虜囚
「クロス!」
カナリーはクロスをにらみ付けたが、それより早く、クロスの鋭い爪を持った指先が、シルバの首筋に当てられていた。
そして、ジッとカナリーを見たかと思うと、その目を細めた。
「こんばんは、カナリー様。……なるほど、そういう訳でしたか」
ニコリと微笑みながらも、クロスの目だけは笑っていなかった。
「まさか、貴方が女性だったとはね」
「何の話だ?」
「またまた、とぼけなくても結構ですよ。今のノワさんが使える強制力が一切効かないこと。……加えて、僕も半分は吸血鬼なのですよ。さすがにこの距離まで近づけば、香水だろうとごまかせません」
クロスの紅い目が光る。
しかし、カナリーは不機嫌な表情で、鼻を鳴らした。
「……馬鹿か君は。純潔の吸血鬼である僕に、君の魅了が効くはずがないだろう」
「ふむ、それももっとも。しかし……」
ひょい、と素早くクロスの手が翻ったかと思うと、その手には黒眼鏡があった。
「あっ……」
ヒイロが、自分の顔を覆っていた。
掛けていたはずの黒眼鏡がない。
「ヒイロ!?」
そして、その瞳から次第に光が失われていく。
「う、あ……」
虚ろな表情で、ヒイロは容易くクロスの魅了に堕ちてしまっていた。
「こちらの娘には、ちゃんと効くようですね。何よりです」
クロスが手招きすると、ヒイロはだらりとした動きで、彼の手元まで寄ってくる。
そのクロスの片手はいまだに、シルバの喉元を狙っている。
カナリーは、完全に孤立していた。
「くっ、シ、シルバ、僕の目を見るんだ!」
言って、苦しそうな表情をするシルバと、カナリーは視線を合わせた。
「が……」
シルバは目を見開き、苦しげな声を上げる。
ノワの使う謎の強制力と、カナリーの魅了がせめぎ合い、精神が混乱しているのだ。
「うが……あ、あぁっ……!?」
これにはさすがのクロスも、慌てていた。
「ちょ、ちょっとちょっとやめておいた方がいいですよ、カナリー様。精神に干渉する力を二重掛けなんて、普通の人間には耐えられません。最悪、精神が破壊されてしまいます」
クロスの忠告に従ったのか、カナリーは瞳の力を解いた。
「……それは、どうかな?」
虚ろな瞳に光が戻ったシルバは、頭を振り声を振り絞った。
「うぅっ……カナリー……」
「馬鹿な……」
クロスは絶句した。
ノワの強制力を、カナリーの魅了が凌駕したというのか。
だが。
「シルバ君!」
響くノワの声に、シルバの身体がビクンと硬直した。
「ぐぅっ!?」
「その子はノワの敵だから、ちゃんと倒して!」
ノワが命じると、シルバは腰に差した万能ナイフを抜いた。
それを握り、動けないでいるカナリーに迫る。
「シルバ……」
「カナリー……!」
ドス、とカナリーの胸の中央に、シルバのナイフが突き刺さる。
「シ、シルバ……」
胸に生えたナイフの柄を見ながら、カナリーはその場に崩れ落ちた。
そして、そのまま床に倒れ伏してしまう。
後ろに控えていた赤と青の従者も、まさしく糸の切れた人形のように崩れ落ち、そのままズブズブと影の中に沈んでしまった。
荒い息を上げるカナリーを見下ろし、クロスは銀縁眼鏡を直しながら嘲笑した。
「おやおや、もしかして、彼に惚れていたんですか? ホルスティン家の跡取りもこうなると他愛もないですね」
「……っ!」
怒りに満ちた表情のシルバの腕が翻り、隠し持っていたダーツの針がクロスに迫る。
しかし、クロスはそれを見越していたのか、あっさりとそれを回避した。
「おっと、危ないですね。ノワさん、指示をお願いします」
「大人しくしてね、シルバ君。仲間を失ったのは悲しいかも知れないけど、ノワ達がいるから大丈夫だよ」
ノワの声に、再びシルバの身体は強張っていた。
「何が大丈夫だ、この野郎……!」
声を振り絞り、シルバが抗議する。
だが、その台詞にノワは少し、気を悪くしたようだった。
「シルバ君、ノワ女の子だよ……? そういうこと言うんならちょっとお仕置きが必要かなぁ」
「シルバ君の武器は、ダーツのようですよ?」
クロスが言い添えると、ノワは明るい笑顔を浮かべた。
「じゃー、ちょっと太股刺してみよっか」
シルバは持っていたダーツで、自分の太股を突き刺した。
「ぐあっ……!?」
「はい、抜いてー。回復はできるよね? 大丈夫大丈夫。ノワ優しいから、痛いのそのまま残したりしないよ。それじゃそろそろこっちに姿を現わしてもらおっか?」
痛みに顔を真っ赤にしたシルバが、『回復』を使うのを見届け、クロスは身体を震わせるカナリーを再び見下ろした。
「おっと。カナリー様には、僕の影に入っていてもらいましょうか」
カナリーの身体が、クロスの影に沈んでいく。
そして、クロスにシルバとヒイロは付き従い、隠し部屋の中へと招かれた。
「おーいでーませー♪」
大きな椅子に両足をぶらつかせ、ノワはシルバ達を出迎えた。
「ノワ……お前……」
シルバは、目の前のノワを憎々しげに見つめていた。
思わずノワは、ぶーと膨れてしまう。
「違うよー。ここはほら、お前じゃなくて、ノワちゃんとかノワ様とか呼んでくれないと。それに、シルバ君はもうノワの下僕なんだから、ちゃんと臣下の礼を取ってくれないと困るよ。ほら、そっちの子も……」
ふと、ノワは首を傾げた。
「えーと、名前なんだっけ?」
「君、自分で名前を名乗りなさい?」
クロスが促すと、虚ろな表情でヒイロは口を開いた。
「……ヒイロ」
「じゃー、ヒイロちゃんもちゃんと、シルバ君と一緒に臣下の礼ね?」
「……はい」
シルバとヒイロは、ノワの前に跪かされてしまう。
「ぐ、う……や、やめろ、ヒイロ」
頭が強制的に下がるのに抗いながら、シルバがヒイロに言う。
「だーめ。ほら、頭を下げる」
そのシルバの後頭部を、ノワの足が踏んづけた。
「うぅっ……!」
シルバの額が、赤絨毯に押しつけられる。
「くふふ、やっと溜飲が下がったって気分? これなら、上手く行きそうだね、クロス君」
シルバの後頭部で足踏みをしながら、ノワは微笑んだ。
「そうですね。ただ、彼もカナリー様も精神が強そうですから、調整には時間が掛かりそうです。念入りにする必要がありますね。何せ彼らには、冒険者ギルドや教会が監視する中、財産を奪還してもらわなきゃなりませんから」
「だねー」
「ヴィクター、魔力回復薬を用意して」
「はい、のわさま」
グラスに注がれた魔力回復薬を呷りながら、大きな椅子に座ったノワはシルバを見下ろした。
「ところでさ、シルバ君」
「……何だよ」
「だーからー、その反抗的な目はよくないってばー」
シルバのにらみ付ける目つきが気に入らず、ノワの靴の踵が脳天に突き刺さる。
「つっ……! か、踵……!」
苦悶の声を上げながら、シルバの頭が再び下がる。
「ま、いっか。このままだと埒が明かないモンね。それでお話なんだけど、もしかして他の三人も、女の子だったりする?」
「……」
シルバは下を向いたまま答えない。
「質問に、答えて」
「……そうだ」
「むぅっ、何かムカツク」
端的な答えに、ノワは足を伸ばし、今度は背中を踵で蹴った。
「がっ……!」
思ったより体重が乗ったらしく、シルバの身体全体が沈んでしまう。




