第五話 黒と黒と黒の交渉
「――ふむ、キサマが話にあった『勇者のオマケ』か」
冷ややか、という程ではないが平坦な、それが魔王太子の第一声であった。
青い肌に漆黒の鎧、切れ長の瞳でこちらを見据える姿は貫禄充分の威容であり、
こちらとしては交渉は予備も予備、先ずは端緒に着いたばかりの挨拶程度のつもり、
なのに斯くも唐突に相手陣営が第二位階にお目通りなるのだろうかと混乱必至で、
つまりは戦々恐々の決死覚悟の胸中であったから少々の無礼など気にも留めない。
(というか――『勇者のオマケ』って言い得て妙だな)
などと相手の表現に感心したい気持ちですらあったのだ。そして、
「取り敢えず、余と対等に話がしたければ先ずは『力』を示すことだ。故に――」
之を見よと渡されたのは何かの書付である。中身を確認しようとする前に、
「それは『邪聖剣』の封印の記録だ。以前の戦いで勇者が使った聖剣のことよ」
驚きに顔を上げると、
「先ずはそれを手に入れてみせよ、話はそれからだ。待っておるぞ」
何というか一方的な通告状態の第一回交渉はこうして終わった。
* * *
「――それでここにその聖剣、『邪聖剣』があると云うわけか」
「確かに何かありそうな雰囲気はあったけど……」
「何しろ行き止まりだもんね」
こじんまりとした入り口は、先が直ぐに壁でふさがれている。
例の書付によれば、此処こそが『封印の迷宮』とのことであった。
アレス達はかつて何かの機会で此処に来たことがあったそうだが、ご覧の通り先がふさがっているのでそれ以上どうしようも無い。
何かしら妙に強大な気配らしきものは感じていたが、結局そのまま引き上げた。
そうして今回、情報を得て初めて挑戦を行うわけである。
文献に従って封印を解くと、やがて大きな穴がそこには開いていた。
暗闇は私達を誘うようで、なおかつどうしようもなく不安にさせる。
「……っても伝説では随分と大変だったらしいよねぇ」
「そのときのお供たちが半分くらい死んだらしい……」
ともあれ、嘗ての伝説と同じような苦労を今更アレス達にさせる訳にはいかない。
往時と現在、その最大の違いは私達『勇者のオマケ』が付いていること。
ならば、知恵と経済の力を糧に『大迷宮』に挑んでこそ意義ありというものだろう。
作戦は意外と単純だ。
「――よし、この階の掃討は終了した!」
「了解、それでは補給基地も前進する」
さて、一般に迷宮探索に於いて冒険者集団が大体四人程度を単位としているのには理由がある。
これは迷宮内の転移装置や罠などがこれを基準に調整されているからだ。
元々の根拠は古代帝国に於ける『神聖な数』を成り立ちにしているのだとか。
この辺については偉い学者間でも意見が分かれているらしいが今はどうでも良い。
とにかく、迷宮が規則として一定の人数単位を強いるのであればこちらは、
――ならばその『単位』同士が協力して事に当たれば良い
のであるのだから。
現在、アレス達勇者組は先鋒として強敵の掃討を主体的に行っている。
そうして拓いた『支配地』に、続く後詰めは補給物資を持って乗り込むのだ。
先述の『補給基地』とは、そうやって都度築いたものである。
他にも組織・団体の力を生かした工夫を考えた。
たとえば探索掃討の班は一定時間毎に交代し、安全な基地で充分な休息を取る。
この際の見張り偵察役の『斥候』に関しては、各地の闇ギルド等に依頼して腕利きを十二分に確保するようにしている。
そうやって豊富な物資と潤沢な人数を投入して、最前線と基地、そして地上とは『太い一本の線』で繋がっている。
ちなみに監督役が足りないので、我々商人組も結局全員動員されていた。
純戦力的には割と足手まといなのが水晶の傷である。
「……すごいな、こんなに安心して探索出来るのは初めてだ」
アレスが感心して呟く。でもね、
――その代わり、すごくお高いんですよ?
なんと言うか、この迷宮の途は黄金で舗装されているようなものである。
* * *
「……選ばれし者よ、そのチカラを示せ」
最奥の大広間にアレス達が辿り着いたとき、そんな声が聞こえたそうだ。
勇者伝説の記録にも、この辺の詳細については何故か伝わっていない。
何か当人たちにしか分からない『試練』のようなものがあるのだろうか。
そしてアレスが「今のままではマズい」という事で一端引き返して来たのだ。
「――まずいって言うと、具体的にはどの辺が?」
「ええっと上手く言えないんだ。何というか存在が、魂ごと引き込まれるような感じというか、その……」
彼の説明は要領を得ないのだが、それでも不用意に踏み込むのは悪手なのだろう。
大体そもそも名前からして良くない、なにしろ其れは『邪聖剣』と呼ばれている。
「――古文に曰く、邪なるチカラと、聖なるココロ、それらを混ぜ合わせ」
「溶けてヒトツになりしもの、それは全てを打ち砕く」
誰も其に名前を付けてはならぬ
誰も其にちからを与えてはならぬ
誰も其を祝福してはならぬ
其の前に立つものすべてに災いを
故にそれは『名前が無い』――
かつて昔の誰かが考えた、言葉には何か不思議な力が宿ると。
特に『名前』はそのものの、『存在そのものを規定する』チカラがあると考えた。
言葉は名前はものにチカラを与え、同時にそれを『定義する』。
定義されてしまったそれは、方向と長さが『与えられてしまう』。
チカラが与えられると、それは同時に規定される。
向きと長さがあるのならば、それには自ずと限界がもたらされる。
ではもしそれを、捨てたならば?
ではもしそれを、消したならば?
名前という『大切なもの』を捨て、その代償に、
全てに打ち勝つ、大いなる、チカラを得るだろう――
「……何と言うか、言葉遊びというか哲学問答だな、そりゃ」
文献をあたって調べた結果を述べると、誰かがそう愚痴る。
「でもまぁ、真理っちゃ真理だよ。代償無しに力なんか得られない、それは割と当たり前の道理だ」
「だからと言ってこの場合、どうも嫌な予感しかしないわね。力を得る代わりに人間を捨てるとか、命を捨てるとか成りかねない」
「……それってどう考えても呪いの武器だろ。先の勇者様はよくそんなモン持って戦えたな」
いや、それでも確かに以前の『勇者』には出来たのだろう。でも、
「いくら何でも危険過ぎる。止めよう。まだ何か他にも手があるはず……」
つい口を出してしまう、私は声をあげてしまう。
勇者は勇者のようにあれと言われていたとしても、それでもアレスは、幼馴染は、
気が弱くて肝心なところでいつも震えて、だから私はアレスから目が離せないんだ。
そんなあいつに今まであんなにも大変なしめいを背負わせていたというのに、
今更いのちを賭けろなんて言えるはずないじゃないか、そんなのって
けれどアレスは顔を上げて、
「――多分、悩んでいても始まらない、怯んでいても先には進めない」
そうして彼は、勇者は決然と
「応援してくれ。僕はこの先に、進もうと思う」
最初は迷いがあった、それでも
ああがんばれと声をかけた。
お前ならやれると声をかけた。
あたしたちが付いていると声をかけた。
気をつけてと声をかけた。
しっかりやれと声をかけた。
みんな待っていると声をかけた。
……だから勇者アレスは、ひとりなんかじゃ、無い!!
やがて彼が進む先が眩しい輝きに包まれてそれはどんどんと光を増してゆく、
それはあまりにも眩しいはずなのにどこか闇のようなおそろしさがあった。
それがあまりにも眩しいから目をつむってしまいそうになるでもいまは、
彼をおうえんすると決めたからには決してアレスから目を離してはならない。
眩しい、眩しい、とても、眩しい
苦しい、苦しい、とても、苦しい
眩しい、眩しい、とても、眩しい
それはどれほどの無限のような一瞬の出来事だったのだろうやがて、
アレスが『何か』をつかんだとき光がまるでばくはつするように、
でも同時に闇がうねうねぐるぐるとうずまくそして一つになる。
誰も其に名前を付けてはならぬ
誰も其にちからを与えてはならぬ
誰も其を祝福してはならぬ
其の前に立つものすべてに災いを
ゆめゆめソレを、忘るる勿れ――
全てが終わったとき、そこには静けさのみが残る。
その人はただ静謐をたたえ美しくも不気味に輝く剣を携えている。
その顔はただ静かで何かをやりきって清とした表情だった。
――勇者アレスは、ついに手に入れたのだった。