夜の訓練場
「あの、ところで僕の眼鏡、知りませんか? あれがないとまともに帰るのも難しそうで……」
バサンズの視界は、眼鏡がないせいでぼんやりしていた。
何しろこの距離で、子どもの顔もよく分からないのだ。
宿の形は分かっても、名前まで読み取れる自信はなかった。
「ああ、これ? 倒れてたすぐ傍に落ちてたから、拾っといたよ」
ひょい、と子どもが細長い何かを持った手を、差し出してきた。
間違いない、バサンズの眼鏡だ。
「助かります! 結構高いんですよ、これ」
バサンズはそれを受け取り、顔につけた。
ようやく視界がクリアになった。
周りを見渡すと、自分の杖も岩に立てかけられていた。
「あ、うん、知ってる。レンズの加工費が馬鹿にならないんだって、先輩も言ってたし」
「先輩?」
「うん、ボクんとこのリーダー。冒険者パーティー『アンノウン』のシルバ・ロックールっていうんだけど、知らない? ちなみにボクはヒイロ。おにーさんは?」
「えーと……バサンズといいます」
シルバのことはよく存じております、とバサンズは心の中で呟いた。
結局バサンズは、シルバの旧パーティーのメンバーであることを普通にヒイロに話した。
隠したところですぐに伝わるだろうし、そうすれば何故、隠したということになってしまうからだ。
やましいところは大いにあったが、それを悟られるわけにはいかないのであった。
ヒイロは、洞窟脇にある売店で、茶色い液体の入った瓶を二本購入した。
「やー、風呂上がりにはやっぱり豆茶牛乳だよねー。はい、バサンズさんの分」
「ど、どうも」
ヒイロは腰に手を当てると、そのまま一気に豆茶牛乳を飲み干した。
そして、チビチビと同じモノを飲むバサンズを見下ろした。
「あ、これから、夜のトレーニングなんだけど装備とか持ってきてる?」
危うく、瓶を落っことしそうになったバサンズだった。
「ちょっと待って下さい!? 付き合うの確定ですか!?」
「同じ豆茶牛乳を飲んだ仲だよね?」
「あまりに自然な流れだったんで、断らなかっただけですよ!?」
「じゃあ、同じお風呂に入った仲?」
「人聞きが悪い上、僕入る前に気絶したんですけど!?」
バサンズの抗議に、うーん、とヒイロは軽く唸りながら首を傾げた。
「まあ、ほらバサンズさんってあれでしょ。確か魔術師だよね?」
「はぁ、まあそうですけど……」
「どう見ても戦士の体つきじゃないもんね」
「……すみません、頭脳労働担当なモノで」
「うん、それで最近ボク、戦士系の人とばかり戦ってたから、稽古相手としてはちょうどいいんだよね。カナリーさんは忙しいみたいですし」
「はぁ……」
何だか、自分の話を聞かず、ものすごい勢いで自分のペースに巻き込もうとしてないかこの子……。
と思ったが、ふとバサンズは気がついた。
最近戦士系の人ばかり相手してたから……ということは。
「もしかして、他にもトレーニングする人、いるんですか?」
「え、稽古なんだからそりゃそうだけど、二人きりの方がよかったの? こんな暗くなってから?」
「だから、どうしてそういう人聞きの悪い表現になるんですか!?」
バサンズが連れてこられたのは、森に少し入ったところにあった広場だった。
おそらく山妖精が造ったのだろう、何本もの岩灯籠が明かりを放ち、何やら祭の舞台のような雰囲気を保っていた。
そして広場では、十数人の冒険者が剣を振るっていた。
男女混合、種族も様々だ。
「こんな時間なのに、ずいぶんいるんですね……」
「本来の仕事が終わってからの訓練だからねー。偉い人を護衛してる人達とか、やっぱり強いよ」
冒険者ギルドや教会、吸血貴族のホルスティン家など、多くの人々がこの村を訪れている。
そして重要人物には必ず護衛がついており、ここにいる人々はそういう人達だった。
戦士職だけではない。
遠くの的に向かって、矢や魔術を放つ、後衛職の姿も見受けられた。
そんな光景を眺めるバサンズ目がけて、巨大な甲冑が『飛んで』きた。
「ひああぁぁっ!?」
「うわぁっ!?」
「おおっと! 危ないよ、タイラン」
尻餅をついたバサンズの頭上で、ヒイロがその甲冑――タイランを両手で受け止めていた。
「よい、しょ」
全身甲冑で相当な重量があるはずのそれを、特に苦にする様子もなく、ヒイロは地面に下ろした。
「す、すみません……あれ、でもヒイロはまだ休憩中でしたよね?」
「うん、休憩はしてるよ。単にこっちに戻ってきただけだし。タイラン、頑張ってね」
「はいぃ……」
ふらつきながらも、タイランは立ち上がった。
その頭上を、黒い影が舞ったかと思えば、降ってきた。
とっさにタイランが交差させた両腕で、頭を庇った――直後に、強い衝撃と打撃音がバサンズにまで伝わってきた。
「っい!?」
「よい判断であるぞ、タイラン。起き掛けには、特に注意が必要なのである」
空から舞い降りた影は飛び退き、武器を腰に下ろした。
狐獣人の剣客――キキョウであった。
「む」
キキョウの視線が、バサンズを捉えた。
思わず、バサンズの身体が震え上がる。
キキョウとは、シルバを通じて顔馴染みだ。
「こんばんはである」
「こ、こんばんは」
「シルバ殿から話は聞いている。湯治であるとか」
「え、ええまあ、そんなところです」
キキョウは表情も声音も平坦だ。
特に笑顔でもないが、かといって怒っているわけでもない。
どうにも感情が読みづらく、バサンズをしてはキキョウが何を考えているのか、少々不気味なモノを覚えていた。
「ふむ……ヒイロよ。案内したからには、お主が応対するのであるぞ?」
「うん!」
「ではタイラン。向こうで稽古を再開するのである」
「は、はい!」
あまりにあっさりと、キキョウは身を翻した。
それを、タイランが追う。
その先には、赤と青のドレスの美女二人が佇んでいた。
どこかで見たような気がするのだが、眼鏡を掛けていても、バサンズの視力ではそれが限界だった。
「……あちらの二人は?」
バサンズは、隣にいるヒイロに尋ねた。
「ヴァーミィとセルシア? カナリーさんの従者だよ。身の回りの世話とか護衛とか」
「ああ、なるほど……道理で」
見覚えがある気がしたのだ。
バサンズも学習院には出入りする。
カナリー・ホルスティンの名前は有名だし、今この村にはその関係者も多い。
「あの二人、見かけよりパワーもあるけど、やっぱり速さが厄介なんだよねー。それはともかく、ボクらも稽古を始めよっか」
ヒイロの武器は、巨大な骨剣だ。
ヒイロはそれを担ぐと、バサンズから十メルトほど距離を取った。
「と言われても、僕は何をすればいいのか……」
「何でもいいから、魔術を撃ってくれるかな。ボクの方は基本受け、もしくは回避! で、骨剣の届く距離まで迫れたら、ボクの勝ち。それまでにバサンズさんがボクを倒せたら、バサンズさんの勝ち。魔力回復薬は結構用意してあるから、遠慮なくどうぞ」
指差した先には灯籠があり、その脇に棚が用意されていた。
そこには数十本の瓶が用意されていた。
ポーションに、魔力回復薬だ。
「な、なんでこんなに大量に……」
金額に換算すると、かなりの額になる。
「ボクはよく分かんないんだけど、冒険者ギルドの爺ちゃんの差し入れ。その辺は、先輩とかカナリーさんの方が詳しいからー……聞いてこようか?」
「い、いえ、結構です! それよりも、これだけあれば魔力の心配も必要なさそうですし、稽古とかいうのを始めましょうか」
シルバ達のことを調べなければならないが、かといって必要以上の接触はしたくない。
こうした偵察は本業ではないのだ。
何処でボロを出すやら分からない。
この距離なら、向こうで刀を振るっているキキョウや、それに応じているタイラン達の様子も見ることができる。
それに、目の前のヒイロの実力も測ることができるだろう。
……とはいえ、勝手の分からないバサンズだ。
とりあえず、加減して風系の魔術『疾風』を唱え、杖を空にかざしてみる。
魔力の風が周囲に渦を巻き――それが、ヒイロの唸りを上げる骨剣の一振りで掻き消された。
「……」
バサンズの髪やローブも大きく、剣風に煽られた。
呆気にとられるバサンズに、さして力を振るった風もなく、ヒイロは再び骨剣を肩に担いだ。
「……うーん。怪我の心配してくれるのは嬉しいけど、できれば全力でお願いできるかな?」
「……はい」
全力でやらないと、僕の方が死ぬ、とバサンズは思った。
パンパン、パパン。
空気の弾ける音と共に、大気を凝縮させた弾丸がバサンズの指先からヒイロへ向かって放たれていく。
威力は低いが、短い詠唱で連続射出できる風系魔術『空弾』である。
魔力消費の効率もいい。
たとえ魔力回復薬があるといっても、休憩するまでに使える魔術は有限だ。
頭の中で、自分の使える魔術をリストアップし、魔力の消費量や威力を計算して、最も効率のいい相手の倒し方を構築していく。
ヒイロは、透明な空気の弾丸を骨剣を盾のように構え、受け止めていた。
その上で、こちらに向かって駆けてくる。
『空弾』には、ヒイロの突進を止められるほどの威力がないのだ。
「なかなか、やりますが……これならどうですか?」
スッと、バサンズは手をかざした。
『空弾』はあくまで牽制、こちらが本命だ。
「『轟噴』!!」
バサンズの背後から轟音と共に強い風が吹き、ヒイロへと流れていく。
使った魔術はただただ、強い風を吹かせるだけの魔術だ。
攻撃力は高くないが、小~中型までのモンスターならば、集団相手でも足止めが可能になる。
そして、ヒイロはどう見ても重量級ではない。
「ぐっ!」
ヒイロはとっさに地面に骨剣を突き刺したが、足下は浮いてしまった。
ならば、とバサンズは指先を、ヒイロの手元に向ける。
『空弾』で骨剣を手放させれば、ヒイロは風に流され、吹き飛ばされるだろう。
……が、それより早く、ヒイロは自分から骨剣から手を離した。
それを見て、バサンズは眉をひそめた。
勝負を投げたのか?
一瞬思ったが、次の瞬間バサンズは己の目を疑った。
ヒイロは後ろへ流されそうになりながらも、その場に留まっていた。
その様は、まるで急流の川の中で何とか倒れないように踏ん張っているかのようだ。
見ると、ブーツが光っている……あれが、今ヒイロが行なっている奇行のタネか!
そして手を振り回しながらバランスを取ると、まるで逆風に乗るか……いや、滑るかのようにこちらへと向かってきた。
「ちょ……えええええ!?」
さすがにこれは、バサンズも予想外だった。
「取った!」
ヒイロは手刀を、バサンズの喉元に突きつけた。
「取られましたけど……ひ、引き分けです」
「おりょ?」
ヒイロの脇腹に、バサンズの杖の先端が突き立っていた。
スゥッと透明になっていた杖が、姿を現す。
「……『不映』。空気を屈折させて対象を透明にする魔術で、杖を隠してました」
「むぅ」
ヒイロは少し不満そうではあったが、勝ちを強弁することはなかった。
それから何度かヒイロと対戦し、勝ったり負けたりを繰り返した。
「バサンズさん、強いねえ」
「い、いや、それほどでも……」
負けるにしても惨敗ということはなく、バサンズとしては、醜態をさらさずに済んでホッとしているところだった。
回復薬を飲んだヒイロは、向こうで訓練を積んでいるキキョウたちの方を見た。
「よし、それじゃ次集団戦やってみようか。あっちのキキョウさん達とカナリーさんも呼んで」
「ちょっ!?」
バサンズは全力で、遠慮することにした。




