『牧場』について
「それじゃまあ、誓約書も書いたし、利害も一致したところで、ここのことをもうちょっと詳しく教えてもらおうか。道を外れている場合は、正す必要がある」
シルバの言葉に、周囲の吸血鬼たちの気配がピンと張り詰める。
ただ、カナリーはまったく動じないし、後ろに立つネリーも笑みを崩していない。
シルバは小さく息を吐いた。
「ただ、正す必要がない場合はどうもしない。少なくともこのスミス村の住人が、強制されてここで飼われているんじゃないってことぐらい、俺にだって分かるよ」
触れ合った村人の数は知れている。
施療院に案内してくれた村娘たち、酒場の店主、雑貨屋の店員。
彼らの表情は、無理矢理ここで血液を搾取されているとはとても思えなかった。
「吸血鬼には『魅了』という力があることは、知っているんじゃないかい?」
カナリーは挑発的に問うが、シルバは首を振った。
「操られているかそうでないかなんて、目や足取りで分かる。一人二人ならごまかせるかもしれないが、この村の人間全員にそんな凝った真似はまず不可能だ。そもそも隠れ里にしている以上、本来は必要ない小細工だろう? 逃げ出す心配があるなら、『魅了』を使うより外に出さないように物理的な罠を用意した方が楽だし」
一方、ヒイロは二人の会話から完全に置き去りになっていた。
「……何か、難しい話してるなぁ」
「別に難しくはないんですよ……ただ、互いの手の内を伏せたまま、話してるだけで……あの、寝ないでくださいね?」
タイランが、瞼を落とし始めたヒイロを揺する。
ちなみにタイランはちゃんと話についていけてはいるのだが、性格的に口を挟めないだけであった。
ふぅ……とカナリーは吐息を漏らし、ソファにもたれかかった。
「まあ、いいだろう。話すよ。この『牧場』の住人は、多くはアーミゼストのスラムからのスカウトさ。後は違法売買している奴隷商を叩き潰して回収したり、寒村の口減らしで売られようとしている子を買い取ったりだね。そして、ホルスティン家が運営している孤児院に入ってもらう」
なるほど、とシルバは頷く。
スラムの子どもは大抵が、放っておけば野垂れ死ぬか、犯罪者として投獄される、運がよければのし上がれるがそれでも法的には追われる立場となることが多い。
表の世界で真っ当に生きるのは、相当に難しいだろう。
奴隷や口減らしで売られた子はもっと酷い。
そもそも最初から人権が存在しない扱いを受けることが、ほとんどだ。
そういう子たちを引き取って今の環境に置くというのなら、これはもう保護と呼んでもいいだろう。
「この時点で、裕福な家に引き取られる場合もある。けど、そのケースは稀だね。大体は、年頃になるとこの村で定期的に血液を供給してもらう対価として豊かな生活を送るか、孤児院に残るか選んでもらう。大抵、こちらを選ぶよ。もちろん孤児院でも食うには困らないようにはしている。だが、食生活や衛生環境、学問や礼儀作法の修得機会などは、『牧場』の方が圧倒的に有利だ」
しかも、引き取られた後に選択肢まで用意しているときている。
己の『血液』を売るのだ。
孤児院よりも『牧場』が優遇されるのは、当然だろう。
「この村のルールは、人間社会と変わらない。人に迷惑を掛ける行動を起こしてはならない。特に殺人と性暴行は問答無用で死罪。厳しいと思うかい?」
「多少は、と言いたいところだが個人的にはまったく思わないな。ここでは人間自体が財産みたいなモノなんだろう?」
「そういうこと。人が一人死ねばその分だけ我が血族に供給される血液が減る。性暴行の方がひどいね。一気に二人分減るんだから。しかも金と違って取り返しがつかない」
性暴行は、童貞と処女、二人分が失われてしまう。
『牧場』という環境を整えてまで、質のいい血液を求める吸血鬼たちだ。
それは大きな痛手だろうし、育てた人間を台無しにした加害者は、確かにここでは極刑を免れないだろう。
「……殺人の場合も、二人減るんじゃないか?」
「そうだけど、この場合の死罪は最後に『搾り取る』ことにしている。幸いなことに、これまで事件が起こったことはないよ」
「そりゃ何よりだ」
ところで、とシルバは気になったことを尋ねてみた。
「成長した若者はどうなるんだ? 人間なんだから、いずれは老いるだろう?」
「一定年齢に達すると、ここから出ていってもらうことになる。その後も利用価値があるから、ここでは充分な教育を施している。読み書きや計算ができれば、商家で引き取ってもらえるし、礼儀作法を心得ているならばホルスティン家が管理するどこかに配置してもいい」
ここにいる間は、悪い言い方をすれば新鮮な『血液の袋』として役に立つ。
しかし、年老いたからといって破棄するのは勿体ない。
その後は、ホルスティン家の忠実な僕として働いてもらう、ということか。
無駄がない。
「人間は家畜とは違う。特に恋愛感情ともなると、理性の箍があっさり外れることもある。その場合はどうしているんだ?」
何しろ、ここにいるのは年頃の若者たちだ。
いわゆる『過ち』があることは、充分考えられる。
「ちゃんと事前に申請してくれるのなら、問題はない。ただし……その、何だ……そういうことをするのなら、当然この村から出て行ってもらうことになるね」
カナリーはわずかに頬を赤らめ、目を逸らせた。
「その後は?」
「事前の申請がなかった場合。教育が充分なら、軽い罰を与えた後、さっき言った通り、商家に推薦したり、ホルスティン家で召し上げる。そうでないなら、ウチが管理している『牧場』とは違う、いわゆる普通の農地で作業に従事してもらう、かな。あと性暴行の被害者側も、こちらに該当するね」
「……軽い罰?」
「できるだけ、この『牧場』の人間にはストレスは与えたくない。血の味に影響するからね。だから、例の殺人とか以外は、あまり重い罰にはできないんだ。ネリー」
「はい」
カナリーが呼ぶと、ネリーはまな板程度の大きさの板きれを取り出した。
そこには『私は とふしだらな行為をし、スミス村から出て行くことになりました。』と記されていた。
「これを首から提げて、半日ほど通りに立ってもらう。空白部分には、えーと……そ、そういう、あ、あれだ。せ、性交渉した相手の名前だね。赤いインクで目立つように書くことにしているよ」
「うへぇ……」
これは、事前に申請した方が、よっぽどマシだろう。
完全なさらし者だ。
それにしても、何故カナリーは、性暴行という単語は普通に言えるのに、普通の性交に関わる単語は口ごもるのか、ちょっと不思議なシルバである。
「もちろん、この罰の後の処置は、村の住人には内緒だ。ここから出ても生活が保障されると知れば、規律が緩むからね。だから、性教育は特に重視している。つまり事前申請があった場合となかった場合の差は、この『罰』があるかないかの差、それと追放するという虚偽の処分かな。一応のところ、今は抑止力になってくれている」
そして村人たちは、定期的な血液採取以外はのびのびとこの、スミス村で生活を送っている。
そうした人間から採れる新鮮な血液は、苦みのない良質な食事として、ホルスティン家はもとより繋がりのある吸血鬼の血族にも、好評なのだ。
この村以外にも、各地に『牧場』はあるのだという。
ここは人間のみだが、地方によっては獣人専門の『牧場』や稀少な妖精種の『牧場』もあるという。
「……ねー」
眠たそうに手を挙げるヒイロを、カナリーは見た。
「何かな? ヒイロとか言ったっけ?」
「言い方悪いけど、ここの村の人たちってここでの飼い殺しだよね?」
「本当に言い方悪いな!」
間違ってはいないが、何だか失礼ではあった。
ただ、続く質問の内容はよかった。
「なら、働く必要、ないんじゃない?」
そう、何のストレスもなく、穏やかに暮らすのなら、村人たちが働く必要はない。
普通ならそうだろう……が。
「あー、それはなぁ」
シルバが答えようとしたが、それをカナリーが制した。
「まず、ただ何にもせずにダラダラしていると人間は腐る。精神がね。適度な労働は、人間には不可欠なんだよ。それに畑の管理や商店での仕事は、いつかここから出ていく時に、役に立つだろう?」
「あ、そっか。実地で学んでるんだ」
「そういうことだよ」
ヒイロは納得したようだ。
すると、その隣に座るタイランも、会話に参加してきた。
「特に雑貨屋さんで売られてた薬の出来は、とてもよかったですけど、あれも……?」
タイランの疑問に、カナリーは嬉しそうに身を乗り出した。
「へえ、分かるのかい。あれは、この村の住人に、僕たちが教え、研究させ、作っているモノだよ。錬金の技術の高い者は、人間であろうとホルスティン家では高給で召し抱えることにしているんだ。それだけの価値があるのだからね」
錬金術には相当の自信があるのだろう、カナリーは誇らしげだ。
「となると、ますます山賊に知られるわけにはいかないよな。全部メチャクチャにされてしまう」
「ああ、絶対に見過ごすわけにはいかないね」
この村のことは分かった。
吸血貴族であるホルスティン家も、ここの村人たちもいわばwin-winの関係にある。
ならば、シルバはとやかく口出しすることもない。
「でも、何にも後ろ暗くないなら、隠れ里である必要って、ないんじゃない?」
不思議そうに、ヒイロが首を傾げた。
その問いに、カナリーとシルバは同時にため息をついた。
「それはねえ……」
「教会の関係者の中には、ただ人間の血が吸血鬼に吸われてるってだけで、騒ぎ出す輩がいるんだよ。誰も損してないのにな?」
「人間を解放しなさいとか、搾取してはなりませんとか、ズレたことを言うんだよ」
「その前にスラムを何とかしろよ。まずは貧しきモノを救えよってな。救いを求めてる人なんていくらでもいるんだからさ」
タイランが、怖ず怖ずと手を挙げた。
「あ、あの……シルバさんと、ホルスティンさんって一応、対立している勢力ですよね?」
シルバとカナリーは顔を見合わせ、再びため息を漏らした。
「……そうなんだけどな」
「苦労しているという点においては、共通しているようなんだ」




