『女帝』のカード、消失
『女帝』のカードを懐に収めたシルバは、聖句を唱えた。
「――『覚醒』!」
「あ……」
背後から迫っていたヒイロがクロスに掛けられていた魅了から我に返り、足を止めた。
これで、後ろからの攻撃はなくなった。
「だけど今のシルバ君は完全にフリー! 守ってくれる前衛もいないんじゃ、どうしようもないでしょ!」
それでも、シルバはその場を動かなかった。
「やれやれ……二人、忘れてるぞ、ノワ」
「え……」
攻撃圏内に入ったノワの斧が、シルバの首筋目がけて振り下ろされる。
「ヴァーミィ、セルシア!!」
シルバの足下の影から、勢いよく赤と青の従者が出現した。
「主と俺の分、全力でぶっ飛ばせ!!」
赤いドレスの美女・ヴァーミィが、シルバに届く直前だったノワの斧を鋭い蹴りで止める。ほぼ同時に、青いドレスの美女・セルシアの強烈な手刀がノワの腹に放たれた。
「がふぅっ!?」
およそ女の子らしくない呻き声を上げながら、ノワが大きく後ろに吹き飛ばされる。
「『豪拳』。そして『加速』。安心しろ、ノワ」
ヴァーミィとセルシアの身体が、赤いオーラを纏う。
力と速さを上乗せされた美女達はシルバを守るように前に立ち、格闘戦の構えを取った。
「前衛ならちゃんといる。それも二人もな――カナリー!」
シルバは一旦懐に収めた『女帝』のカードを、カナリーに投げた。
「ああ、任せたまえ! 君にはこれだ!」
雷撃魔術の合間に、カナリーが手に持っていた道具袋を、シルバに投げてきた。
クロスに取り上げられた装備品の中でも、特に重要なアイテムだ。
袋の中は亜空間になっており、シルバを回復する回復薬や魔力回復薬も、入っている。
今回の戦いのために用意した、最高品質の品だ。
これを回収するのも、クロスの影の中で死んだふりをしていたカナリーの、重要な役割だった。
そしてカナリーも、カードに向かって手を伸ばした。
シルバが使えれば一番手っ取り早かったのだろうが、ノワが使用していた状況を見た限り、魔力への負担は相当に大きい。
なので、体力も魔力も温存していたカナリーに託すことにしたのだ。
このカードがあれば、ノワの仲間の大半が無力化できる。
シルバ個人としては気に入らない力だが、この場を収めるには最も有効だろう。
しかし、シルバとカナリーの間で、唐突にカードは消えてしまった。
「「!?」」
シルバもカナリーも、目を剥いた。
従者二人と向かい合うノワ、カナリーが雷撃魔術を叩き付けているクロスとヴィクター、そしてキキョウと戦闘中のロン、誰も妨害した様子はない。
演技だとすれば相当なモノだが、少なくともシルバとカナリーが見た限り、それもない。
他に仲間がいるならば、今の今まで姿を現さなかったのも不自然だ。
どこかから不意にカードが出現し、床に落ちることも一瞬期待したが、その様子もなさそうだ。
『原因不明! 戦闘に集中! クソ、今のがあれば、手っ取り早く終わると思ったんだが!』
『まったく同感だね!』
検証する暇などない。
『透心』で意識を共有したシルバとカナリーは、自分達の戦いに集中し直すことにした。
乱戦が始まった。
ノワの相手は二人の従者。
カナリーがクロスとヴィクターを雷撃魔術で迎え撃ち、キキョウとロンの高速戦闘が再び火花を散らす。
「タ、タイラン、大丈夫……? ご、ごめんね……ボク、ずっと見てたのに、何も出来なくて……」
そんな中、我に返ったヒイロは、壁にもたれて倒れ込むタイランに駆け寄り、その身体を涙目で揺すっていた。
シルバの『回群』は、絶魔コーティングされているタイランの装甲には通じなかったのだ。
「ヒイロ!」
その背中に、シルバは厳しく声を叩き付けた。
「っ……!」
ヒイロの身体がビクッと震え、こちらに振り返る。
シルバは、カナリーが相手をしている相手の一人、巨漢のヴィクターを指差した。
「ヴィクターの相手を頼む! タイランに謝るのは、『透心』経由か後にしてくれ!」
「『透心』……! 君はまさか……」
カナリーの『雷閃』をかろうじて回避したクロスが、悔しげにシルバを見る。
どうやら彼は気付いたらしい。
「さすが魔術師、察しがいい」
シルバは笑いながら、手を伸ばした。
クロスは奥歯を噛みしめた。
すべては、クロス達に見えないところで謀られていたのだ。
ノワの前に屈し、頭を踏みにじられながら。
影の中に捕らえられ、味方だった者の支援で強化された敵と戦わされ、友とぶつかることを強要されながら。
彼らは、ずっと相談していたのだ。
この状況を打破するタイミングを……!
こんなことなら、さっさとシルバを洗脳しておけばよかったのだ。
身体の自由を奪った程度で、満足したのがまずかった。
明らかな慢心だ。
思えば、あのタイランという甲冑が投げた女神像。
あれが秀逸だった。
タイランはヒイロと戦いながらもひたすら盾の防御で粘り、クロスやヴィクターを引き付け、ノワから引き離した。
おまけに、ロンの攻撃の妨害までして。
そして、フリーになったノワへの、得体の知れない『箱』の投擲。
下手に魔術で迎撃することは出来ない。だがノワの傍に味方はいない。
こうなると、ノワを守れるのはシルバしかいない。
そう、あの投擲は最初からノワが狙いではなかった。
あれは、ノワがシルバを盾にするだろうと踏んだ、彼らの策だったのだ。
そんなノワの性格まで読み切ったのは、おそらく彼女とかつてパーティーを組んだことのあるシルバ・ロックール。
彼(今は彼女)は仲間と言葉を交わすことなく水面下で、この機を狙っていたのだ。
魅了で虜にすることもクロスは考えたが、今はできない。
それに警戒されている上に聖職者でもある『彼女』に、簡単に効くとも思えない。
「ところで、考えたり、余所見している暇はあるのかな、クロス」
「ぐはぁっ!?」
新たに放たれた、カナリーの雷撃がクロスに突き刺さる。
反撃する暇すらない。
否、カナリーは呪文すら唱えていないではないか。
度重なる雷術の直撃に、クロスは再び膝を折った。
「……影の中ではずいぶんと退屈してたからね。君を打倒するのに充分な量の術が練り込むことができている。そのまま跪いていろ、クロス・フェリー。さっき、シルバに強要したようにね」
柔らかく微笑んだまま、カナリーはクロスを見下ろす。
「我が名はカナリー・ホルスティン。我が仲間達の受けた苦痛と屈辱を晴らす為に。君に弄ばれた女性達の魂の安らぎの為に」
指を銃口のように突きつけながら宣言する。
「覚悟はいいか、この半端者。光栄に思え。この僕が、ホルスティン家の次期当主が直々に、全身全霊をもって君をぶちのめそう」
「っ……は、半端者だと……!」
身体を煤まみれにしながら、クロスの足が後ずさる。
シルバに掛けられた声に、ヒイロは立ち上がっていた。
涙を手の甲で拭い、骨剣を握りしめる。
「ヒイロ……」
甲冑の中から響く振り絞るような声に、ヒイロはタイランを振り返った。
「タイラン!?」
「まずは、敵を倒さないと……よろしく、お願いします……」
「……うん!」
そのヒイロの身体を、赤いオーラが包み込む。
何度も慣れ親しんだその感覚は、シルバの『豪拳』だった。
立て続けに、『加速』、『鉄壁』も上乗せされる。
「カナリーさん遅れてゴメン!! 一人、ボクが相手する!」
「よろしく頼むよ、ヒイロ」
「うん、任せて!!」
ヒイロは駆け出すと、こちらに気がついたヴィクターの脳天目がけて、骨剣を大きく振りかぶった。




