一瞬の見落とし
大人の熊ぐらいの巨体を持つ、タックルラビット。
何の冗談だとシルバは思ったが、さらに悪い情報がカナリーから『透心』で飛んできた。
(シルバ、そいつ、吸血鬼だ。噛まれたら、眷属にされるぞ)
「マジか!?」
興奮状態のタックルラビットは、正面にいたタイランに突進してきた。
噛むとか噛まないとか関係がない。
「ぐっ!!」
タイランが足を踏ん張り、何とか耐える。
この体躯、加えてスピードが最早脅威だった。
「タイラン――ッ!!」
キキョウが背後から、ジャイアントタックルラビットの背中を斬り付けた。
しかし、いくらかの毛が舞うだけで、ジャイアントタックルラビットの背は切れなかった。
「刃が通らぬ、だと……!?」
キキョウが愕然とする。
「こんの!!」
一瞬遅れて、跳躍したヒイロがジャイアントタックルラビットの脳天に骨剣を叩き込んだ。
全体重を乗せた一撃だ。
さすがに頭は効いたのか、ジャイアントタックルラビットの身体がグラリと揺れる。
「斬って駄目ならぶん殴る!!」
自分に痛手を与えたヒイロを、ジャイアントタックルラビットはギロリと睨んだ。
そのタックルラビットに対して、ヒイロは手招きした。
「おいでませ。真っ向勝負は望むとこ!」
その言葉に応えるように、ジャイアントタックルラビットはヒイロに跳びかかった。
「コイツの相手はボクがする!」
ヒイロはそう宣言して、ジャイアントタックルラビットと交戦しつつ右手へと移動していった。
(シルバ・ロックール。アレは、僕が手伝った方がいいんじゃないか?)
空中で待機しているカナリーから、『透心』の念話が届いてくる。
(ヒイロがやるって言ってるから、任せる。一対一なら、ヒイロは大丈夫。まずは山賊を倒そう)
(分かった。タイミングを合わせよう)
一方、キキョウは悔しそうな顔をしながらも、坑道の入り口に向き直った。
「シルバ殿、済まぬ。完全な情報の不足であった」
「話は後だし、責めるつもりもない。まずは全部片付けよう」
「承知」
タックルラビットに続き、山賊たちが坑道から出てきた。
煙玉の麻痺効果が効いてくれたのか、何人かはふらふらだ。
しかも寝起きだった為か、半裸の者も多い。
「クソ、テメエらの仕業か! 野郎共、たった四人だ、ぶち殺せ!」
山賊の頭らしき眼帯の男が、シルバに曲刀を突きつける。
その間も、ゾロゾロと山賊は坑道から出てきて、人数は十数人になった。
「それで全員か?」
「だったら、何だ!」
「分からないのか? お前たちは、包囲されている」
シルバがスッと手を挙げると、森の木々の間から無数の光が出現した。
坑道入り口周辺が、明るく照らされる。
動き出そうとした山賊たちは、明らかに怯んだ。
「……っ!? 何だこの数……! 討伐隊でも組まれたってのか!?」
「気をつけろ! 取り囲まれてるぞ!」
「騙されるな! 何かのトリックだ! おそらくランタンか何かを木の枝に括り付けて……」
「動いてるじゃねえか! ヤベえ!」
山賊たちは身を寄せ合い、一塊になりつつあった。
(――ホルスティン)
(任せたまえ。イレギュラーのモンスターもいるようだし、一瞬で決めてあげよう)
直後、夜空に眩い閃光が瞬き、幾筋もの雷が、山賊たちに降り注いだ。
「『雷雨』」
「ぐああぁぁっ!?」
雷の雨に撃たれ、その場にいた山賊たちはまとめて悶絶した。
雷光が弱まり、やがて彼らは全員が黒い煙を身体から立ち上らせながら、その場に突っ伏した。
「実に呆気ない。シルバ・ロックール。ネリーの力を借りるまでもなかったんじゃないかい? そもそも彼らが出てくる前に灯りを用意していても、よかったと思うよ」
「バラバラに動かれると厄介だったからな。それに連中が炭坑から吐き出される前に灯りを出すと、中に閉じこもられる可能性が高かった。それよりも、ヒイロを助けないと」
「それもそうだ。ネリー、君は山賊どもを縛っておいてくれ」
「かしこまりました。分け与えた魂たちは、先にあちらへ」
ネリーの命令で、まだ赤い光を放ち続けている砂利が、雲霞のようにジャイアントタックルラビットへと向かっていく。
そして命じた当人は、気絶した山賊たちに向かって駆けていった。
それを見送り、シルバは思わず叫んだ。
「待った、ネリーさん!」
「シルバ様!?」
「ホルスティンも! 二人とも飛んで――」
シルバは指示を送ろうとしたが、足下の土が割れる方が早かった。
割れた土からいくつもの蔓が飛び出し、シルバを縛り付ける。
シルバだけではない。
すぐ隣でカナリーが、そして少し離れた場所でネリーも同じように縛られていた。
「ひ、ひ……一足遅かったな」
土の中から若い男の声が響いたかと思うと、茶色いローブの男が姿を現した。
長い前髪を垂らし、眼窩は落ちくぼんでやせこけているその様は、幽鬼のようだ。
「だから、せ、せっかちするなって言ったんだ……言ったのに聞かなかった、コイツら、自業自得だよな。これは雷か……く、口もロクに利けなくなってるなぁ……」
「く、そ……」
シルバは、自分のミスを悔やんだ。
キキョウから聞いた戦力は、山賊が二十人程度と『先生』と呼ばれる用心棒らしき存在。
カナリーの雷に撃たれたのは、全員が山賊だ。
もしかしたらその中に『先生』も混じっていたかもしれないが、確定するまで気を緩めるべきではなかったのだ。
そして実際、『先生』は煙玉も食らわずに健在だ。
予想外の敵、ジャイアントタックルラビットに気を取られすぎた。
しかもこの蔓、ただの蔓ではない。
シルバの身体から、力が抜けてきている。
「これは……吸精……っ」
「そそ、その通り……長話は苦手だ。本題に、入る。お前……『牧場』の在処、知ってるだろう?」
「……!」
魔術師の問いに、カナリーの眉がわずかに動いた。
「シルバさん!」
その声にハッとその方角を見ると、タイランが絡みついてくる蔓にも構わず、ジャイアントタックルラビットとの交戦を続けていた。
「うぅ~、まだまだぁ!」
ヒイロは力任せに蔓を引きちぎりながら、同じように戦っているが、蔓の吸精が徐々に効いてきているのか、最初のような動きの精彩は欠けていた。
「タイラン、いけるであるか!?」
キキョウは蔓に囚われるより速く動き、それでも追いついてくるそれは、刀で切断していた。
「はい、こっちは私とヒイロで何とかしますから、シルバさんたちをお願いします!」
「心得た!」
キキョウがこちらに駆け寄ってきた。
「話の……こ、腰を折らないでもらえるか……?」
魔術師がクッと指を上げると、大地から蔓の柵が出現した。
「な……!?」
「こ、これでも、この周辺一帯……色々植えてあるんだ。植物は多いから……け、研究には向いてるのさ……例えば、こんな柵を用意したり……ま、麻痺を中和したりとか……な」
キキョウは左右を見渡したが、柵は長く横に伸びている。
かといって跳躍するにはあまりに高い。
「くっ! ならば……」
キキョウは一度足を止め、鞘に収めた刀を一瞬で抜き放った。
剣閃が走り、蔓の柵が切断された……が、即座に再生した。
「なかなか、やる」
魔術師がもう一度指を上げると、柵の空いている部分も蔓が伸び、柵は壁へと変化した。
そして、魔術師はカナリーに向き直った。
「これで、よし……。調べは……つ、ついているぞ、吸血鬼。……しょ、処女と童貞の若者だけが管理され、吸血貴族の秘奥も……き、金庫代わりに保存しているという『人間牧場』……。管理者も、す、少ない今ならば、制圧も容易いだろう……?」
「……つまり、貴方の狙いは……そもそも僕達の村が狙いだったということか」
「こ……こんな山の中で、た、たまに通る掛かる商人を襲うほど、オレは暇ではない……。まあ、こいつらは、そうした暇人だけどな……」
魔術師は、倒れ伏している山賊たちを見た。
「僕が素直に、教えると思うかい?」
「お、教えてもらわずとも、聞き出す術ぐらい……心得ている。魔術師だから、な」
魔術師は懐から小さな種を取り出した。
その種をどうするつもりなのか、シルバとしてはあまり聞きたくなかった。
その魔術師が、シルバを見る。
「でも、まあ、そう、魔術に頼らずても……仲間を人質にする、なんて手段もあるけどな……」
「彼らは僕の仲間じゃない。利害の一致で一時的に協力しているに過ぎない。それに――」
魔術師の後ろに、ヴァーミィとセルシアが出現した。
「――ここで貴方を退治してしまえば、済む話だ」
ヴァーミィの手刀とセルシアの足刀が、魔術師の身体を三つに分けた。
魔術師の身体からは血が流れず、代わりに無数の蔓が蠢いていた。
その蔓同士が伸びて絡み合い、身体を分断された魔術師は、すぐに元の姿に戻った。
攻撃を仕掛けたヴァーミィとセルシアはというと、指を鳴らした途端、地面から出現した蔓に絡め取られてしまった。
「お、覚えておいた方がいい……魔術師が正面に立つのは……勝ちを確信した時だ……それが、一流の魔術師のやり方だ……」
「じゃあ、あんたは二流じゃないか」
シルバは両肘に手を当て、大きく息を吐いた。
「っ……!? お、お前、どうやって……」
「軍にいると、色々覚えるんだよ。例えば関節の外し方とか」
そしてシルバは、腰からナイフを抜いた。
戦闘用ではない、料理や細工に使用するナイフだ。
「し、神官が……オ、オレを相手取れると思っているのか……? そんな粗末な武器で……」
シルバの足下の地面が割れ、再び吸精蔓が伸びてきた。
「いいや」
シルバは、自分の腕を切った。
傷口から派手に血が迸る。
「!」
魔術師は驚愕し、同時に己の失策に気付いたようだ。
シルバは血の滴る腕を、カナリーに突きつけた。
「飲め、ホルスティン」
カナリーはシルバの腕に吸い付いた。
紅の瞳が赤く輝き、カナリーの身体から黄金の光が溢れ出た。
「くっ……!」
そのカナリーの身体を、魔術師の蔦が二重、三重と巻き付いていく。
が、その蔦をカナリーはすり抜けた。
吸血鬼の特性、霧化である。
「カナリーと呼んでいい、シルバ。僕もそう呼ばせてもらう」
「く、く、来るな……!」
魔術師の蔓が、槍のようにいくつもカナリーを襲うが、そのどれもがカナリーの身体をすり抜けていく。
「いいとも。なら、この場で決着を付けよう――『雷華』」
カナリーが足を止め、パチンと指を鳴らした。
その足下から放射状に雷が走り、魔術師や蔦を灼いていく。
「が……ががががが……っ!!」
魔術師はしばらく震えた声を上げながら電撃を浴びていたが、やがて全身から黒い煙を吹き出し……そして倒れた。
シルバやネリーに絡みついた蔦も灼ききられ、ジャイアントタックルラビットと戦うタイランらを遮っていた壁も炎を上げたかと思うと炭になって崩れ落ちていく。
その向こうでは、ジャイアントタックルラビットがこんがりと焼け焦げていた。
戦いが終わって力尽きたのか、パラパラパラ……と地面に落ちていくのは、ネリーが『仮初めの生命』で魂を分けた砂利だ。シルバが付与した『発光』はとっくに力を失い、光はない。
何とかタイランは斧槍を杖に立ってはいるが、ヒイロは大の字になって倒れているし、キキョウも壁だった場所の前で膝を折っていた。
「……一応、勝てはしたけど、これは後で反省会だな」
腕の傷が酷く痛むが、今のシルバは困ったことに、『回復』一つ唱えるほどの魔力も残っていなかった。
まあ、切る場所は考えたし、出血多量で死ぬことはないだろう。
一つの見落としが、パーティー全体の崩壊にも繋がる。
シルバの判断ミスだ。
……まあ、それを振り返るのも、村に戻ってからの話だな。
カナリーの方を見ると、自身も相当衰弱しているにも関わらず、ネリーがカナリーの前に跪いていた。
「成人、おめでとうございます。カナリー様」
「ああ、まさかこんな場所で成人の儀を迎えることになるとは思わなかったけど……まあ、めでたいことなのだろうね」
そう言葉を交わし合い、二人はシルバを見た。
「ヤベえ……やっちまった」
シルバは思わず、ボヤいた。
吸血鬼が人の血を直接吸うことは、特別な意味があるのである。




