泉の湯へようこそ
キャノンボアたちと別れ、シルバたちは沼地の上流を目指すことにした。
森の中の緩やかな坂を歩いていると、ふとリフが耳を立てた。
「に……」
同じく、キキョウの尻尾もピンと立った。
だが、警戒している様子でもない。
「むぅ、空気が変わったのである。おそらく、結界の類であろうな」
「にぅ」
だが、少し後ろを歩いているシルバにはよく分からない。
干し肉をかじっているヒイロは、まだ寝ぼけ眼だ。
そんなシルバたちを振り返り、カナリーが首を傾げた。
「ふむ? 僕たちにはよく分からなかったが……」
「先ほどまでを外とするならば、ここは内なのである。壁も天井も一見ないが、ダンジョンの一種とみてよい」
歩きながら、キキョウは後ろや空を指さした。
「……とはいえ、ダンジョンのモンスターが出る訳ではなく、異界の一種と呼ぶべきなのであろうな。おそらくここが、泉の精の空間なのであろう」
「にう。人目につきにくい空間。作った人の許可か、力づくかのどっちかじゃないとダメ」
「実に、興味深いね」
魔術や錬金術に造詣が深いからだろう、カナリーは尖った耳を上下に揺らしていた。
一方、ヒイロは歩きながら半ば眠っているのか、頭がグラグラし始めていた。
それでも干し肉はかじり続けている辺り、さすがである。
「ヒイロ、大丈夫か?」
「んー……問題はないかな。ちゃんと寝たしねぇ……」
まったく大丈夫じゃない様子で、ヒイロは返事をした。
これは、沼地に置いておくべきだったか、もしくはもうちょっと休んでからの方がよかったかと、シルバは思った。
「……まあ、『回復』も掛けたし、倒れることはないとは思うけど、村に戻ったらちゃんと宿で一休みしといた方がいいだろうな。今回はなかなかハードだった気がする」
キャノンボアのメイジェル率いるバレットボアたちとの戦い。
さらに沼地での灼熱の精霊戦。
どちらでも、ヒイロは大きな活躍をした。
傷は癒えたが、精神的な疲労までは、『回復』は癒やしてくれないのである。
「……まだ、昼過ぎなんだよねえ」
新たな干し肉を、腰の道具袋から取り出すヒイロである。
「あんまり食べ過ぎるなよ」
「……うん。あと五つぐらいで我慢しとく」
「そりゃ我慢のうちに入らないだろ! 没収!」
ヒイロは、沼地からここまで、バクバクと食べ続けていたのである。
シルバはヒイロの腰から、道具袋を取り上げた。
それまで、半ば眠っていたヒイロの目が、見開かれた。
「あああ、先輩せめてあと四つ!」
「あと一つぐらいなら可愛げがあったんだがな!」
シルバとヒイロの、奪い合いが始まった。
普段ならヒイロの圧勝だろうが、まだ本調子ではないので、シルバにも分のある戦いだった。
そんな二人のやりとりを、カナリーとタイランは振り返ってみていた。
「……あれだけ戦ったのに、本当にヒイロは元気だねえ」
「でも、なんか突然動きが止まりそうで、ちょっと怖いです」
「……言えているのである」
そうして、一刻ほども歩いただろうか、不意に視界が開けた。
そこには泉が広がっており、水面には二十代半ばほどの落ち着いた雰囲気の女性が立っていた。
頭に冠をかぶり、白い衣装に身を包んだその姿は、お伽噺にも出てくる泉の精そのものだった。
「ようこそ、皆さん。お待ちしておりました」
「おー……」
泉には、うっすらと白い靄が漂っていた。
シルバの肌にも感じられるほのかな熱から察するに、おそらくこの泉は温泉の類なのだろう。
ここまで、何となく泉には清涼なイメージがあったが、これはこれでと思うシルバだった。
「っと、感心している場合じゃないな。俺はシルバ・ロックール。ゴドー聖教の司祭で、このパーティー『アンノウン』のリーダーです」
シルバは印を切り、頭を下げた。
それに倣い、泉の精も穏やかに微笑んだ。
「これはご丁寧にありがとうございます。私には名前がありませんので……そのまま泉の精とでもお呼びください」
「名前がないんですか」
シルバが目を瞬かせると、何故か左右から口を塞がれた。
カナリーとキキョウである。
「……おい、ちょっと二人とも?」
「これ以上、フラグを立てさせる訳にはいかないからねぇ。いい加減、学習したまえ、シルバ」
「……うむ、これは、カナリーの言う通りなのである」
お前ら俺を一体何だと思ってるんだ、とシルバは抗議したかったが、前科があったので口にすることはなかった。
「にう。『泉の精』でいい」
リフが言う。
一方泉の精は、何かに気付いたのか、シルバたちを見渡した。
「あら、先ほど沼地でお目にかかった、精霊さんはおられないようですね?」
「あ、わ、私です」
タイランが、手を上げた。
「……これは、ずいぶんと硬い身体になられましたね」
「いえ、その、これは外装であって、中身は違いますから……」
どうやら泉の精は、天然の気があるようだ。
いや、泉なのだから天然なのは当たり前なのか……?
ちょっと悩む、シルバだったが、口に出たのは別の疑問だった。
「ところで、これは……」
シルバは、湯気の立つ泉を指さした。
「はい。お礼とは別に、まずは身体を癒やしてもらおうと思いまして、湯を用意させて頂きました。どうぞ」
「む、う……」
シルバたちの間に、わずかに緊張が走った。
最初に動いたのはタイランで、泉の精を手招きした。
そして、シルバたちからやや離れた位置で、小声で話し始めた。
「あ、あの、泉の精様……その、ちょっとご相談が……」
「はぁ、男女別に……人間とは不便ですね……」
などと話し合っていると、次にリフが泉に飛び込んだ。
「にう」
もちろん、服は脱いでいないし、ブーツもそのままだ。
「あ、こらリフ、服を着たまま入ってはならぬ」
キキョウが注意したが、意外そうな反応を示したのは泉の精だ。
「え、ダメなのですか?」
「にに……これ、そのまま入って大丈夫。濡れてもすぐ乾く」
泉から出てきたリフは、両腕を広げた。
なるほど、濡れている気配がない。
「……変わった湯だね。まあ、そういうことなら、滅多にない経験だ。僕も試してみようかな」
ふぅむと唸るカナリーに、まだキキョウは納得していないようだった。
「いや、しかしこれは、礼儀としてどうなのであるか?」
そんなキキョウをぐいと引き寄せ、カナリーは耳打ちした。
「……キキョウ。気持ちは分かるけどね、このまま話を突き詰めていくと、最終的に困るのは自分だってことは、自覚しておいた方がいいと思うよ」
「……ぬうぅ」
結局、カナリーとキキョウも、泉に入ることになった。
「すやぁ……」
湯に浸かるシルバの横で、ヒイロは石を枕に熟睡していた。
「また寝た。ヒイロ、溺れるぞ」
「に、だいじょうぶ。このお湯、息できる」
「マジか。すごいな、泉の湯」
感心しながらも、疲労が抜けていくのを感じる、シルバであった。




