その頃のヒイロ
身体を洗い終えた二人は、ジャバジャバと腰近くの深さの湯船を奥に向かって歩く。
「……ま、この辺でいいか」
「にぃ」
適当な所で腰を下ろし、シルバ達は湯船に浸かった。
リフはそのままでは溺れてしまうので、シルバが湯桶に溜めたお湯に入る。
「なかなか……いい湯だな」
「にー……」
熱さも程々で、二人揃って和んでいると、遠くにうっすらと人影らしき者が見えた。
別の客だろうか、不思議と湯を掻き分ける足の音が聞こえない。
と思っていたら。
「……シ、シルバさん?」
淡く青い光をまとった人工精霊のタイランだった。
長い髪を頭の後ろでひとまとめにし、身体にはおそらく水で作ったと思われる薄衣をまとっていた。
「……混浴じゃなかったよな、リフ?」
『に、男湯と女湯が繋がっているのはよくあること』
「確かに」
他の男客がいなくてよかったと思うシルバだった。
もしいたら、ちょっとこの美人さんの注目具合は、大変なことになっていたかもしれない。
「って冷静ですね二人とも!?」
「今更だろ。それに素っ裸ならともかく、湯浴み着、着てるじゃないか」
「せ、正確には服じゃないですけど……」
確かにタイランは、タオルよりもこちらの薄衣の方が楽だろう。
何だか、おとぎ話に出て来る泉の女神のような服装だなと、シルバは思う。
はて、自分は確かそれを探しに行くんじゃなかったけか、と首を傾げもした。
「……ま、あんまりジロジロみるのも失礼だよな」
形こそ湯浴み着を着ているみたいに見えるが、構成しているのはタイランの霊体そのものだ。
つまり、理屈の上では素っ裸である。
恥ずかしそうなタイランから、シルバは目を逸らした。
『に、お兄だめ』
「はっはー」
「……あの、シルバさん、その胸の傷は一体」
タイランも湯船に浸かりながら、シルバに訊ねてきた。
湯浴み着も水製のようなので、そのまま入っても問題はないらしい。
いやまあ、湯浴み着とはそういうモノなのだが。
タイランに問われ、シルバは自分の心臓を貫く大きな傷痕に手を当てた。
「まあ、昔の傷痕だ。気にするな」
『にぃ。お兄、一回死んだことがあって、その時のだって』
「……あっ、そ、そうですか」
気楽に言うシルバにリフが付け足すと、何だかタイランは触れちゃいけない話題だったかのように思ったらしい。
「その、ヒ、ヒイロは何か遠くまで泳ぎに行きましたよ?」
「……そいつはよかった」
ちょっと安心。
『にぅ、泳ぐのマナーいはん』
「さっき、泳ぎ放題とか誰か言ってたなー。……タイラン、誰かに鎧から出るところを見られたってことはないよな?」
「へ、部屋からこの姿ですから多分、大丈夫だと思います。透過してましたし……」
「なるほど」
「……キ、キキョウさん達はどうしたんでしょう」
「あ、キキョウは何か、滝の下見に行くって。カナリーも村はずれにあるっていう洋館見に行くって話だったから、途中まで二人一緒じゃないかな」
のへーとリラックスしながら、シルバが言う。
普通の男なら、美人と二人(正確には三人だが仔虎状態なのでノーカウント)ならそれなりに緊張もするのだろうが、子供の頃から姉や妹と一緒に風呂に入っていたシルバには、その辺の感覚はかなり麻痺していたりする。
「モンスター退治のお話ですけど……どういう感じになるんでしょうか?」
「んー、うん、そりゃみんなが集まってから話すつもりだったけど、まあいいか。あくまで予定だしな」
頭の中で作っている予定を、シルバはそのまま口にする。
「仕事自体は早朝からスタートだな。だから今日は夜更かし禁止」
村に被害を与えているキャノンボアというモンスターに関しては、宿の主人メナから大体の事を聞いていた。
まさしく猪突猛進な相手のようだが、そのキャノンボアよりもむしろ、周囲のバレットボアが厄介そうとシルバは判断している。
通常より大きいとはいっても、一体ならばそれほど脅威ではない。
タイランが盾となり、ヒイロとキキョウが主攻撃を担当。
リフは精霊砲と、場合によっては攪乱。
カナリーが後方から雷撃で、シルバもまた支援に徹する。
つまりいつも通りにやれば、問題ない。
しかし問題になるのは、群れで襲ってくるバレットボアだ。
キャノンボアの手下といっても、やはり通常の猪より相当に大きいらしい。
仮に真正面からきたとしても、タイランが捌ききれる数ではないだろうし、一方向からしか来ないというのも、そもそも楽観的すぎる。
さすがにいつも通りとはいかないだろう。
なので、先に罠を用意しようとシルバは考えている。
「――と、こんな感じ。持ってきた装備以外は、風呂から上がってから整えよう。雑貨屋ぐらいはあるだろうし、獣の肉料理が出るってことは猟師もいるってことだ。道具類は揃うと思う……まあ、完全に日が暮れる前には、片しておきたい仕事だな」
「は、はい」
「それにしても、ヒイロは一体どこまで行ったんだ?」
後半を小さく呟き、シルバはまだ戻ってくる気配のない鬼っ子の事を考えた。
「に……」
不意に、リフが頭を上げた。
何だか緊張しているようだ。
「ん?」
『悲鳴、きこえた』
「覗きか!」
『多分、ちがう』
そろそろ夕方に差し掛かろうという、露天風呂の裏手に広がる農園。
突然だが、農園で働く青年アッシュルは命の危機に瀕していた。
「ブルルルル……」
どうやら、迷い込んできたバレットボアの一頭らしい。
食べ物を求めてこの農園に潜り込んできた獣と、アッシュルは見事に鉢合わせしてしまったのだ。
「ひ、ひぃ……っ! だ、誰か……っ!」
尻餅をついたまま、アッシュルはかすれた声を上げる。
その声がまずかったらしい。
「ブルッ……!」
刺激になったのか、バレットボアは後ろ足を蹴ると、アッシュル目がけて猛然と突進を掛けてきた。
「うわあああっ!!」
たまらず、アッシュルは目の前を両手で覆った。
「うおりゃあっ!!」
元気のいい声が響き、その直後、鈍い打撃音が響き渡った。
「ブルゥ!?」
猪の悲鳴と……しばらくして、遠くに重い物が倒れる音。
アッシュルが顔を上げると、夕日を逆光に、アッシュルの大きな上着を身に纏った、赤髪を濡らした子どもが立っていた。
やたら滑らかな素足が片方持ち上がっているのは、おそらく蹴りを放ったせいだろう。
アッシュルは直接、その蹴りを見ていた訳ではないので、推測するしかないが。
「お、鬼族!?」
「味方味方」
ひらひらと、その鬼の子は笑いながら手を振った。
「あ、あんたは?」
「通りすがりの入浴客だよ! 悪いね、兄ちゃん。ちょっと上着借りる。大きくて助かった!」
青年に背中越しに答えながら、ヒイロは前のボタンを留める。
野良作業に邪魔だったのだろう、小ぶりの岩に預けられていたそこそこ長身な青年の上着の裾は、ヒイロの身体を膝上近くまで隠していた。
腕の丈も相当あるようなので、手首までめくり上げる。
濡れた身体に布がくっつくのが少々気持ち悪かったが、その程度は許容範囲だ。
「……人間社会じゃ、パンツ一丁でも大問題だもんねー。さぁて」
吹き飛ばされたバレットボアが、ゆっくりと立ち上がる。
「ブルル……」
ヒイロの蹴りもそれなりに効いているようだが、戦闘意欲は落ちていないようだ。
上等上等、とヒイロは嬉しくなった。
「やっぱり今の一撃じゃ致命傷にはならなかったか。兄ちゃん、武器貸して!」
「ぶ、ぶき?」
へたり込んだまま、青年が尋ねてくる。
チラッとヒイロは、あれ? と青年が持つ鍬を見た。
「その手に持ってるのは飾り?」
「た、頼む!」
ようやくその存在に気がついたのか、青年は鍬をヒイロに放り投げた。
「あいさ! ボクが引きつけとくから、その間に兄ちゃんは逃げて人呼んで」
受け取った鍬の柄をキリキリと回転させながら、ヒイロは突進してくるバレットボアを迎え撃つ。
「そ、それが」
「ん?」
「腰が抜けて」
動けないらしい。ちなみに、バレットボア、ヒイロ、青年の位置関係はほぼ一直線である。
「ええっ!? ちょ――」
「ブルゥ……!!」
バレットボアの頭突きが、ヒイロの目前に迫ろうとしていた。




