一緒に、リフの毛もワシャワシャと泡立てていく。
薄汚れた毛皮がどんどん白くなっていき、黒いトラ柄も現れてくる。
「つーか目は瞑ってろよ。泡が目に入ると、ちょっとシャレにならん」
「に」
リフは四本足で行儀よく立ったまま、短く返事を返した。
ゆっくりと湯を掛けると、泡が流され真っ白い仔虎の姿が現れる。
「うっし、出来上がり。……うわ、何だこの美人さん」
「に」
思わずシルバはリフを抱え上げた。
「つーか雄? 雌? あ、やっぱり雌か」
「にー!」
リフの蹴りが、シルバの顔面を捕らえた。
「ぐはあ、虎キックっ!?」
それから二人は風呂で小一時間ほど過ごした。
脱衣所で着替えを終え、フロントに出る。
温かい風呂場から出ると、少し肌寒い気もするが、それもまた今のシルバ達には心地いい。
「んー、いい湯だったー」
「に」
「風呂と言えば上がった後の冷たい牛乳!」
シルバは、売店で買った瓶牛乳を高く掲げた。
リフの尻尾もピンと立った。
「に!」
「……お前はぬるいのな。腹下すと困るから」
「にぃ……」
ちょっと残念そうな、リフだった。
公衆浴場を出た所で、バッタリと見知った顔と遭遇した。
「あれ、先輩?」
首からタオルを引っさげた鬼っ子、ヒイロだった。
相変わらず、小柄な身体に見合わない大きな骨剣を背負っている。
「おや、ヒイロ」
ヒイロは、シルバの懐を指差した。
リフは行きと同じように、シルバの懐に潜っていた。
「その子、新しい仲間?」
「……俺が言うのもなんだけど、どこまで種族にフリーダムなんだよ。いくら何でもこんな小さな仔虎が、新しいパーティーメンバーな訳あるかい」
「に?」
よく分からない、とリフは首を傾げる。
「うーん、肉球は魅力的だけど、やっぱり解錠技術とかに不安がありそうだよね。そして先輩、その子をボクに」
大きく両手を広げた。
「パスだ! 撫でたい!」
「にぃ……」
あまりにテンションの高いヒイロに、リフはシルバの懐深くに隠れた。
それを落ち着かせるように、シルバはリフの頭を撫でる。
「言っとくけどコイツ、食い物じゃないからな。食うなよ。絶対食うなよ。パスは無しだ。撫でるだけなら構わん」
「大丈夫だってー。いくらボクがお肉好きだからって、そんな可愛い子、食べる訳ないじゃん」
「に……」
ようやく落ち着いたのか、ひょこっと再びシルバの懐から仔虎は頭を覗かせる。
「大丈夫だぞー。コイツも俺の仲間だから」
「に」
「……おおー。心と心が通じ合ってる? もしかして先輩、この子と『透心』の契約結んじゃってたり?」
「ないない。できるっちゃーできるけど、情が移るしな」
言って、その辺りは最早手遅れかもしれんと思うシルバであった。
「それよりヒイロも風呂だったのか?」
「あ、うん。修練の途中で雨降ってきたから」
ヒイロは、背後の大きな個室風呂浴場を指差した。
このグラスポート、他にも電気風呂や流れる風呂など様々な風呂が存在するのだ。
「タイランは? 別行動取ってるのか?」
「いや、途中までは一緒だったんだけどね。ただ、タイランはお風呂じゃなくて……」
ヒイロは、向こうを指差した。
シルバとリフが指の先を追うと、小さな鍛冶屋に辿り着く。
鍛冶師は大量の汗をかくので、グラスポートのすぐ近くが鍛冶街なのだ。
ちょうど、その小さな鍛冶屋から大きな鎧がノソリ、と出てきた所だった。
タイランは、ノンビリした足取りでこちらにやってくる。
「も、戻りましたー……って、シルバさん?」
タイランの甲冑は、妙に光沢が増していた。
「……そうか。確かにタイランは、風呂入る訳にはいかないよな」
三人と一匹は、一緒に帰る事になった。
リフも横着せず、シルバと並ぶように自分で歩く。
「あ、大体この辺で拾ったんだよな、コイツ」
シルバは木箱の積まれた場所で足を止める。
「酷い飼い主もいたもんだねー」
帰り道、リフを拾った経緯を聞いていたヒイロは憤慨する。
「兄弟とか、いなかったんでしょうか……? 虎とか猫って、何だか一度に数匹単位で生まれてくる印象があったんですけど……」
心配げなタイランに、シルバもちょっと気にならないではなかった。
「お前、兄弟とかいるの?」
「にぃ……」
リフは元気なさげに鳴くばかりだ。
その時、背後から声が掛けられた。
「き、君達、ちょっといいかな」
振り返ると、眼鏡を掛けた気弱そうな青年が立っていた。
ローブを着ている所を見ると、どこかの魔術師だろうか。
「ん? あー、タイランのナイスバディに見惚れるのは分かるけど、この子、男の子だよ?」
「は!? あ……えっ……ナ、ナンパなんですか!?」
ヒイロの言葉に、タイランがたまらず後ずさる。
「……瞬間的にそういう発想出てくる所とか、ヒイロ、ホントにスゴイよな」
呆れるより、本気で感心するシルバだった。
しかし、どうやら青年の用事はタイランではなかったようだ。
「ち、違う! いや、違います。我々が訊ねたいのは、その子のことです」
「コイツ?」
リフは、シルバの懐の奥に隠れようとしていた。
「はい!」
「に……」
元気のいい青年の声に、シルバの懐内にいるリフの姿は、いよいよ耳しか見えなくなっていた。
リフが喋れるはずもなく、シルバが代わりに訊ねる。
「どういうことでしょう。この子の飼い主なんですか?」
「えー」
ヒイロは眉を寄せた。
「そ、そうなんです! ああ、ホントどこに逃げたのかと思ったら……本当によかった」
彼は、心底安堵している様子だった。
が、シルバは逆に警戒していた。
明らかにリフは怯え、警戒している様子なのだ。




