第四話 遥かなる金城湯池の呼び声
さて、交易に於いて『時間と距離を無視出来る』というのは矢張りとんでもない事らしい。
南方のこちらで茶と香辛料を仕入れて、西方のあちらで毛織物と鉄や銅を仕入れる。
それらを大陸を横切る規模で遣り取りするだけで万を単位とする金貨に化けるのだ。
濡れ手に泡とか笑いが止まらないとか、最早そんなものでは表現し切れなかった。
加えて特殊産物とも謂える世界樹の葉こと商品名『復活の薬草』について。
これは極く限定された顧客向けに極悪法外とでも言えそうな価格で極々少数のみを販売している。
そうでもしないと影響が大き過ぎるからだ。
いつぞやなど、製法の秘密を教えてくれるのなら大商会ごと譲っても良いとか、安定して卸してくれるのであれば地位を与え国半分程の領地を与えようとか……
兎に角とんでもないことになりかねない。
ともあれ、『商売』としては順調だが余計な配慮の必要性が増しているようだ。
それと最近はありがたいというか困った事にと言うべきか、アレス達勇者組についてはあまり手が懸からなくなってしまっている。
まず装備品については『人の手になるもの』の最上級が揃ってしまった上、本人達の実力も相当のものと成って最早並大抵の事では傷も付かない。
よって魔法薬その他消耗品も使わずに溜まる一方である。
しかも同行のリーン姉さん達は元々冒険者であるので、律儀にも事のついでに魔物狩りなど小銭稼ぎもしているらしく殆ど自活状態となっていた。
だからと言って、自分達商人連合に余禄を回すと今度は確実に王国から目を付けられるのは必至である。
経緯から言っても、今更『お上』に美味しい果実を御貢納など最早行う気も無い。
ゆえにあまり派手派手しいことは出来ないのである。
せいぜい、武器屋の道具がちょっと良いものになっていたり、道具屋の店内がちょっと綺麗になっていたり、宿屋のベッドとシーツが新調されていたり、土産物屋に少々珍しい品が追加されていたりする程度だ。
* * *
財を蓄えるにも限度はある。ならば秘密裏かつ大規模に使ってしまおうか。
そんなこんなで人脈形成と情報収集にあちこち小金をばらまくことにした。
具体的には、開拓殖民団に資金援助をするとか、見込みのありそうな商会に融資するとか、各地の『ちょっと後ろ暗い』ギルドに情報料を渡すとか、その他……
――魔王と最前線で戦う国に『援助・投資』を行うなど。
おかげで随分と物騒な方面に知り合いが増えることとなる。
ところで、戦争と云えども商人にとっては催事稼ぎ時の一種であるのだそうだ。
成る程、確かに危険な前線近くにまでその種の人間及び類似のものが見受けられる。
上層部はともかくその辺の兵士などにそこまで物品が売れるのか、と思っていたが彼らの主目的はそれでは無い。
良識ある存在にとっては、眉を顰めたくなるようなものであった。
――すなわちそれは『奴隷』を扱う商人、商材となるのは戦争捕虜である。
消極的な非難を婉曲に言葉の端に乗せると、しかし或る者は敢然と反論する。
「そう言うな。俺たちはこの仕事に少しばかり誇りを持ってるんだぜ」
或る獣人――熊と狼が混じったような直立歩行する獣の商人が一声かけると、向こうからぞろぞろと同類のヒトビトが列を成して連なる。
彼らは一様に礼をし、そして安堵の表情を浮かべているように見えた。
「――身代料は貸しだからな、クニに戻ったらちゃんと返せよ! 忘れるな!」
そんな台詞も聞こえて来る。
つまりここには結構深い理由と現実への妥協が存在したのだった。
一般的に、戦時に囚われた捕虜のうち『名のある者』ならば正式に交渉身代金などで解放され得る道筋があるものである。
しかしそうではないもの、普通の兵士などはそのまま奴隷一直線の憂き目を見る。
ここで問題になるのが、『魔王軍』のそれは獣人・亜人が多くを占めるという点であろう。
人間からすると、奴隷としてそういう者を得たとしても扱いずらいのだ。
町や村の中では明らかに浮くであろうし『偏見』どころでは済まない目にも遭う。
最悪、面倒だからと皆殺しの可能性すらあった。
――だがここに『頭の良い』商人が居た。
彼は『向こう』の同類と話を付け、その手の奴隷を『一括で引き取って売り渡す』ようにしたのである。
その際にはこうも述べる、
「代金ならば、彼らの家族や村の名主などから解放料を集めればよい」
こうして、少々いびつではあるが一般兵士の『捕虜引取』の道筋が出来たのだ。
今では逆に、『魔王軍に囚われた人間』についても同様の事が行われているらしい。
何と云うか、ニンゲンの欲と知恵というのは時に面白い働きをするものである。
そうしてぶらぶらと見ていると、カモか何かと思われたのか声をかけられる。
「……ようそこのアンタ! アンタ向けに商談だ! 付いてきなよ!」
はて、まさかとは思うが知り合いか村の人間が囚われていたら大変だ。
不審には感じるがとりあえず付いて行くと……
「…………(じろ)」
其処に居たのは美女が十人ばかり――ただし上半身が、だったのである。
そして下半身は大蛇の形をしていてうねうね『とぐろ』を巻いている。
「これは……?!」
――つまりそれは半人半蛇の妖、『ラミア』の皆様であった。
美人に凄まれるのは悪い気分では無いが、これは少々刺激が強いな。
「んん? あんたが噂の『勇者商会』の人なんだろ? なら後は頼むぜ、こいつら結構大飯喰らいだから早く引き取って欲しいんだよ」
奴隷商人はそう言って私を置き去りにする。さてどうしたものか。
勇者の商会が何処からどういった経緯でラミアを扱っていると思われたのやら。
「………………(じ~~)」
彼女らはしばしこちらを見詰めていた、やがて、
「……やっと来たか。ええと勇者、にしては細っこいから従者の者か? 取り敢えずさっさとここから出して欲しいのだが……それと湯浴みがしたい、腹も減ったな」
よろしく頼むぞと偉そうな風情で代表らしきラミアのひとが顔を見せる。
何と言うか、態度がデカい、それに妙に馴れ馴れしい。
誰何をしようとする先に、
「不義理な真似は止めてくれよ。私達は一応『勇者の親族』でもあるのだから!」
まじですか―――――――――――――――――――っっ!!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
さて、私、ラミアの皆様、そして勇者アレスは現在一緒の船で航海中である。
魔界大陸にあるという『ラミアの里』まで彼女達を護衛というか護送の途上だ。
「なあ、ところでどうして僕まで一緒なんだい? 護衛役が要るってのは理解出来るけど何でわざわざ……」
アレス、君の疑問は尤もなんだが一応向こうさんのご指名だ、我慢しろ。
いや、実際自分でも何をやってんのだろうと疑問に思っているのだから。
『勇者と魔王が同じ船の上』という古いことわざを思い出す。
「――それで、里に戻るのであれば手土産は卵が良いな。あれを殻ごときゅっとやるのは最高だ、実にこたえられん!」
しかも代表のラミアの彼女、気が楽になったのかよく喋ること。
何故かは知らないが妙に闊達な雰囲気で、やはり少々馴れ馴れしい。
「以前里でも鶏を飼うのに挑戦したことはあるのだが隠れて『つまみ喰い』する奴が多くて上手くいかなくてな。まーー気持ちは良く分かるのだヒヨコをこう……」
生きたまま***するのはのどごしが最高でくせに、とか何とか云ってるような……
あーー聞こえない聞こえない。私には何も聞こえない。
「ともあれ、当代の勇者殿を案内出来てわたしも鼻が高いぞ。何しろわたしのひいひいひい――とにかくご先祖は勇者マールス殿の卵を十個も産んだのが生涯自慢のタネだったのだから。以来、その血を受け継ぐ我が氏族はラミア族一番の武勇を誇っているのだ」
つまり『ソレ』が、自分は勇者の親族だという根拠のようだ。
それにしてもマールス様、あんた我々も知らないうちになんちゅうことを……
「……そしてこのわたし、バルバラ・サールペンがその氏族の嫡子なのだ!」
とまあ代表のラミア、バルバラは胸を張るのだが全般に空回りの印象があった。
実際、彼女の話は所々意図的と思しき抜けや説明不足がある。
その辺はラミアの里に行けば自ずと判明するのだろう。
* * *
「――このたわけっっ! どのツラ下げてのこのこ戻って来よったか!!」
そして案の定バルバラは罵声を浴びていた。
「あれだけ大口叩いて里を出て行きおったくせに、結局他所様の世話になるとは何事か! この未熟者! 情けないぞっ!!」
ラミアの里の婆さま――と云っても一見年増の美女だ、が青筋を立てている。
「…………(平伏)」
大層な剣幕に一同揃ってその場で小さくなった。何故か私も一緒だ。
と、そこでちろりと視線が私及びアレスに向いたような気がして、
「……ふん、まあよいわ。客人もおられるようじゃからこの位にしておこう。まずは勇者の方々、よくぞ参られた」
空気が弛緩してようやく顔を上げることが出来た。
では客人はこちらじゃごゆるりとなされるが良い等々歓迎の言葉が続く。
……取り敢えず取って喰われるようなことはなさそうだ。
ラミアの里は魔界大陸の海岸近く、密林の中に在った。
もっと原始的な様を想像していたがそれなりにきちんとしており、例えるならば辺境の開拓村等とほぼ同様であろうか。
家には必ず大きめの土間があるのがなんとなく田舎のそれを思い出させる。
手土産として持ち込んだ『卵』を見せると大きな歓声が上がった。
ならばこちらもよい肉を出さねばならん兎が良いかいや猪だここは熊であろうわしは狼のくせのあるのがよいなにをいうか鹿がいちばんにきまっておる雉もわすれてはならんぞなどなど旨い肉については彼女らは一際こだわりがあるらしい。
「――だがやはり卵が一番じゃ!」
その誰かの台詞に一同は大いに頷き、議論は最終的に収まった。
そして夜になると広場に篝火が焚かれ幽玄な陰影のもと歓迎の宴が始まる。
美しい彼女たちが、艶かしく腰をくねらせ、手や尻尾がゆらゆら、ふらふら。
酒は貴重品なのじゃもっと味わって呑まぬかそれではただのうわばみよ。
バルバラが昼間の縮み具合はどこへやら上機嫌にこちらへと話しかけて婆さまがこれお前はどうしてそう直ぐ調子に乗るのじゃなどと小言を言っている。
でも、みんな、わらっていた。
ラミアと云えば毒麻痺魅了ものによっては石化など厄介極まる能力を持つ。
牙と爪は鋭く尖り尻尾で巻き付かれれば並大抵では逃げられない。
恐ろしい『魔物』――と謂われているものである。
でもこうして無邪気に笑って酔っ払うそのありさまの何処がニンゲンと異なるのか。
そうだ私は忘れていた。私達は忘れていた。
話し合うことを、忘れていた。
「……オニーサン、こっちこっち」
ああアレス、アレス、いくら相手は美人だからといってそうほいほいと付いて行くと、ほら君は多分狙われているよ彼女達は『強い卵を産む』のが自慢になるそうだから。
せめて私は明日酔いが醒めてから、もっと建設的に話をしようか。
もういいや、何だか眠くなって来た。
…………せめて、良い夢を。
* * *
「――ふむ、そなた随分と思い切ったことを考えるものじゃな?」
黙って私の話を聞いてくれていた婆さまの、それが第一声だ。
自分でも突飛なことだとは充分自覚している。
「しかし、もし『交渉』で話が収まるのであれば、それが一番でしょう」
ありきたりな言い訳を敢えて口にする。そして、
「どうか『魔族に伝手』があるのであれば、ご紹介頂きたい」
こうして言葉にしてしまえば、きっと後戻りは出来なかった。
「……ふむ、よかろう」
「え?」
幾らか黙考の間があるだろうと身構えていたのに、唐突な即答。
意表を突かれた私の珍妙な表情を見て取ったのか婆さまは、
にいともにんまりとも、とても良い笑顔で笑っていたのだ。
さて、私が思い付いたのはそれほど大した事では無い。
今回の『戦争』に関して、魔族側の言い分が何かを確かめたい。
ただそれだけの事である。
その上で、向こうにも何か『理』があるのならば……
せめて交渉や妥協によってそれを解決出来ないだろうかと考えたのだ。
これは人間同士のそれであれば、ごくごく普通の筋道である。
「――我等ラミア族は生来、舞の名手でな。ゆえに『舞姫』を各地に出しておる」
確かに、昨晩の彼女達の踊りは見事なものだった。
「その中には……『魔王』様の後宮も含まれておるぞ」
婆さまはにいやりと哂うそして、
「――我等はこれまで、何人もの魔王様の寵姫愛妾を輩出しておるのじゃ!」
口角がずいと上がって、その顔は実に自慢げだったのである。
その後暫くは先祖累代の話が続く何代前の魔王がどうの我が氏族の者がいかに寵愛をうけ何人の子をなしたのかその死を悼みどれほどせいだいに葬儀が行われたのか等々年寄りの昔話というのは実に長い。
ともあれそれは一種の『のろけ』であったがここで拗ねられても良い事は無い。
黙って之を聞くに如かずであろう。そして、
「今の魔王、アングムーア様は流石に難しい。じゃがその王太子ルグラーム様ならば」
……話を聞いてくれるかも知れない、との事であった。