温泉に行こう
すみません、予約投稿を忘れてました。
間欠泉のような巨大な土煙が上がった。
怒濤のような足音と共に、大地が揺れる。
辺境都市アーミゼストから、南西に馬車を走らせ半日ほどの距離にあるブリネル山。
その麓にある広大な森の中で、とある大きな敵と村人達は戦っていた。
青空の下、剣を持った村人・アブが、大きく腕を振るった。
赤毛の、精悍な印象を受ける青年だ。
「撤退! 撤退だ!」
同じように弓を持った村人・メナが、黒髪を掻き分けながら後ろを振り返る。
「軽傷の者は、重傷者を抱えて後退! 無事な連中は、それまでこの場で踏ん張れ!」
「そりゃいいですけどっ! 俺達だけじゃ……!」
頭から血を流した幼馴染みの男を肩に担いだ若い衆が、弱音を吐いた。
アブは、剣を構え正面を向いたまま、背後の仲間達に語りかける。
「戦えとは言わん……せめて、みんなが無事避難するまで――何とかやりすごす!」
「うわー、自警団長、地味に後ろ向きだー!」
怪我を負った若い衆が、情けない顔をした。
「じゃあお前、アイツと正面切って戦えるか?」
弓を構えたメナが目を細めながら冷静に言うと、怪我人の青年は素直に頭を下げた。
「ごめんなさい、無理デス」
「しかし、どうすりゃいいんだあんなの……!」
アブは迫り来る土煙を睨みながら、額の汗を拭った。
日の暮れた辺境都市アーミゼスト、冒険者パーティー『アンノウン』の拠点邸宅。
大きなテーブルにはいつものように料理と――一角にはいつもと違って幾つか書類が積まれていた。
「カナリーさんのお仕事ってさー」
ヒイロは手羽先をもふもふ頬張りながら、眼鏡を掛けて書類に羽ペンを走らせるカナリーを見た。
「うん、何だいヒイロ?」
カナリーは目を書類から離さないまま、尋ね返す。
時折、サンドイッチをつまみながらも、仕事をする手は休めない。
本来ならこの手の仕事は食事前には終わっているのだが、飛び込みで新しい報告書が飛び込んできたのだ。
内容は、相手の合意なしに吸血行為に及ぶという、同族内では大問題となる事態を引き起こしたクロス・フェリーという半吸血鬼に関するモノである。
クロスは愛人の子とはいえホルスティン家の者であり、その問題の解決にはカナリーが任されているのだった。
そして、飛び込みできた報告書の内容は、クロスの、というかクロスの属しているパーティーが都市内の各地に分散して隠している、財産についてだった。
さすがに、後回しにするわけにはいかない案件だったのだ。
「ボク達手伝わなくていいの?」
「ふむ……」
ヒイロの質問に、カナリーはペンを動かす手を止めた。
「手伝ってもらいたいのは山々だけど、今は本家から派遣されてきた連中が動いている最中だからね。いわば現場仕事だ。必要以上にトップの僕が動くと、かえって邪魔になる。しばらくは、大人しく書類仕事だよ。もちろん家宅捜索などの時は、隠れ家を押さえた時みたいに僕自身が直接現場に乗り込むけど。パーティーのみんなに出番があるとすれば、そこからだね」
「ふーん」
ヒイロは手羽先を骨ごとばりばりと食べ終えると、お尻の下から雑誌を取り出した。
情報発信基地として名高い、シトラン共和国の支部が発行している情報誌だ。
「何かあるのかな?」
「や、特に何もないなら、ちょっと行ってみたい所があるんだよねー。ここなんだけど」
ヒイロが広げる雑誌を、それまでトマトパスタを食べていたシルバも覗き込んだ。
「どこだ?」
「ブリネル山麓にあるエトビ村」
聞いたことのない村だった。
「に」
焼き魚を拙くフォークで食べていたリフが、顔を上げる。
「知っているのか、リフ?」
「ごはんおいしい所。あとおふろ」
「……あー」
それは確かにリフも反応するな、とシルバは思った。
「しかし、某も聞いたことがないのである。そこは、雑誌に載るほど有名なのであるか?」
首を傾げるキキョウに、ヒイロは頷いた。
「うーん、あんまり知られてないね。でもほらアーミゼストからそれほど離れてないし、馬車で半日ぐらい?」
なるほど、記事にある地図を見てもそれほど遠くはないようだ。
日帰りはちょっと厳しいが、一泊ならいい旅かも知れない。
「『墜落殿』の探索の進捗次第であるな。あと、このパーティーの懐具合もである」
キキョウが、シルバを見た。
「んー、探索はみんな結構頑張ってくれてて、それなりに進んでる。たまには暗くて閉鎖的なダンジョンより、青空の下を歩く方が、気分の転換にはなるだろ」
迷宮に潜っていない日はいわゆる休息日なのだが、このパーティーの面々は街の道場やら神殿やらで自主的に修業やお務めを行い、正直、本当の意味で休んでいる人間はほとんどいない。
なら、たまには純粋に休みを楽しむのもありかと思う、シルバだった。
シルバに続いて、『アンノウン』の財務を管理しているカナリーも賛成した。
「資金なら、先日のノワ・ヘイゼルの隠れ家捜索の一件で、臨時収入がある。慰安目的で温泉というのも、悪くないと思うよ。あと、スミス村で何か新しい産業を興そうと思ってたんだ。いいヒントが産まれるかもしれない」
「つまり!」
ヒイロは椅子から飛び降り、腕を突き上げた。
「反対意見はないということだよねっ! やったね、リフちゃん!」
「にー」
ハイタッチを決める年少組の二人であった。
一方。
「ただ僕の方は残念ながら。この仕事さえなければねぇ……」
苦笑するしかないのがカナリーだった。
「あー……だよなぁ」
さすがに、その仕事を放棄しろとは言えないシルバだった。
事件自体も、相当に大きな問題なのだ。
下手をすれば、吸血鬼という種族そのモノが弾圧されかねない事態である。
「むむー」
「にぃ……」
さすがにそれは分かっているのか、ヒイロとリフも勢いが弱まる。
その二人が、ふとある一点を向いた。
鎧から半身を出し、野菜スティックを水と一緒にポリポリ食べている、青い燐光を瞬かせる人造精霊のタイランだ。
さすがに全裸、という訳にはいかず、水の衣で身体を覆っている。
「な、何でしょうか?」
少し怯えたような表情で、タイランが首を傾げる。
「タイランの意見を聞いてない」
「に」
「そ、そうですねぇ……私も興味はありますけど……カナリーさんの件もありますし、どうするかは、お任せします」
特に自己主張のない、タイランであった。
「なるほど。……ちなみに今の話をまとめると、行きたい派がヒイロとリフ。それにタイラン。仕事で難しそうなのがカナリー」
んー、とシルバは頭の中でまとめて、どうすればいいか考えた。
「……ホルスティン家の方で、ウチのパーティーに要請があった時のことを考えると、キキョウに責任者になってもらって、俺とカナリーは居残りか?」
さすがにカナリー一人を置いて、他は全員旅行というのは楽しみづらいんじゃないかなあ、と思うシルバだった。
「むぅっ!?」
「えー……それはちょっとやだなー。やっぱりこういうのは全員じゃないと」
「にぃ……なら、リフもがまんする……」
「そうですね。近場にも狩り場はありますし、お風呂でしたらグラスポートも……」
「ありゃりゃ」
シルバの出した結論は、割と不評だった。
「気持ちは嬉しいけど、さすがにそれはちょっとどうかと思うよ、シルバ」
カナリーにまで、苦笑混じりにだめ出しを食らってしまった。
その時、扉をノックする音が響いた。
「よろしいでしょうか、カナリー様」
若い女性の声に、カナリーが返事をする。
「ちょっと待って。タイラン」
「あ、はい」
タイランが急いで、鎧の中に収まる。
「いいよ。どうした?」
カナリーが許可をすると、書類を抱えたメイドの少女が入ってきた。
ホルスティン家から派遣されてきた、連絡要員の吸血鬼である。
当たり前だが、部屋に出入りする時にはノックをするようカナリーが厳命してある。
もっとも、そのような命令で言い含める必要など無いほど、少女はホルスティン家で躾けられているのだが。
「食事中の所申し訳ございません。追加の報告書の提出に参りました」
「そうかい、ご苦労様。新たに何か、分かったことはあるかな?」
さらなる書類を新たにテーブルに積み、カナリーが訊ねる。
「特には……クロス・フェリーは個人的にあちこちに『別宅』を所有しており、それらを確認するだけでも大変でして……」
「そんなに? 家なんて近場に沢山持ってても、管理するのが大変だろうに」
怪訝そうな顔をするカナリーに、メイドの少女は言いにくそうに顔を赤らめた。
「あ、いえ……それは……その……主に女性のお宅で……」
「あー……」
「それを差し引いても、例の分散させた資金を隠していた空き家や廃屋もありまして……」
「ふーん。アーミゼスト以外にも、そこそこ……」
新たに増えた書類に目を通したカナリーの手が止まる。
「…………」
「カナリー様?」
カナリーは、書類の一点を指差した。
「書類にある、アーミゼストの周辺にある村は調べたのかい? 例えば、このエトビ村の離れにある洋館とか」
「あ、いえ、そちらは、まだ……も、申し訳ございません!」
「いや、いいんだ。なら、ちょうどよかったってだけの話だから」
軽く笑いながら髪を掻き上げるカナリーに、シルバは麦酒を飲みながら、ジト目を向けた。
「……公私混同だな、カナリー」
「それぐらい、許してくれたまえよ、シルバ。どうやら完全な休みとまではいきそうにはないが、旅行の件は解決しそうなんだから。連絡の方は、ウチの伝達係とシルバ、『透心』の契約をよろしく頼むよ」
「了解」
「ど、どういう事でしょう……?」
よく分かっていないメイドの少女だけが、オロオロとカナリーとシルバを交互に見ていた。
その後ろで、ヒイロとリフが二度目のハイタッチを決めていた。




