隠れ里
「シルバ殿、ストップだ」
森の中の街道を中程まで進んで、不意にキキョウが足を止めた。
「近いのか?」
「分からぬが、匂いが強くなったのは確かなのである」
出発前、依頼者から、行方不明になったという行商人が取り扱っていたという香辛料の小袋を借りていた。
狐獣人であるキキョウはその匂いを憶え、森に入ってからその臭いを追っていたのだった。
「いなくなるとすれば、確かにこの辺だよな」
「ふぅむ……」
キキョウは道の真ん中で、グルグルと回り始めた。
さすがにこうしたいなくなった人間の追跡となると、シルバたちにはどうしようもない。
というかキキョウが追跡できないのであれば、そもそもこの依頼を受けなかったのだが。
「……キキョウ、日にちが結構経ってるけど、いけるか?」
「通常なら厳しいが、荷が香辛料ということであったからな。それにここ最近、雨も降っていなかった。そういうことならば、某でも……」
鼻を鳴らしていたキキョウだったが、やがてピタリとその動きを止めた。
そして、左右に首を振った。
「……匂いが二つに分かれているのだ。強い方があっちで、弱い方があっちとなる。如何する、シルバ殿?」
行商人は馬車を使っていたという。
シルバは考えた。
匂いが二つに分かれているということは、片方はおそらく馬車だろう。
普通に考えれば、匂いの強い方が荷物の香辛料だろう。
なら弱い方は……その匂いのついた、行商人ではないだろうか。
「まずは弱い方」
「だよねぇ」
「ですよね」
「うむ」
荷物と行商人が分かれているということは、つまり何かがあった、ということだ。
シルバたちは、弱い匂いを追うことにした。
シルバは預かっていた皆の武器を、それぞれに返した。
街道から外れてしばらく歩くと、山の斜面に穴があった。
「洞窟か」
少し手前に大きな岩があり、斜面の角度もあって微妙に分かりづらい位置にあった。
洞窟の大きさは、タイランでも楽に通れそうなぐらい広そうだ。
水場が近いのか、洞窟はあちこちが濡れ、湿り気を帯びていた。
「モンスターの気配は少なくとも、ここからは感じられぬな。匂いはこの奥に続いているぞ」
「じゃあ、警戒しながら進もう。タイラン、先頭を頼む」
「は、はい」
動く鎧であるタイランには、暗闇も関係ない。
タイランが先行し、その後ろをシルバたちはついていく。
シルバは足下の石ころを拾い、聖句を唱えた。
「『発光』」
祝福を施された石ころが淡い光を放ち、洞窟を明るく照らしていく。
シルバはそれを一つずつ、キキョウたちに手渡していく。
「ほい、全員一つずつ。大した魔力は使わないし、戦闘になったら捨てていいから」
「ほえ~、ピカピカ」
ヒイロは嬉しそうに、光る石ころを頭上にかざした。
「あんまり見てると、目を悪くするぞ」
「うひゃっ!?」
悲鳴と共に、ヒイロが濡れた石で足を滑らせた。
「ついでに足下も疎かになる」
「うう~、あと少しだけ早く言って欲しかったよ、先輩」
転倒こそしなかったものの、ヒイロはバツが悪そうにした。
「シルバさん、モンスターの気配、今のところありません。ただ、迷路みたいになっているみたいですけど……」
なるほど、タイランの指差した先は、二叉になっていた。
「じゃあ、目印を付けながら進もうか」
「はい」
シルバは道具袋から白墨を取り出し、岩壁に印を付けた。
一方、キキョウは二つの通路を何度か見やり、やがて左の通路を指差した。
「……シルバ殿。空気の流れなら某、分かる故、ある程度なら出口の目星は付きそうだぞ」
「じゃあタイラン、キキョウの案内で進んでくれ。キキョウは前へ出てくれ」
「は、はい……分かりました」
「心得た」
何度かの分岐を経て、シルバたちは岩の壁に行き着いた。
「むぅ……?」
「行き止まり、みたいですね……」
どう見ても、ここから先には進めそうにない。
「それは、どうだろうな」
あくまで、見た目は、だ。
シルバは岩壁に近付いた。
「シルバさん?」
「キキョウは空気の流れを読んで、ここまで来たんだろう? ってことは……」
シルバは岩壁に手を伸ばした。
すると、手は岩壁に吸い込まれるように、腕の中程まで埋まってしまった。
「わ、手がすり抜けた!?」
感触はなく、中は空洞のようだ。
手を引き戻すが、何ともない。
「うむ、これはまやかしの類であるな。風が通っているのだ。この先に、出口がある。ゆくぞ、タイラン」
「は、はい」
まずはキキョウが慎重に岩壁を潜り、問題がないことを確かめて、その後、タイラン、シルバ、ヒイロと続いた。
そこから先は一直線だった。
なだらかな上り坂を進むと、やがて外に繋がると思しき出口が見えた。
「おお~……」
ヒイロが歓声を上げる。
気がつかない内に、山の中腹辺りまで上っていたらしい。
どうやら山の裏側、盆地になっている場所に出たらしい。
眼下には木々に囲まれた村と畑があった。
「あれは……隠れ里って奴か? 多分、地図には載ってないよな」
シルバはそう呟くが、アーミゼストはまだまだ未踏破区域が多く、こうした地図上にない集落も珍しくはないのだ。
隣に立ったキキョウが、村を指差した。
「シルバ殿。匂いはあの村に続いているようだぞ」
「……となると、一応訪ねる必要はあるな。とにかく慎重に行こう。……うん、キキョウナイスキャッチ」
村に駆け出そうと斜面を飛び降りようとしたヒイロの首根っこを、キキョウが掴んだ。
「えー、目の前に村があるんだから、走って行くべきじゃない?」
ヒイロは不満そうだ。
むぅ、とキキョウは口元をへの字に曲げた。
「村の住人の気持ちになってみろ。外から武装した正体不明の団体が来るのだぞ? 警戒するに決まっているであろう」
「『おはろー』『やっふー』って手を叩いて挨拶とか、無理かなあ?」
不思議そうにするヒイロをキキョウが釣り上げ、さらにその後頭部をシルバが叩いた。
「……このメンバー同士ですらやったことないだろ、それ」
「じゃあ、これからこれが、ボク達の挨拶で」
「却下」
シルバは一刀両断した。
「……ちょっと、恥ずかしいですね」
「タイラン、それは控えめに過ぎる。もっとハッキリ断るべきである」
「ええー、みんな冷たい」
そんな阿呆な話をしながら、一行は斜面を下り、村を目指した。
盆地の中にはモンスターもいないようで、特に何のトラブルもなく村にたどり着くことができた。
村には見張りもおらず、そのまま普通には入れたのだが……。
「こんにちは」
「……っ!?」
最初に声を掛けた青年は、挨拶するシルバに目を見開き、脱兎の如く逃げ出してしまった。
「逃げられちゃったね?」
それから、二、三人に挨拶してみたが、反応はやはり大差なかった。
「……そんなに俺の顔って、問題あったか?」
ちょっとへこむ、シルバであった。
「い、いえ、ごく普通の挨拶でしたし、顔の問題でもなかったと思うんですけど……」
「武器はちゃんと納めてたよ!」
タイランがフォローを入れてくれた。
またヒイロの言う通り、相手を警戒させてもいけないかと思って、全員の武器をまた一度、シルバは預かったのだ。
もっとも、シルバを除く三人は素手でも普通に強いのだが。
しかし、こんな風に逃げられると、まともに情報収集もできそうにない。
「やっぱりここはキキョウに任せるべきだったか」
「某?」
突然話を振られ、キキョウは戸惑った様子を見せた。
「いや、大体の人はキキョウが微笑んで近付いたら、硬直するから」
「初耳であるぞ!?」
驚愕するキキョウだったが、その後ろでヒイロとタイランも納得していた。
「……うん、分かる」
「……分かります」
「お主たちまで!?」
「いやいや、冗談じゃないぞ。何なら次に出会った人で試してみようじゃないか」
「そ、それほど言うのなら、やってみるのである。しかし、某の顔にそのような効果はおそらくないぞ」
キキョウは頑なに主張した。
しかし……。
五分後。
頬を赤く染めた数人の村娘の案内で、シルバたちは村にあるという小さな施療院に案内されることとなった。
怪我を負った行商人が、そこにいるのだという。
「上手くいったな」
「やったね♪」
「さすがです。キキョウさん」
「……何だか、釈然としないのである」
作戦は成功したが、納得がいかないという表情のキキョウであった。




