猪達の奇襲
干しぶどうを食べ終えたキキョウが、何気なく皆に背を向けた。
「……」
「どうした、キキョウ」
「いや、特に何もないのである」
キキョウは笑いながら、刀の柄に手を当て、わずかに腰を落とした。
明らかに臨戦態勢だ。
『……敵か?』
しかし、それに気付いたのは『透心』をキキョウに向けたシルバと、ちょうど偵察を再開しようと空に浮かぼうとしていたカナリーだけだった。
『――シルバ殿。思った以上に奴ら、賢しいようであるぞ。カナリーよ。某が動いたら、その先に向けて大きめの雷を頼むのだ。出来れば生け捕りにしたい。相談している余裕は――なさそうであるっ!』
強烈な踏み込みに、地面が陥没する。
木々の狭間を駆け抜け、キキョウは前のめりになって徐々に加速する。
青みがかった空に、カナリーは高々と手を掲げた。
「雷雨!!」
勢いよく振り下ろされた手の平から生じた紫色の雷光が、森の一角に直撃する。
突然放たれたカナリーの攻撃魔術に、呑気にご飯を食べていたヒイロ達は大いに慌てた。
「うわっ!? ど、どうしたの、カナリーさん!?」
「キキョウに聞いてくれ! 僕にも分からない!」
濛々と立ち込める白煙と火花が晴れていく。
……カナリーなりに気遣ったのだろう、燃えた木は少ないようだ。
これは後で、タイランに頼んで消火してもらえば問題はないだろう。
「猪が偵察とは……どうやら本当に、並の猪達ではないのである!!」
雷撃によって小さく開けた場所では、二頭の比較的小柄なバレットボアが姿を現していた。
「ブルル……! ブル……ブルル……!?」
彼らもまた、突然の雷に困惑しているようだ。
右往左往しているバレットボアへ、キキョウは疾走する。
リフなら、おそらく言葉も通じるはず。
左手に持った刀の鞘を、ひっくり返す。
キキョウに、殺すつもりはない。
峰打ちで、彼らを生け捕りにする腹積もりであった。
「ブルゥ……ッ!?」
一方、ようやくキキョウに気付いた猪達は、二手に分かれようとした。
挟撃するつもりなのだろう。
猪にしては速いが、キキョウが追いつく方が明らかに速い。
左にいるバレットボアを叩きのめそうと、刃を抜き――。、
「――!?」
足下の違和感に、キキョウは驚愕した。
何の変哲もなかった地面が突然崩壊し、真っ黒い大きな穴が生じたのだ。
「古い、落とし穴……っ!?」
尻尾を振るい、空中に生じた架空の足場を大きく踏み込む。
二段ジャンプでかろうじて後方、穴の縁に着地する。
「ブルルッ……!!」
バレットボア達は、キキョウに目もくれず、森の中へと消えていった。
「……マジであるか」
あまりに見事な撤退に、思わずキキョウは呟いていた。
シルバ達が追いついたのは、それからすぐの事だった。
「キキョウ、大丈夫か?」
キキョウは頭を振った。
「うむ、某自体には何ら問題はない。しかし相手は相当やるようである。斥候まで用意するとは、ただの猪だと思って舐めてかかると、これはとんでもない目にあうかもしれぬ」
「……斥候? 猪が?」
「おまけに、既に捨てられたと思しき古い罠まで活かし、逃げに徹したあの行動は見事。……ああまでされては追いつけぬ。あの動きは、獣というよりむしろ人の野伏や盗賊に近いのである」
「それにしても、よく気がついたなぁ」
感心したように言うと、照れたように頭を掻くキキョウの耳と尻尾が小さく揺れた。
「ふむむ、某もこれでも獣なので、山や森ならば多少の勘は働く。某はこういった事でしか役に立てぬ故、気を張っていただけなのだ。あとわずかでも近付けば、リフ達でも気付いていたであろう」
「いや、そこは威張っていいぞ。そのわずかの差が、結構でかいんだから」
言って、シルバは腕を組み唸った。
「……それにしても……その連中の動き、頭がいいとかいうレベルか?」
森の中を進む。
長い年月を掛けて踏み固められた道は、大体馬車一台分が通れそうな幅がある。
「……何か、地面が揺れてないか?」
シルバは地面に目を向けた。
足の裏の振動は、休む事がない。
いや、むしろ徐々に強くなってきているような気までする。
「んー、普通の揺れじゃないね。これって敵が近づいてて、威嚇してるんだと思うよ」
振り返るヒイロはタイランと並んで、前を歩いていた。
特に緊張した感じはなく、いつも通りの雰囲気に見える……が、戦意が高まっているのは、シルバにも伝わっていた。
「……地面揺らすほどの敵って、どれだけでかいんだ?」
「やりがいがあるねー……っと」
左の茂みが小さく揺れる。
パーティーの面々は一瞬緊張したが、直後に出てきたのは鹿や小鳥といった小さな動物たちだった。
シルバやタイランはホッとした。
と思ったら、リフがいきなり左に手を向けた。
「に!」
茂みに向かって、緑色の光を放つ。
精霊砲だ。
「ブモォ!?」
すると、茂みの奥から鈍い悲鳴が聞こえてきた。
そして、慌てた様子で茂みを掻き分ける音が、遠ざかっていった。
「に、奇襲しようとしてた。あの子たち、おびえてた」
リフは必死に逃げている鹿達を振り返った。
「……」
やはり森の中だと、本当にいつも以上に頼りになるなぁと思うシルバだった。
けれど、猪達の奇襲はまだ終わっていなかった。
今度は右の茂みから、バレットボアが飛び出してきたのだ。
「先輩達、下がって!」
「わ、私がいきます!」
それを正面から、タイランが斧槍で受け止める。
その間に、シルバは後ろに下がった。
「む、う……っ!」
「タイランナイス!」
足止めされたバレットボアを、ヒイロが骨剣で殴り飛ばした。
「ブモオッ!?」
「ど、どういたしまして……!」
ふぅ……とタイランは吐息を漏らす。
「二段仕込みだと……? ええい、どうなっているのだ、ここの猪達は……」
左右の敵を仲間に任せ、キキョウは敵の気配を唸りながら探っていた。
その耳に、何やら珍しい音が届いた。
何か、というより、どこから、でキキョウはそれが何か気付いた。
「……飛来音……上?」
空を見上げると、三つほどの茶色い塊がこちらに向かって飛んできている所だった。
「は……?」
思わず、キキョウは大きく口を開け、呆気にとられた。
にわかには、信じがたい光景だった。
それは高速回転しながら急降下してくる、バレットボア達だったのだ。
この時、既にシルバは行動を開始していた。
「全員散らばれぇ!! ――『鉄壁』!!」
両掌を叩き合わせ、高い音を立てる。
ゴドー聖教に伝わる魔を祓う『浄音』であり、非常識な光景に虚を衝かれたキキョウ達も我に返ることができた。シルバの指示に従い、一斉にバラバラに散らばろうとする。
キキョウとリフはさすがに素早く遠退いたが、タイランは微妙なところだ。
――それに、俺もな。
シルバは内心自嘲しながら、飛来してくるバレットボア達の正面に存在する、空気に向けて『鉄壁』を放っていた。
猪達の回転力が落ち、その速度も明らかに減退した。
「ブルゥッ!?」
突然の失速に、バレットボア達も動揺しているようだった。
『みんな、避難が完了したらその場でパワーを溜めろ! 地面落下と同時に一気に叩け!』
シルバは後ろ走りをしながら、パーティーメンバーに『透心』を飛ばした。口で指示するより早いのだ。
直後、三つの衝撃が地面を揺らし、土や葉、砕けた石や岩が周囲に飛び散った。
「ちぃっ!」
シルバは後ろに飛び退きながら、両腕で顔をガードした。
さすがに『鉄壁』に『透心』を使った直後であり、『小盾』も間に合わない。
土砂や拳大ぐらいの岩がいくつか身体に当たるが、落下の威力が落ちたことが原因だろう、思ったよりは威力は低い。
それに顔は籠手を装備した左腕を前にしていたし、シルバの羽織っている法衣もゴドー聖教の法儀済み特別製である。
ノーダメージとまではいかなかったが、被害としては最小限といってもいい。
そして、そのまま地面に倒れ込んだ。
立ったままなら飛んでくる石礫を面で受けることになるが、倒れたならその数は激減する。
シルバの狙いはそれだったのだが、同時に嫌な予感も感じていた。
まだ、地面の揺れはまったく収まっていないのである。




