ストア先生、迷走す
それからしばらく時間が経ち。
「遅い」
シルバの師匠であるストア・カプリスは戻ってこなかった。
ここから更衣室の往復距離、着替える時間を計算に入れても、遅すぎる。
部屋の片付け、といっても積まれた書物を、別の積まれた書物に重ねるだけの作業だったので、もうすることはなくなっていた。
「シルバ。これは僕の推測なのだが……」
そんな事を考えるシルバに、カナリーが真面目な顔を向けた。
「……あの先生、まさか迷子になっていたりしないだろうね?」
「普通にありえる!!」
扉に向かうシルバの法衣を、カナリーは摘まんだ。
「いやいや、ちょっと待つんだシルバ。自分で言っておいて何だがね、この研究室、それなりの年季が入っているようじゃないか。つまりここへの出入りだって、日常茶飯事のはずだろう?」
つまり、いくら何でも迷子はあり得ない。
カナリーの発言は、冗談だったのだろう。
だが。
「カナリー」
シルバは足を止め、カナリーを見た。
「な、何だい?」
「そんな常識が、あの先生に通用すると思うな」
シルバは断定した。
この敷地内での迷子、先生ならば充分にあり得るのだ。
「それでどうするのだ、シルバ殿。探しに行くのか?」
シルバが淹れた茶を飲みながら、キキョウが問う。
「いや、その必要はない――先生、今どこにいます?」
シルバは、『透心』を使い、ストアに連絡を取った。
当然だが師匠であるストアとは、契約済みなのだ。
さすがに学習院の敷地の外までは出ていなかったようで、ストアとの思念通達はすぐに繋がることができた。
「ああ、なるほど、『透心』であるか」
「本当に、便利ですよね……」
そんなキキョウとタイランの会話を横に、シルバはストアと会話を続ける。
とりあえず、着替えは終えたらしい。
が、今の居場所が問題だ。
「……で、何でそんなトコにいるんですか」
「どこにいるの?」
ヒイロの問いに、シルバは扉の向こうを斜め上に指差した。
「塔のてっぺん」
学習院の象徴と言ってもいい、白い塔の頂上に、ストアは何故かいるのだという。
「カナリー、悪いけどヴァーミィかセルシアに中庭に出てもらえるよう頼めるか。あの二人の色は目立つから、分かりやすいと思う。見下ろしたら一発で分かるだろう」
「分かった。手配しよう」
それから、しばらくして。
部屋に入ってきたカナリーと従者である赤青美女の後ろから、にこやかな表情のストアが付いてきた。
ちゃんと法衣は来ている。
「……」
シルバは、白い目を師匠に向けた。
「お手間を取らせました」
ストアは、カナリーに頭を下げる。
「いえ。しかし、カプリス先生も、この学習院に来て、それなりになるはずなのに……まだ、迷いますか」
「曲がり角が三つ以上ある道は、苦手なんです」
「……最悪、スタート地点に戻りますね」
「よくやります」
頭の悪い会話に、頭痛を堪えるシルバだった。
「すまん、カナリー。こんな先生で」
「気にしなくていい。しかし、ヴァーミィを迎えに寄越したところ、塔の周りに人だかりが出来ていたらしいよ。何でも塔のてっぺんで、君の名前を大声で呼んでいたそうだ」
「せーんーせーいーっ!?」
シルバは危うく、師匠の胸ぐらを掴みそうになった。
しかし、ストアは相も変わらず呑気な笑顔のままだった。
「まあ、万事オッケーだったからいいじゃないですか。どうも、お待たせしました」
「……本当に、何で着替えてくるだけで、こんなに時間が掛かるのか、俺には理解できません」
「原因は、分かっていますよ。私を一人で行動させるからです」
「自信満々に言うことじゃないですよね、それ!? あと、俺だけならともかく、みんなも待たせたんだ。もうちょっと反省しましょうか……!!」
「すみませんでした。それで、きれいな子ばかりですけど、ロッ君の彼女はどなたですか?」
何気ないストアの発言に、部屋の空気が凍った。
沈黙が支配する部屋で、まず動いたのはシルバだった。
ストアの長い両耳をつまみ、左右に引き延ばす。
「ロッ君、痛いです」
「先生、ここにいるのは全員男ですよね?」
シルバは、静かな口調でストアに問うた。
「私、女ですよ?」
「先生はカウントされてません」
「……ロッ君、私だけ仲間はずれにするんですね? 私、悲しいです」
目を伏せるストア。
「盛大に脱線してるから話戻すけど、空気読め」
「では、そういう事で」
ようやく、部屋の空気が弛緩する。
さっきのストアの発言は、全員が忘れる事にした。
とりあえずシルバはここに来た目的、ストアへの定期的な報告を行った。
どういう冒険を行ったか、新たな冒険に向けてどういう準備を行っているか、などだ。
ストアはそれに対して、特に何かを言うこともなく、ただニコニコとシルバの報告を聞いていた。
そしてそれが終わると、ようやく口を開いた。
「でもこれだけ綺麗どころだとあれですね」
「何ですか」
上司の言葉に、また変な事を言わなきゃいいけどと危惧を抱きながら、シルバは聞いてみた。
「私、お婿さん欲しいかもしれません。どうでしょう、そこの鎧の方」
ストアが見上げたのは、タイランだった。
「って、よりにもよってタイランかよ!? というか話の脈絡がなさすぎるだろう!?」
「わ、わわ、私ですか……?」
本人も意外だったのか、慌て始める。
「ロッ君、人を外見で判断しちゃ駄目ですよ。大切なのは中身です」
「立派な台詞ですけど、会ってからこれまでタイランと一度もまともに話してませんでしたよね、先生!?」
打てば響くような二人のやり取りに、パーティーのメンバーはとても入っていけそうになかった。
「な、何かスゴイ先生だよね……」
普段人懐っこいヒイロですら、これである。
「いや、ボケっぷりではお主も負けておらぬぞ、ヒイロ」
「うぇっ!?」
キキョウの指摘に、ヒイロは本気で驚いていた。
「他人のことはよく見えるって聞くけど、キキョウも人のことは言えないからね」
「某もか!?」
さらに続いたカナリーの指摘に、ヒイロの横でキキョウが固まっていた。
改めて、それぞれの自己紹介を終え、上座の椅子にストア、左右のソファにシルバ達が腰掛ける。カナリーの従者達は、再び入り口の警備に戻っていた。
「先程は、失礼しました」
ほんわかとした口調で、ストアは頭を小さく下げた。
「しかし、想像していたのと少し違うな……某はむしろ必要なモノ以外、何もないような部屋を想像していた。これは聖職者というよりむしろ、魔術師の部屋のように見える」
キキョウが部屋を見回す。
どこを見ても書物だらけ。
確かに、聖職者の部屋という感じではない。
「先輩の先生。ここって、何の研究してるの?」
「研究というか勉強というか……。この学習院には、大きな図書館があるんです。大聖堂にも書物はありますけど、それほど多くはありません」
「……つまり、単純に大聖堂からここまで移動するのが面倒臭いから、ここに研究室を用意してもらったんだよ」
「ロッ君、そういう説明だと、何だか私がとても無精みたいですよ?」
「先生、そんなにツッコミが欲しいんですか?」
少し拗ねた顔をするストアに、シルバは容赦なかった。
「ちなみに学んでいるのは神学だ」
「そりゃ、聖職者なんだから、当然だろうね」
カナリーが肩を竦める。
その視線が、スッと周囲の書物に向けられた。
「……ただ、ゴドー聖教だけじゃないね。少なくとも、積まれている書物は、それだけに留まっていない」
「ご名答。余所の宗教も勉強してる」
東方のウメ教や、地方のマイナーな信仰、民間療法の書物もある。
「ちょっと分からないな。何のためだい? 何か、シルバの扱う祝福の威力を上げるとか、新しい聖句を作るって感じでもないみたいだけど」
「カナリーは『万能たる聖霊』って知ってるか?」
カナリーの問いに対し、シルバはそう返した。
話の進みが遅くて、すみません。




