『墜落殿』に関して
学習院を出ると、日はもう傾き始めていた。
シルバたちはここ最近、お気に入りになっている朝霧亭で、少し早いが夕食をとることにした。
丸いテーブルを囲み、並んだ料理をそれぞれ食べ始める。
サラダをフォークでつつきながら、シルバは話を切り出した。
「墜落殿の未到達区域に、図書館と美術館があるらしい。そこに行くのが、俺の当面の目標かね」
墜落殿は、辺境都市アーミゼストの外れにあるダンジョンだ。
いや、より正確には墜落殿があったからこそ、このアーミゼストができたというべきか。
古代オルドグラム王朝時代の名残であるそれは、名前通り墜落した空中都市であり、様々な施設が逆さまの廃墟として残っている。
いまだ未探索の部分が多く、訪れる冒険者は後を絶たない。
いまだ未発見ではあるが、都市である以上、文化的な施設である図書館や美術館も存在するであろうというのが、冒険者間の通説であった。
「魔王領絡みなら、武器屋も見た方がいいんじゃないかい? そういうダンジョンなら、商業区画もあるだろう?」
カナリーの提案に、シルバは頷いた。
「先にそっちを発見できたらな。個人的には教会の使命より、『万能たる聖霊』のことの方が気になるし」
シルバは、サラダをつついていたフォークを置いた。
「ちなみに教会の使命としては、魔王領攻略に充分な成果を上げた場合、昇級とその任務からの解放ってのが約束されている。まあ、命懸けで仕事こなして次また頑張れじゃ、現場もキレるよな」
「そ、それは確かに嫌ですね……」
タイランは、いつも通りの桃蜜水だ。
「むぅ……では、シルバ殿は、その墜落殿での探索が終わった後は、どうするのであるか?」
魚を、自前の箸でほぐすキキョウの問いに、シルバは軽く唸った。
「正直分からん」
「何と」
カクッとキキョウの身体が傾いた。
「そんな、明日明後日に発見できるもんじゃないしなぁ。一応大雑把には四つのルートがあるけど。一つは冒険者続行、一つは出世してどこかの教区を受け持つ普通の神官の仕事に就く、一つは魔王討伐軍に出戻り、一つは何があったのか還俗して何かする」
指折り数えるシルバに、カナリーがやれやれと首を振った。
「……本当に大雑把すぎるね。最後の還俗して何かするとか曖昧にも程があるだろ、君」
「これでも考えた方だと思うぞ。まあ、そもそもからして、指示が指示だからさ、墜落殿に拘る理由もないんだよな。情報があるなら別に余所の国に行ってもいいし」
ただ、墜落殿は未知であるからこそ、様々な可能性がある。
魔王領に関する資料だってあるかもしれないし、なければないで、それもまた手がかりだ。
仮に、古代には魔王領自体がなかった、というのであれば時代が特定できるし、教会からの使命は果たせたといえるのではないか。
「僕としても、ストア先生の話を聞く限り、魔族との戦争とは別ベクトルで、魔王に関してはより深く知ることができそうな気がする。ま、これはあくまで勘だけどね。あと、単純に『万能たる聖霊』に関して、興味深い」
ワインを傾けながら、カナリーは笑う。
「これでも学究の徒だからね」
「……というか、完全に道楽貴族になってないか?」
シルバの問いに、カナリーは肩を竦めた。
「今の時点で、仕事と両立はできている。余所の国に行くのなら、いくらでも資料を取り寄せられるよ? 何せ我が家は外交を得意としているのでね」
「そうだな、その時は頼りにさせてもらおう」
すると、少し遠慮気味にキキョウが割り込んできた。
「ひ、東の国のことなら、某の方が詳しいであるぞ」
「ほほう、サフィーンとか?」
カナリーが言うサフィーンは、大陸の東に位置する大国である。
「ジェ、ジェジェ、ジェントのことなら、任せるのだ」
ダラダラダラと汗を掻きながら、キキョウが言う。
サフィーンのさらに東、いわゆる極東の小さな島国が、キキョウの故郷であるジェントであった。
「性格悪いなぁ、カナリー……」
「褒め言葉だね」
ニヤニヤと笑うカナリーに、シルバは困った顔を作った。
各国の詳しい資料というのならば、貴族であるカナリーの方が分があるに決まっている。
いくら国が近いといっても、自国と隣国はやはり違うのだ。
「それに、単に意地悪で聞いた訳じゃないよ」
ふふん、とカナリーが上機嫌に笑う。
少しワインで酔っているのか?
「というと?」
「極東の島国であるジェントから、この辺境都市アーミゼストにたどり着くにはまず、西側の隣国であるサフィーンを経由するのがセオリーだろ? 東側の海洋ルートが開拓されたなんて話、聞いたことがないし。なのにまるで、サフィーンに行ったことがないような発言をするなあと思ってさ」
「い、いい、行ったことがないとは言っていないのである」
ススス……と視線が逸れるキキョウ。
どこまでも、嘘が下手くそなサムライであった。
「なら、あるのかい」
「シ、シシ、シルバ殿ぉ……」
カナリーのさらなる追撃に、ついに涙目になったキキョウがシルバに助けを求めてきた。
しかしカナリーは非情である。
「おやおやおやぁ? どうしてそこでシルバに助けを求めるのかなあ?」
「カナリー、勘弁してやって。人それぞれ、事情があるんだし」
スッと、カナリーの目が細くなった。
「それはパーティーメンバーが知らなくても、問題ない事情かい?」
「多分な」
シルバはキキョウが今、このアーミゼストにいる事情をある程度知っている。
遥か東の果てに残してきた国のしがらみが、今すぐキキョウをどうこうできるとも思えないし、話すタイミングとしては、今はまだ早すぎる気がするのだ。
「ふぅ……某は特に背負う任も無し。今は、シルバ殿についていくのである。運がよければ、大手を振って母国にも帰れるのである」
「……キキョウ」
安堵するように言うキキョウに、シルバは自分の顔を手で覆った。
色々台無しであった。
「ぬ? 某、何か変なことを申したか?」
不思議そうな顔をするキキョウに、さすがにカナリーも苦笑いするしかなかったようだ。
「……君ね、せっかくシルバが言葉を濁してくれたのに、自分から母国に帰れない何らかの事情があるって言っちゃって、どうするんだい?」
「ひぁっ!? い、いや、違うのだ、シルバ殿。今のは言葉の綾であってだな」
慌てるキキョウを無視して、シルバはパンと手を叩いた。
「はい、今のは聞かなかったことにしよう。みんな、オーケー?」
「承った」
力なく、カナリーは笑って了承した。
一方ヒイロはようやく、料理を掴む手を止めて、顔を上げた。
「え、何の話? 先輩も、お肉いる?」
「いらん。食ってろ」
「はーい」
再びヒイロは肉を主に、食べ始めた。
「あ、あの……」
「ん、タイラン……」
何か言いたげなタイランに、シルバは少し考え、答えることにした。
「……これでも、司祭だ。秘密は守るぞ?」
「その、すみません……もうちょっとしたら、お話、したいと思います。今はまだ、ちょっと……」
表情は兜で読めないが、どことなくしょんぼりとした様子だった。
話したいことはあるけれど、決心がつかないといったところか。
こういうのは無理に聞き出さず待つ方がいいと、とシルバは経験上、知っていた。
「はい、タイラン」
ヒイロがドン、と新たな桃蜜水のジョッキを、タイランの前に置いた。
なお、もう一方の手は骨付き肉を手放していない。
「ヒ、ヒイロ……ありがとう、ございます」
「悩みごとなんて、お腹いっぱいになったら大体解決するよ?」
「暴論の極みが出たぞ、おい……」
しかもあながち、的外れでもない辺りがタチが悪い。
シルバが呆れていると、ステーキを切っていたカナリーが口を挟んできた。
「まあでも、食事の最中に重い話をすると、確かに味がぼやけるね」
「す、すみません……そういうつもりでは……」
恐縮するタイランに、カナリーは笑いながらそれを制止した。
「あー、気にしなくていいって。時にタイラン、君、ワインはいける方かい?」
タイランの方はカナリーに任せてよさそうだ。
そう判断したシルバは、ヒイロを見た。
「この際だから流れで聞くけど、ヒイロは何か意見あるか? これからのこととか、悩みとか」
シルバの問いかけに、ヒイロはちょっとだけ、食べる手を止めた。
けれど、また食べ始めた。
「うーん……ムシャ……特にないなあ。んぐ……ちゃんとご飯を食べられなくなるのは……モグ、ンム……困るかなぁ?」
「それは大体、みんなそうだな。あと、食いながら喋るな」
ヒイロに突っ込んでから、シルバは皆に向き直った。
「じゃあ、これまで都市周辺の野生モンスターの討伐や、行方不明になった行商人の捜索とかしてたけど、もうちょっとしたら墜落殿の探索を始めたいけど、いいか? 何か俺の都合みたいになっちゃってるけど」
「ボクは全然いいよ? 楽しそうだし」
「某に異存はござらぬよ」
「同じく」
「わ、私も……大丈夫です」
そういうことになった。
ただ、それで万事片がついた……とは言いがたいのだ。
「……悩ましい問題が一つ残ってるんだよなぁ」
「盗賊」
ビッと指を突きつけてきたカナリーに、シルバもビッと指を突きつけた。
「それな」
「ダンジョンとなると、どうしても必要だろうね。入ったことはないけど、ダンジョンに罠探知や解錠といったスキルが必須ってことぐらいは分かるよ」
そして、そうした技術の持ち主は、今のパーティーにはいないのだ。
「さっさと見つけたいところだが……なかなか、なぁ」
シルバは憂鬱に、ため息をついた。
なお、罠や閉じた扉を「罠は外れろ」だの「開け」だのと口頭命令で全部退けてしまう、とんでもない奴もこの世界には存在します。




