第二話 三歩前進二歩後退
ところで、畢竟『商売』というものは或る土地で安いものを買い別の土地で高く売りさばくのが基本となる。
すなわちそこには『移動』という命題が常に付いてまわることになるのだ。
とりあえず『世界地図』という強力な武器を手に入れた私達が次に行うべき行動、
それは移動の『目的地』を設定することであろう。
で、なんでこんな当たり前の事を今更述べているかというと……
「だから! 次に行くべきは『暗黒の島』だって言ってるでしょ!」
「違う! ここは『宝石群島』へ向かうのが先だ。そこは譲れん!」
――その設定で見事にもめているからである。
手持ちの品々は取り敢えず大半を売り払い、それは潤沢な初期資金をもたらした。
金にあかせて強力な装備を整え、貴重な魔法薬なども買い揃える。
そして遠征に備えて『外洋船』を手配した――辺りで流石にそれは尽きた。
現在我々は、只一隻の船で乾坤一擲次の一手を打つ必要に迫られているのである。
まずは冒険者組曰く、
「装備も整ったしアレスも一通りやれるようになった。なら次は『探検』よ! 冒険者の本懐此れに在り、だわ。大丈夫、資金なんて一発で稼げちゃうんだから!」
対して商人連合の反論、
「いや、ここは確実に『交易』だ! せっかく船を手に入れたんだぞ? 今後も確実に収入が見込める道筋を作っておくべきだ!」
とまあ互いが互いの立場に立脚した意見で、それは全くの平行線なのであった。
丁々発止喧々諤々といった状況がしばらく続くが、やがてリーンの姉さんがこちらを見てにいと口角を上げる。
「……そうだ、あんたに耳寄りな『提案』があるのよ。だから一口乗らない?」
聞かない訳にもいかないのだろうが何だか嫌な予感がした。
* * *
「……そっち行ったよ~~、あとはガンバレ~~」
緊迫した状況のはずなのに妙に間延びした声が届く。
そうして樹や草が引き裂かれたり地面が踏みしめられる鳴が響くそれらは基本的に重低音の層を成しているので音というよりはむしろ振動として私に届く。
だけど自分にはそんなものに気を配る余裕などあろうはずも無く只がいんがいんと打ち鳴らされる心臓をいかに制御するかが問題だった。
「――大丈夫。キミのことは僕が守るから」
アレスが声をかけてくれた。ありがたいはずなのに私はお礼を言うことも出来ず。
間も無くそいつが姿を現してこちらに向かって来て知識の上では茶褐色と識っていたものは自分にはまるで死の姿と暗黒の闇のように感じられる。
こうしてまともに『魔物』と対峙するのは初めての経験だ。
咆哮が聞こえて来る。ただ、ただ、恐ろしかった。
かちがちと歯の根が合わない。ただ、ただ、恐ろしかった。
けれどもアレスははっとかふっとか僅かな呼吸を残して目の前から更に前方へと、
輪郭が動いたと同時に微かに綺羅と何か光ったようでありそれで十分なのであった。
――――――――!!
目の前の魔物から、ぱあと血が吹き上がりそれはどうと倒れる。
ただの一太刀で、それは確かに十分であったのだ。
「さ、息のあるうちにさっさとトドメを刺すの。ボヤボヤしない!」
まったく、息を付く暇もない。
さて、現在私達は結局『暗黒の島』に来ていた。
真っ二つに分かれていた意見がまとまった理由は彼女が、
「……あんたにだって『素質』はあるんでしょ? だったらちょーーっっと鍛えればあの『転移の魔法』だって使えるようになるハズよ」
という一声をあげたからだ。
途端に私達商人の頭の中に打算と欲望の計算が蠢く。それは確かに魅力的だった。
およそ商売に於いて『移動』は欠かせない、そしてそれに伴う費用も。
人と物の流れに関わる『移動費』というものは、いつだって商人には頭痛の種だ。
だからこそそれを殆ど無に出来る『転移の魔法』は、むしろ商人にこそ望まれる『必要で役に立つ』魔法であろう。
こうして皆の意見は一つにまとまった。
……そして後で激しく後悔することとなる。
今ここで何をしているかというと、リーン姉さん他冒険者組で適当に魔物を追い立て、それを此処にいるアレスと『私で』仕留める。
それを繰り返し、比較的安全に魔物との実戦経験を積んでいるのである。
この場合の『比較的』というのは『気を抜いたら死ぬ』という意味でもあるのだが。
「短剣で獲物を仕留めるのはそう難しいことじゃないわ。しっかり握って脇に構える、そこから体ごとドン! ちゃんと急所を狙うのよ!」
説明をしながらリーン姉さんの体は一歩前に出る。動作で示したのだ。
「つまりあれよね……出刃とかナイフで人を刺すのと基本は同じ。分かるでしょ?」
そんな物騒な経験はありませんです、はい。
……というわけで言われた通り短剣をしっかり握って体ごとぶつかる。
心臓を刃物が貫き血が噴き出して命が失われてゆくのが知覚される。
相手は魔物とはいえ、嫌な感触だった。
「――さてと、それじゃあんたの方はそろそろ充分かしら? あたしたちはこの辺で島の奥に向かうわ。成果は期待しといて」
「僕も頑張るから!」
後ろ手をひらひらと振って冒険者達は離れてゆく。
それを見送る私は既に放心状態であった。
ところで、私に何故『魔法』の素質があるのか疑問に思われただろうか?
これは少々、過去にまつわる特殊な事情に由縁するのである。
……アレスより遡ること三代ほど前の御本家様、つまり勇者の末裔が居られた。
この方はいささか――というか実に困った方面で稚気に富んだ御方であらせられ。
要するにソッチの方面で『実にお盛ん』だったのである。
で、そんな御方は当然村の中で『少々羽目を外しておイタを』なさったので――
結果として勇者の血筋は村中に『文字通り』バラ撒かれる事となる。
現在では、村内の主だった家全てに何らかの形で『それ』が入り込む始末。
こういった訳で、本来なら一介の商人である私にも魔法の才能が存在するのだ。
斯くして、幸か不幸か勇者村の土産物屋は『転移の魔法』が使えるようになった。
――追記
その後島の奥の迷宮から戻ってきたアレスから「見付けたんだお土産だよ」と満面の笑顔でちょっと小汚い袋を渡される。
よくよく調べるとそれは伝承にある『魔法の袋』というヤツで、見た目にかかわらず倉庫一つ二つ程度の荷物を収容可能な逸品であった。
まさかそんなお宝がこんな物騒な島にあるとは思いもよらなかった。
――つまり結果として、私達の選択は『正しいもの』であったのである。
そういうことにしておいてくれ、でないとアレは辛過ぎるんだよ……。