ヒイロと洞窟温泉
その部屋には、多くの動物がいた。
「お」
ここはそういう風呂場か、と思い、シルバも動物達を刺激しないように、ゆっくりと部屋の縁を進んでいく。
「や、先輩!」
すぐ隣から人間の言葉が聞こえて、シルバはちょっと驚いた。
声の主は、小柄な鬼族だったからだ。
要するにヒイロである。
「……動物の中に混じってても、何一つ違和感なかったんだが」
「ほめ言葉?」
「好きに受け取ってくれ。動物達から情報収集でもしてたのか?」
「リフちゃんじゃあるまいし、ボクにはそんな特殊な力はないですよーだ。でも、全然見ないよ黒い影。ホントにいるのかな?」
二人並んで歩きながら、受け答えを続ける。
「実際に遭遇した人がいるらしいし、そこのところは確かだろ……さすがに一日ここを貸し切りにして、単にいい湯でしたよじゃ依頼主だって納得しないと思うぞ」
「だねー」
「しかしまあ、色々な動物がいるな」
シルバは広い部屋を見渡した。
様々な動物が、全部で三十匹近くはいるのではないだろうか。
どの動物達も、動物の中でのルールでもあるのか、この風呂では皆、大人しいようだ。
「うん、多分森のどこかに他の入り口があるんだろうね。熊にウサギに……」
「猿に鹿……」
「……狼に小鬼に狸さん」
「ええーとあと狐と……ってちょっと待て、ヒイロ」
シルバはふと、気がついた。
「ふに?」
「今、何か変なの混じってなかったか?」
二人の視線が、醜い小鬼に向いた。
「「モンスター!?」」
「キィッ!」
その声に反応して飛び上がったのは、シルバ達が見ていた小鬼だけではない。
ハッとヒイロが振り返ると、『黒い影』が陶製の瓶を抱えて逃げ出そうとしていた。
「あぁー! ボクのホットジュース、返せーっ!」
「おい、あれいつの間に買ってた!? どこで売ってた!?」
「それは後回しだよ先輩! とにかく取り戻す!」
ヒイロは湯に飛び込んだ。
その勢いと大声に、動物達が方々へと逃げていく。
シルバの立っている場所とは対岸に当たる通路を駆けていく、小鬼。
それほど素早くないのがせめてもの救いか。
ヒイロがお湯をかき分けて追いかけるのと、ほぼ同じぐらいの速度だ。
いや、あれはヒイロだからこそ出せる速度か。
さすがに足が半分以上湯の中にあると、抵抗力は半端ではないはずだ。
「おい待て、ヒイロ! 深追いするな! 今、『飛翔』の祝福を掛けるから、もう少しだけ待て!」
シルバは通路を走りながら、ヒイロに声を掛けた。
しばらくすれば、対岸に繋がる浅瀬があるのだ。
「二匹程度なら、何とかなるよ!」
「そりゃ、二匹程度ならな!」
「え、それってどういう……わぷっ!?」
いきなり、ヒイロの身体が消えた。
「ヒイロ!?」
いや違う、とシルバは気がつき、湯の中に飛び込んだ。
通路の先は深くなっており、ヒイロはそこに沈んでしまったのだ。
見ると、底は穴になっており、どこかに通じているようだった。
シルバもヒイロを追って、その穴に潜った。
滝のように天井の穴からお湯が溢れ出ていた。
しかし通路に湯は張られておらず、案内のペンキも塗られていない。
どうやらここは、洞窟温泉の中でも知られていない、地下層のどこからしかった。
壁にもたれ掛かり、シルバとヒイロはヘタリ込んでいた。
シルバは息が切れる寸前だったし、ヒイロはお湯をたらふく飲んでいた。
「……小鬼は力は弱いが狡猾で、大抵集団で行動する。それほど知能も高くないけど、たまにこうやって罠を仕掛けてくることもある訳だ。基本中の基本だぞ」
「……勉強になりましたー」
敵がいないのが、せめてもの救いであった。
とりあえず、『透心』でキキョウたちに連絡を取ってみた。
ただ、場所が分からないのが痛く、しばらく時間が掛かりそうだった。
まあ『透心』を意識し続ければ、シルバの位置は分かるはずだ。
それまでは、何とかヒイロと二人でやり過ごすしかない。
幸い、通路にはヒカリゴケが生えており、薄暗くはあったが視界が利かない訳ではなかった。
『墜落殿』という迷宮を探索してるシルバ達には、慣れた世界でもある。
ヒイロは、小さな岩に腰掛けて右足を前に突き出した。
屈み込んだシルバが、具合を確かめる。
「いちちちち……」
シルバが足首を撫でると、ヒイロの足がピクッと反応した。
「痛むか?」
「ちょっと」
やはり、捻挫しているようだった。
「調子に乗るからだ。この馬鹿」
「あはは……ごめんなさい」
笑ってこそいるものの、いつもの元気さはややなりを潜めている。
さすがに、ヒイロも反省しているようだった。
一方シルバは、足の診断に集中する。
一歩間違えれば非常に際どい部分が見える角度なのだが、そんなことに構うシルバではなかった。
「やっぱり駄目だな。捻挫は回復と相性が悪い。痛みを和らげることは出来るけど、今は無理な動きは控えるべきだ。ここは温泉地だし、療養には……」
「……」
返事がないので、シルバは顔を上げた。
「ん? どうした、ボンヤリして」
何故か頬を赤くしたっぽいヒイロが、ぶるぶるぶると勢いよく首を振った。
「あ、や、うん! 切り傷とかだとあっと言う間なのに、おかしいよねぇ」
「んー、難しい説明は俺も苦手なんだけど、通常の傷は、肉体が傷つけられたって認識になるだろ。でも、捻挫や脱臼は言ってみれば筋肉痛と同じ、関節の異常でな。身体が無理をしているっていう、信号そのものでもあるんだよ。そういう信号は治しづらい。筋肉痛が『回復』で治ると思うか?」
「あぁー、よく分からないけど、納得は出来たかも」
「うん、まあそんな所だ。で、どっちがいい」
言って、シルバは立ち上がった。
ヒイロはきょとんとした顔で、シルバを見上げる。
「どっちって?」
「お姫様だっことおんぶ」
「か、か、肩を貸すって選択肢はないの!?」
「いや、俺はそれほど大柄じゃないけど、それでも身長差はあるだろ?」
何しろヒイロである。
まさか恥ずかしがってる訳じゃないよなと思う、シルバだった。
しかし、何故かたっぷり百ほど数える時間を要して、ヒイロは決断した。
「うぅ……じゃあ、おんぶで」
「よし。うん、まあ一回担いだこともあるし、こっちの方が楽だな」
妙に遠慮がちに、ヒイロはシルバの背中に身体を預けた。
……そういえば前の時は、寝てたっけ、コイツ。
と、思い返すシルバであった。
「……意外に筋肉あるよね、先輩」
ちょっと感心したような声を上げる、ヒイロだった。
「教会のお務めは、力仕事も多いんでね」
ここのタイトルは変わるかもです。




