『万能たる聖霊』
「『万能たる聖霊』……もちろん、僕は知っている」
カナリーは頷いた。
そして、ヒイロを見た。
「しかしこの場合、一番よく分かってない子を相手に説明してあげるのが、いいと思うんだがどうだろうか?」
「はい、分かりません!」
元気よく、ヒイロは返事をした。
ストアは微笑み、パンと手を軽く叩いた。
「分かりました。『万能たる聖霊』というのはですね、すべての大元です。この世界を作ったのも、この『万能たる聖霊』と言われています」
「ん? この世界を作ったのは、神様じゃないの?」
「そうですね。神様も、『万能たる聖霊』の一部なので、誤りではないのですよ」
「ゴドー聖教の神様も?」
「はい、そうですね。大雑把に言えば動植物もそうですし、言葉とか時間とか、形のないモノも全部、含まれます。この辺りを突き詰めていくと、時間が足りなくなるのでそういうモノだと思ってください」
「ん、んー……? ボクが生まれたのは『万能たる聖霊』とか関係なくて、お父さんとお母さんのお陰じゃない?」
シルバとカナリーが、ギョッとヒイロを見た。
時々、ヒイロはおそろしく鋭いところを突くのである。
しかし、ストアはまったく動じず、否定する様子もなかった。
「はい、そうです。生まれるというよりも、ここに在ることが『万能たる聖霊』のお陰とお考えください」
「よく、分かんないです。『在る』って何?」
ヒイロは首を傾げた。
「一番手っ取り早いのは『名前』という概念でしょうか。ヒイロさんのお名前は、ご両親が付けたんですか?」
「うん、そうです」
「じゃあ、そのヒイロさんのお名前を『万能たる聖霊』が拒否したとしましょう」
「ん?」
「すると、ヒイロさんの名前が、この世界からなくなるんです。『万能たる聖霊』は、この世界そのモノですからね。実際にはそんな意思はないとされていますが、便宜上、拒否したと仮定しましょう」
するとどうなるかというとですね、とストアは続ける。
「みんながヒイロさんのお名前を呼ばなくなります。『あの』とか『そこの』とか呼ばれるようになります。ヒイロさんは今、ここにいますけど、名前がなければ『ヒイロさん』はいませんよね?」
「え? でもボクはここにいて……でも、あれ? ボクが自分で名乗るのも、なし?」
「なしです。『万能たる聖霊』がそれを認めません」
ヒイロはしばらく唸り、何度も首を傾げたが、最終的に頭を抱えた。
うっすらと頭のてっぺんから煙が出ていた。
「えぇー? ボクちゃんとここにいるのに、消えちゃってる!?」
ヒイロはここにいて、今も生きている。
しかしその名前が奪われてしまえば、『ヒイロ』という存在は消えてしまう。
かなり悩み、ヒイロはそういう結論に達したようだ。
「ヒ、ヒイロ、それ以上考えると、倒れてしまうかもしれません……!」
タイランが、ヒイロの頭を手で扇いだ。
もっとも、その手は籠手なので、あまり効果はないが。
「『万能たる聖霊』の、あくまで一例です。全部なので、この世界のすべての知識とかも、『万能たる聖霊』には含まれてます。時間も含まれるので、『万能たる聖霊』と接触できたなら、過去の事柄や未来の出来事も知ることができるとされています」
「……とりあえず、何でもってこと、かな?」
「はい。何でもです」
大変大雑把なヒイロの解釈だったが、間違ってはいない。
シルバは、周囲に積まれた書物を、グルリと手で示した。
「ここにある書物は『万能たる聖霊』にまつわる記録だよ。ゴドー聖教や余所の聖書はもちろん、地方の言い伝えやお伽噺なんかも含まれてる」
「ゴドー聖教じゃ、カナリーさんみたいな吸血鬼って認められてないんじゃなかったっけ? 『万能たる聖霊』が何でもっていうなら、吸血鬼も含まれないとおかしくない?」
ヒイロの疑問は、シルバにも理解できた。
けれど、そこに矛盾はないのだ。
「あ、それはゴドー聖教にとって、吸血鬼の存在が都合悪いだけ。大体政治や組織の都合だから気にしなくていい」
単に教会がそう言っているだけで、『万能たる聖霊』は関係ないのだ。
「いやいやいや、ちょっと待ちたまえ、シルバ。その通りかも知れないけど、司祭の位にいる人間があっさり口にしていい台詞じゃないぞ!?」
カナリーが、慌てて立ち上がる。
「大丈夫ですよ。私、司教ですし」
ゴドー聖教の司祭シルバ・ロックールの上司である、ゴドー聖教司教ストア・カプリスがにこやかに言い、カナリーは盛大にずっこけた。
「なお問題じゃないかな!?」
何とか起き上がるが、ストアはあくまで穏やかだ。
「バレなければ、問題にはなりませんよ」
「それ、聖職者が言っていい台詞じゃないんじゃないかな!?」
カナリーがいてくれると俺、かなり楽でいいなとシルバは香茶を啜った。
一人でストアを相手にしていると、大体息切れしてしまうのだ。
その間に、シルバがヒイロに説明することにした。
「あー、ヒイロ。つまり、ゴドー聖教と吸血鬼の関係は、『万能たる聖霊』そのモノには関係ないんだ。『奴らの存在は認められない。ぶっ殺せ』なんて思想はそこいら中にあるし、認めるも何も『万能たる聖霊』自体は、ただ在るだけに過ぎない」
教会と吸血鬼の関係は、それだけの話だ。
ただ、『万能たる聖霊』の話には、続きがある。
「でも、『万能たる聖霊』に接触できるとしたら?」
「……物知りになれる?」
割と真剣に聞いたのだが、ヒイロの答えは平和だった。
シルバの身体が、ガクッと傾く。
「世界中の人間が、ヒイロみたいに考えてくれるといいんだけどな」
確かに『万能たる聖霊』はこの世界のすべてであるから、物知りになれるというのも間違いではない。
シルバは頭の中で、何人かの知り合いを思い浮かべた。
そして助祭時代に出会った一人の人物を例に挙げることにした。
「俺の知ってる奴に『六つ言葉』ってのがいる。元々は、地方の土着信仰宗教の神子をしていた奴だ。六つまでの言葉なら、基本的には何でもできる。何かに対して『燃えろ』っていえばそれは燃えるし、『消えろ』っていえば消える」
「ん? シルバ、基本的、というのは?」
カナリーが食いついてきた。
ストアとの会話に疲れながらも、こっちの話はしっかり聞いていたらしい。
「人間の器だから限界がある。六つまでっていうのは正にそれだし、たとえば大きな音や沈黙の魔術で妨害もできるんだよ。生き物に対して『死ね』とかいう命令も、何か効きにくいらしかったな」
それまで大人しく話を聞いていたキキョウが、小さく手を挙げた。
「その者は、今どのように暮らしているのであるか? よからぬ輩から利用されたり命を狙われることが、充分考えられる話なのである」
「一応、信用出来る人間以外には、その力のことは秘密にするようには言っといたけど。先生に預けてからは、俺も知らないし」
「秘密です。平和に暮らしていますよ」
ストアの穏やかな笑みを浮かべたまま、そう言った。
「平和、ねえ……」
カナリーはストアが何を考えているのか、その表情から読み取ろうとしていたようだったが、諦めたようだ。
「……まあ、そう考えた方がいいんだろうね」
はい、と勢いよくヒイロが手を挙げた。
「じゃあじゃあ、先輩とか先生は、その『万能たる聖霊』の力が欲しいの?」
「いや? そういうのじゃないんだ」
シルバは首を振った。
研究しているのは『万能たる聖霊』だが、それはその力に触れるためではない。
あくまで、手段の一つに過ぎないのだ。
ストアを見ると、彼女はニッコリと頷いた。
「ここからは、魔王のお話になります」




