彼らが行ったことと感じたもの。お姉ちゃんが見たもの。
Ⅴ.
◆
王国でも指折りの精鋭として鳴らしてきた強兵たちが、今やその影もなく逃げ惑い、あるいは炎に巻かれて絶命する様に、兵士たちは皆絶望感を大きくした。
此度の幼魔王討伐作戦は王国直属の軍隊だけでなく、幾つかの貴族からの私兵の提供もあり、動員数こそこれまで失敗してきた討伐軍よりも若干多い程度だ。しかしその質は明らかに高かった。
また、ある貴族が極秘裏に放ったという斥候からの情報により、幼魔王が吸血鬼であることも判明した。
それにより王国は少ない借りを教団に作ることで、教団の騎士団でも用いられている聖銀製の武器、防具の借り上げも行っている。
誰もが思っただろう。今回こそは勝てると。もはや負けることはあり得ないと。滅ぼされた都市に住まう人々の無念を晴らし、奪われた都市を奪還する時がきたのだと。
意気軒昂。百余人もの兵士が集い、元素魔導士や白魔導師、黒魔導師をも内包した今時討伐軍が敗れるなどと、誰もが思ってはいなかった。それは討伐軍を率いる将の存在も大きかっただろう。
代々王国と帝国との国境を守護する任に着いている公爵家の中で、賢将と名高い公爵家現当主の陶酔を受けた若き男爵。めきめきと頭角を顕すその勇名は一兵卒にまで轟いている。そんな勇者が将として率いているのだ。敗北の二文字が存在する筈がなかった。
そう、無かった筈なのである。
当初こそ順調に思えた。廃城の尖塔に立つ幼魔王は噂に違わぬ美しさ愛らしさだったが、そんなことで彼らの気勢が削がれるようなことは欠片もありはしなかった。
副将たる年嵩の兵長の宣言のもと、白魔導師を中心に構築された不浄を祓う儀式魔法は一切の過不足無く放たれた。
その場の皆が確信した。これで幼魔王討滅は成ったと。吸血鬼という光の属性に抵抗できない存在では、もはや灰になる以外の選択肢はないと。
だが、その確信は容易く砕かれた。
不浄を祓う聖罰の一撃は、それと同等か、なお強大な光の盾に防がれたのだ。
悪い冗談だった。吸血鬼が、なぜ、光の魔法を使えるのか。
信じられない、信じたくない、信じることなど出来ない現実に誰もが呆ける中で。男爵の大音声による激発に耳朶を強かに叩かれ、ようやく我に返る兵士たち。
事態はまだ進行している最中だ。まだ一撃防がれただけだ。そう何度も防ぎうるものではない。
誰もがそうやって己を鼓舞し、意気を取り戻した。
再度の魔法発動に備え誰もが乱れなく動き始めた、そんな時だ。ふと、既に黄昏時へ至ろうかという時分にあって嫌に明るいと誰ともなく気づき、空を見上げる。
そして、彼らは二度目の絶望を目にした。
尖塔の直上に、太陽が存在した。
そう形容するしかないような威容が、彼らの目に焼き付いた。いや、実際に焼き付いているのだ。それは紛れもなく、強烈な光と熱を離れた場所にいる兵士たちへと叩きつけているのだから。
最初に動いたのは元素魔導士の一人だった。叫び声をあげながら遮二無二に火球を、火槍を放っている。
そしてそれが伝播するように、遠距離攻撃の手段をもつ誰も彼もが各々攻撃を始めた。尖塔の頂きでこちらを睥睨している、太陽すら従える魔王に。
けれど、その何れもが徒労でしかなく。
――太陽が、弾けた。
そこからは地獄だった。
降り注ぐ炎はどういう訳か水の魔法で消すことが叶わず、ただ逃げ惑うより他にない。燃え移ったら最後、焼くものが無くなるまで消えることがないのだから。防ぐ手立てはない。水では消せず、魔法で防ぐことも出来ず、守りに長けている筈の白魔導師が既に木炭のような死骸をさらしている。聖銀製の防具も、こうなってはただの重りでしかない。
誰も彼もが逃げ惑う。
殺しにきた癖に、死にたくはないと。自分達が死ぬ可能性を今になって思い出し、狂乱している。
「――よもや、これほどとは……。まさか」
だからだろう。
狂乱と混乱の坩堝にあってただ一人、冷静に佇み思考にふける男爵。彼へ意識を向けるものなどおらず、その呟きを耳にしたものは居なかった。
――新たなプレイヤーか。
そう呟いた声は悲鳴と怒号に掻き消され。
男爵はふっと口許を僅かに歪めた。だがそれは一瞬で毅然としたものに塗り変わり、逃げ惑う兵士たちへと檄を飛ばす。
「落ち着け! 惑えば奴等の思う壺ぞ! 全軍後退! 殿は我が務める! さぁ退け退け!」
今さらのような命令に、しかし兵士たちは従順に従う。
男爵の放つ声にはそうさせるだけの力強さがあり、この方ならどうにか出来るのではないかという頼もしさと信仰があった。
兵士たちは皆が皆、後ろを振り替えることなく全力疾走の有り様で駆けていく。
故に、男爵の変化に気づく者は誰一人としていない。
「ゼロサムゲームも悪くはないのだが……やはり戦闘ほど滾るものもあるまい。しかし、これ以上の損失は我の評価に響く。雑兵にまで気を配らねばならんとは、将というのは面倒極まりないものだな」
言いながら頭上へとゆるやかに掲げた男爵の腕は、人のそれではなかった。
聖銀の防具の腕部がはち切れた下から覗いたのは、鋭利かつ硬質で巨大な腕。それはまるで騎士の持つ大盾をそのまま腕にしたかのよう。
掲げられた人ならざる腕から光が円状に走る。
光の円は触れる炎の豪雨を尽く阻み、まるで雪のように溶かしていく。
そして、次第にその数が減り、猛威が衰え。永遠に降り続くかと思われた炎の脅威が無くなったことに、炎の届かない最後方の安全地帯まで避難していた兵士たちから歓声があがる。
その頃には、男爵の腕は元の人の腕に戻っていた。避難した兵士たちへ振り返った男爵が再び整列の号令を発する。
兵士たちは頼もしい指揮官の言葉に従順に、かつ素早く応えていった。
「さて諸君。挨拶の応酬はこれにて幕だ。本番と行こう。――『聖罰を始める』!」
その号令に何度目かの歓声が――上がることはなかった。
一人の兵士が「え?」と戸惑いの声を上げた。
それが、彼の最期の言葉となった。
その変遷を正しく認識できたものが、果たして何れだけ居ただろうか。
「すまんね。どうも本気で挑む必要があるようだ。そうなると、君らは邪魔だ」
男爵が気を配り、守ったのは、損耗を避けたかったのは、人間の兵士などではない。
彼は気づいていたのだ。炎の豪雨が的確に自信の配下だけを狙って降り注いでいたことに。そして人のフリをしたまま相手に出来る者たちでもないということに。
「まったく。これでは労力に対してポイントが釣り合わないな。だがまぁ仕方ない。プレイヤーを屠ったとなればボーナスは見込めようよ」
口が裂けるように嗤う。言いながらも、男爵の姿が変わっていく。
化けの皮が焼けつくようにして熔け落ち、その下から正体を晒していく。
騎士甲冑を思わせる金属硬質の体皮に覆われた総身。左腕は大盾をそのまま腕にしたかのようであり、右腕は両手大剣をそのまま腕にしているかのよう。背には燃えるような一対の翼が吹き出している。
「さて、我に従い堕ちたるエンゼリオン諸君。聖罰を執行しよう」
フルフェイスヘルメットめいたその顔の何処から声を出しているのか、男爵だったものが言う先には、既に人の姿などは一つもない。
そこに居たのは数十体ほどの、灰色の翼を背負い、剣と盾を両手に備えたマネキンのような人型の群れ。
エンゼリオンと呼ばれたマネキンたちは、沈黙を返答として返すのみ。
その様子に満足げに頷いた元男爵である騎士甲冑だったが、そのどこか余裕を感じさせる態度がふいに崩れた。
「なっ!? ぼう――」
自らの知覚域を僅かに越えた遠方から、背筋が粟立つほどの威圧感を覚えた。それだけに止まらず、信じられない速度で迫る音と光を捉えた。
それが何かを理解するよりも早く、反射的に防御を命じようとして。
――直後、霹雷が轟く。
光と、音と、暴れ狂うような衝撃波が、全てを呑み込んだ。
◇
もしかしたら書き直すかも。