バサンズと鬼の子
「フィリオ殿も無茶をなさるな。シルバ殿に何かあれば、貴方であっても容赦はせぬぞ」
「ほう、面白い。我に勝つつもりか」
フィリオはにぃ、と牙を剥く。
知性の中に底知れない獰猛さを見出し、バサンズは身震いする。
しかし、キキョウが怯む様子はなかった。
「勝ち目がなくても、戦わねばならぬ時があるのです」
「……ふん。心配せずとも、この辺りの泉はよい水だ。多少やり過ぎるぐらいに痛めつけたところで、回復はそれほど難しくはない」
「いやいや、その前にやり過ぎないようにしてもらいたいのだ!」
フィリオとキキョウが言い合っている一方、シルバはポリポリと頭を掻いた。
「しかしまあ……何だ。同窓会か何かか?」
「え?」
「いや、たまたま近くの村にイスやロッシェも滞在してるんだよ」
シルバの予想外の言葉に、バサンズは慌てた。
「な、何でですか? 何故、彼らがここに!?」
「や、向こうは向こうで、何か依頼を受けてたらしいぜ。あ、そうだ、せっかくだし呼んでみようか? バサンズも、久しぶりだろ? それに向こうは戦士二人だけみたいだし、もしバサンズがまだ、どこともパーティー組んでないんなら……」
バサンズは慌てて首を振った。
「あ、い、いや、僕はその! 今はまだ自分の研究に専念してまして! 当分はまだ、一人でやっていきたいと思ってるんです!」
というか、そんな提案は大きなお世話だった。
何せバサンズが今ここにいるのは、新しいパーティーに入る為のテストでもあるのだから。
「それに……少々会い辛いですし」
最悪といってもいい仲間割れで、『プラチナ・クロス』は解散したのだ。
これは紛れもない本音だった。
「そうかー……そういや俺、解散の原因とか、あんまり深くは聞いてなかったもんなー」
シルバは無神経だったかな、と少しションボリしたようだ。
「お、お気遣いなく。シルバさんはここ、長いんですか?」
「そういえば、それなりに長く逗留してるなぁ……まあ、ちょっと色々面倒ごとが増えたけど、そろそろ、街に戻るつもりだよ。いい加減『墜落殿』探索も再開したいしな」
「そ、そうですか……」
これはノワさんに知らせないといけないな、とバサンズは記憶に留めた。
そんな事はつゆ知らず、シルバは軽く笑っていた。
「ここは色んな温泉が多くていいぞ。まあ、ゆっくりしていくといいや。別に俺のモノじゃないけどな」
「あ、あはは……」
一方、宿の梁に潜んでいたロンはそれどころではなかった。
「……あの男、またしても!」
フィリオ・モースという男がキキョウと言い合いながら、不意にこちらに目を合わせてきたのだ。
ロンの中にある獣の血が、圧倒的強者の存在を本能的に感じ、全身からダラダラと冷や汗が溢れ出す。
そう、以前の隠れ家を暴かれたとき、教会の関係者やホルスティン家の者達と行動を共にしていた、あの男だ。
だが、フィリオは興味なさげにすぐに目を逸らし、キキョウとのやりとりに戻った。
どういうつもりか、お尋ね者である自分にも興味がないらしく、少なくとも今は放置してくれるらしい。
正直助かったと、ロンは胸を撫で下ろした。
……バサンズが目を開くと、視界いっぱいに星空が広がっていた。
耳に聞こえるのは、多くの賑わいだ。
そして、妙に身体が暖かい。
背中が直に滑らかな岩に触れているようで、ゴツゴツとした感触が伝わっていた。
「ここは……」
バサンズは目を細めた。
何だかズキズキする頭を軽く振り、自分の今の状況を思い出そうとした。
「おりょ、気がついた」
そんなバサンズの顔を、小柄な鬼族の子が覗き込んできた。
「うわあっ!?」
「おっと、危ないなあ」
大声を上げ、バサンズは思わず身体を起こしたが、相手がヒョイと頭を上げたおかげで頭突きをすることは避けられた。
だが勢いがついたせいで、自分が身を横たえていたらしい大きな岩から転がり落ちることになった。
「~~~~~!?」
落下の痛みはあれど、下が草むらだったのは幸いだろう。
しかし、まだどういう状況か分からない。
「ねー、大丈夫? 草むらでも時々小さな岩も突き出てるし、気をつけないと危ないよ?」
鬼族の子どもが岩の上に立って、そんなことを言っていた。
何か食べているようだが、串肉か何かだろうか。
半袖に短パンの地元っ子スタイルである。
周りを見渡すと、眼鏡のないぼんやりした視界だが、森の手前ぐらいの場所だと分かる。
少し離れた場所に見えるくらい灰色は岩……だとすれば、洞窟温泉の入り口か。
そこから伸びる眩い光は、温泉客目当ての屋台が入り口付近に確か集まっていたはずなので、それだろう。
鬼族の子どもが頬張っている何かも、そこで購入したモノなのかもしれない。
それは、まあ、分かるのだが……。
「どうして、自分はここに……?」
「洞窟温泉の中で、足を滑らせてスッ転んだらしいよ。憶えてない? まあ、放っておくのも何だしってことで、相談してここまで担いできたんだけど。あ、頭に異常はないって。少なくとも外から見た状態では」
「あ……」
その単語で思い出した。
夕方のあの騒動の後、荷物を部屋に置き、シルバの他の仲間を調べる為、彼の後を尾行したのだ。
そうしたら、そのままこの温泉に入ってしまったので、バサンズも追った。
だがいつの間にかはぐれ、気がついたら女性ばかり入浴している広間に辿り着いたのだ。
裸の女性ばかりで驚いた拍子に足を滑らせ、頭をぶつけて、気絶した……。
「うあ……」
記憶が甦ると同時に、バサンズの鼻から血が流れた。
慌てて鼻の下を押さえる。
鬼族の子どもは特に非難もせず、バサンズの首筋をトントンと叩いた。
「ほらほら。上向いて、鼻を押さえといて」
「は、はぁ……すみません」
優しい子だなと思う、バサンズだった。
亜人種なんて、あのクロスのように得体が知れない連中ばかりだと思っていたが、少し価値観が変わりそうだ。
「この時間は、女の子が多いから気をつけた方がいいよ。それ目当てで入るやらしー人達は撃退されちゃうし、おにーさんみたいな人は逆に慌てて逃げて足滑らせて転んで、最悪死ぬって話も聞くし。本当にあったのかは知らないけど」
「す、すみません……」
まさしくそうなりかけたバサンズは、ひたすら恐縮するしかない。
そして当面の目的を思い出した。
「でも確か、男の人も先に入っていきましたよね? 僕は、だから大丈夫なんじゃないかなって、入ったんですけど……」
「あー、なるほどねー。そういうこともあるか。……ってことは、リフちゃん連れてた、先輩のことかなぁ。まあ、女の子が多いといっても、男がゼロって訳じゃないしね。アーミゼスト支部のギルドマスターやってる爺ちゃんもさっき、見たし」
「ギ……」
サラッと大物の名前が出て、バサンズは仰天した。
「ん、そんなに不思議? 今、この村に滞在してるって、知らない? 何かねー、すごく強そうな人がいっぱい護衛してるんだよ」
「そ、それは知ってましたけど……」
このエトビ村を訪れる馬車の中で、この村の状況はロンから大体聞かされていた。
あちこちに、偉い人がいるのだ。
白銀級冒険者パーティー『プラチナ・クロス』に所属していた頃は、何度か貴族の依頼も受けたことがある。
けれど、そうした時の対応は常に、リーダーであるイスハータや聖職者のシルバ・ロックールが行なっていたのだ。
基本的に小市民なバサンズである。
そうした方々に、もしも遭遇してしまったら、どう接していいか分からない。
マナーなんて知らないし、旧パーティー時代もそうした局面では常に「研究があるので」を逃げ口上にしてきたのだ。
「そんなの気にしなくていいのに。無礼講って奴でいいと思うよ」
困惑するバサンズに、無責任にそんなことを言って笑う、鬼族の子どもであった。




