エトビ村騒動記
ここ数日の、エトビ村の忙しなさは尋常ではなかった。
キッカケはどこかとなると、例の猪の群れを偶然ここ、『月見荘』に宿泊する事となった冒険者たちが倒してくれたことになるのだろう。
問題は、ひとまず解決してくれた。
猪たちの暴走は鎮まり、人里に下りてくることはなくなったと冒険者たちは説明してくれた。
ただ、別の問題が生じた。
猪たちは高い知性を有していることが判明したのだ。
つまり、交渉が可能であり、彼らと友好的な協定を結ぶかどうか、その判断は流れ者である冒険者たちが行なうことではない。
なので、村からは村長、この村の冒険者ギルドのマスター、そして自警団の団長が出ることになった。
しかし、とその冒険者の中でもひときわ派手な、魔術師は言った。
「彼らは新種のモンスターという扱いになる。もちろん、彼らの領域と接する君たちの生活も大切だが、この村の一存で収まる話でもない。故に、この辺境全体を監督している冒険者ギルドの支部長や教会の管区区長なんかが訪れることになる。僕たちも手伝うが、まあ頑張ってくれたまえ」
冒険者達の縁もあって、冒険者ギルドのアーミゼスト支部長やゴドー聖教の司教といった、本来ならこんな辺鄙な村にはまず訪れそうにない重要人物たちが、この宿で会議を開くことになったのだ。
基本的にお忍びと言う事もあり、酒場部分を貸し切っての話し合いだったが、失礼がないようにと村民が一体となって準備に取りかかったが、その苦労は並大抵のモノではなかった。
てんやわんやの大騒ぎが、遠い昔に思える自警団団長であり村長代理でもある、アブである。
幸い、今日は晴天に恵まれ、会議も多少のドタバタはあったものの、何とか乗り切ることが出来た。
ちなみに客人たちの多くは、自分の実家である村長家や、他の宿に逗留することになった。
この宿はそこそこ大きいとはいえ、秘書官だの護衛官だの使いの者だのといった、数にしてみれば五十を超える(しかもこれでも少なくしたという!)人間は収容が不可能だったからだ。
「終わったー」
会議の後片付けを終え、アブはカウンター裏の椅子に崩れ落ちた。
赤毛の、精悍な印象を受ける青年だ。
見かけ通り力仕事は得意だが、その分馬鹿である。
その代わり不思議と愛嬌があり、村長の孫という事もあって若い者の中でも頼りにされている。
彼の頭脳分をフォローするのは、もっぱらこの『月見荘』の若主人、メナである。
黒髪をショートカットにし、ゆったりとした平服を着込んでいる。
アブもメナも、宿泊客であるシルバが施してくれた治癒により、猪たちとの戦いで生じた怪我はすっかり治っていた。
なお両親は宿をメナに託すとさっさと隠居して、アブの両親と共に現在、世界のどこかを旅行中だ。
最新の便りでは、しばらくはルベラント聖王国辺りにいるらしい。
「お疲れ。ほれ」
メナはアブに背を向けたまま、後ろのアブに陶器を差し出してきた。
中身はレイムの蜂蜜漬けだ。
「美味いな、これ」
「そうか」
メナが後ろを向いているのは別に愛想が悪い訳ではない。
単に仕事中だからに過ぎないし、アブもその辺は気にしない。
「いやもう、マジ疲れたって。ないだろ、あれは。何だってこんな村にあんな偉いさんが集まるんだよ……」
今更なことを言うアブであった。
「こんな村とか言うな、村長代理」
「あんの糞爺……! 都合のいい時だけ、腰痛になりやがって……! 何が湯治だコンチクショー!」
「寿命が縮んだか」
「ああ、三十年ぐらいな」
「……余命数年か。葬式の方は任せろ。ウチの宿を選んでくれたんだ。今なら金は結構ある」
「そうか、頼んだ。化けて出てやるよ」
実際、プレッシャーは相当だったアブである。
モシャモシャと、レイムを口に放り入れていく。
レイム自体の酸っぱさと蜂蜜の甘さが相まって、いくらでも入りそうだ。
「しかし、アブ。本当にうちでよかったのかね。他にもデカイ宿なら結構あったのに」
「別にここがボロいって訳でもないだろうし、いいんじゃないか? もしくは今回の報酬で、全面的に改装するとか。まあ、しないだろうけどな」
「当たり前だ。こう見えても老舗の宿だからな」
ふん、とメナは胸を張ったその時だ。
「ふぉっふぉっふぉ。そうそう、今のまま是非続けて欲しいもんじゃの」
そんな声が、カウンターの向こうから響いてきた。
「や、こ、これは、ギ、ギルドマスター!」
「し、失礼しました」
アブが慌てて立ち上がり、メナも接客用の口調で深く頭を下げる。
背丈はアブ達の股下ぐらいまでしかない、鷲鼻が特徴的な小柄な老人だ。
今は仕事用の紫の衣ではなく、老人用の平服に着替えている。
冒険者ギルドのアーミゼスト支部長、ポメル・ロードジム。
この辺境周辺で、最もえらい人物の一人である。
あまりに小さかったので、カウンター前にいたメナですら気付かなかったらしい。
……いや、おそらくこっそりと近づいてきたのだろうと、会議の時の老人を知っているアブは思った。
この老人、かなり悪戯好きらしい。
「よいよい。それに今はお忍び故、その呼び名は控えておくれ。そうじゃの、ご隠居とかその辺でよいわ」
「は、はい!」
メナはビシッとかしこまる。
「して、紙とインクが欲しいのじゃが。できれば水ににじまぬものをな」
「はい?」
「何、洞窟温泉の自作マップ作りでもしてみようかと思っての。偉うなると、迷宮探索もしにくくなっての。せめてもの手慰みじゃて。あ、インクはこっちに入れておくれ」
言って、ポメルは首にぶら下げていた小さな瓶をカウンターに置いた。
「わ、分かりました」
老人が去り、メナは小さく息を吐いた。
「あ、あれが冒険者ギルドのアーミゼスト支部長か。緊張はしたが……思ったよりは、気さくな爺さんなんだな。もうちょっと偉そうだと思ってた」
「……失礼なこと言うなよ。いや、そう思うのも無理ないけど」
そういえば、メナがポメルと話したのは、今のが初めてだったなとアブは思い出した。
お出迎えの挨拶はとても会話とは言えないし、ほとんどのやりとりは秘書官を通していたのだ。
「会議の内容ってどうだったんだ?」
アブに背中を向けたまま、メナが尋ねる。
「お前、それ、俺が話すと思うか?」
「話せる範囲なら話すだろ」
アブは少し考え、確かにその通りだと納得した。
「……まあ、どうせいずれ広まる話ならいいか。猪たちと俺たち人間との縄張りの境界は、マルテンス村に設定された。ああ、森の向こうにある廃村な。というかその辺の権利関係で、村長であるジジイが会議に呼ばれてたんだが……代理で俺が出る羽目になった。元々は温泉掘るために作られた村だったんだがほら、エトビ村で充分過ぎるぐらい、温泉が発見されてるだろ? 何も交通の便の悪いところで暮らすこともないだろうと、最終的に村人たちはエトビ村に吸収されることになったんだと。俺たちが生まれるより前の話だから、あくまでジジイから聞いた話だけどな」
「へえ、そのマルテンス村って結局、温泉は出たのかな?」
「いや、そこまでは知らねえよ。ジジイからは、聞いてなかった。その件だけど……」
そこで、アブは口をつぐんだ。
新たな客が、カウンターに近づいてきたからだ。
ヒイロが飼いたいと言っていたバレットボアがどうなったのかとかは、また後述。
活動報告に生活魔術師達のコミカライズの情報を掲載しました。
あと明日は、書籍化作業で更新をお休みさせていただきます。
よろしくお願いします。




