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準備フェイズ

ⅩⅩⅧ



 背や頭部に岩石を鎧い成人男性の二倍程の身長を有する大蜥蜴、ガントレットリザードの群れを縫うように銀閃が駆け、跳ねる。

 閃く銀光が分厚く頑丈な岩石の鎧ごと粉砕せんと振るわれ、その度に重厚な打撃音がビリビリと空気を震わせる。

 ガントレットリザードは岩石を食むことで己の身体に岩石の鱗殻を生成し鎧うことを可能とした。代わりに、その動きは酷く緩慢だ。それこそ亀の方がよほど機敏に動くと嘲笑される程度には。

 しかしだからこそ、DEF極振りと言っても過言ではないようなその防御力はバカにならない。ゲーム中でも初見のプレイヤーなどが通常攻撃無効でも付いてるんじゃないかと疑う程度には、生半可な攻撃をモノともしない堅牢さを誇っている。

 そしてその攻撃力もまた油断なら無いものだ。中・遠距離の攻撃手段こそ有していないものの、岩石を喰らうように発達した顎の咬合力は下手をすると武器や防具の耐久値を一気に削り、四肢にでも噛みつかれようものなら肢部欠損の状態異常を覚悟する必要すらあるものだ。

 加えて緩慢な動きを補うようにガントレットリザードは常に四体以上の群れで行動する習性を持っている。外敵が一体に手こずっている間にジワジワと包囲網を狭め、徐々に圧殺していくのがガントレットリザードの狩りに於ける常套手段だ。


 そんな大してレベルも高くない割りに面倒で癖の強いモンスターをセラフィムが今回の標的としたのは、実は単なる偶然でしかない。


 レギオンでクエストを物色していたセラフィムたちだったが、彼女らのお眼鏡に叶うようなクエストは出されていなかった。

 早々に見きりをつけたセラフィム一行は、街を出ると山の巻き道を取り敢えずの目標値点と定めた。

 道中で何回かモンスターとエンカウントしたものの、それらは特に難もなく鎧袖一触に蹴散らせるような十把一絡げのそれであり、昨日の首無し鎧やワイバーンのような強敵には及ぶべくもない。

 セラフィムが今求めているのはそこそこに手強い相手だった。それも、勢い余って殺してしまっても良いのなら尚良し。というこちらの都合だけを十全に押し付けれる相手である。

 そんな都合の良い獲物などモンスターを置いて他に在るわけもなく、さりとて地上には基本的にそんな都合の良いモンスターは非常に稀だ。

 ある条件を満たせばセラフィムが求める以上の歯応えを有したモンスターがポップし、エンカウントも可能だが、それはそれで御免だと、思い付いたと同時に考えるあたり自分勝手もここに極まる。

 セラフィムが求めているのは、単に実体となった自身の身体を十二分に操るに足る経験を積ませてくれる相手だ。

 そもそも、セラフィム――翼は己の身体を実際に自由自在、思うままに動かしたことなどとんとないのだ。

 確かに『閃律のスペクトラム』はVRMMOであり、実際に身体を動かしている感覚を得ることが出来る。そのプレイ時間も相当なものだ。

 だが、それはどこまで行っても仮想現実での話。実際に実体を操るのと、データ上に構築されたものを操るのとでは勝手が、実感というものが異なる。ましてやゲームとしてプレイヤーを楽しませるために、プレイヤーの一挙手一投足にはシステムアシストが付随し快適さに一役買っているのだ。

 ある程度はゲームの時と同じように動かせるとは言っても、ゲームの時と遜色無く動かせる訳がない。それが外に出たこともなく、運動と呼べる運動を満足に行ったことが皆無な少女であるならなおさらに。

 セラフィムが現在何よりも優先して積まねばならないもの。取得せねばならないもの。

 それは経験に他ならない。ゲーム的なEXPという意味ではなく、字義通りの意味で。

 赤子がハイハイを覚えるように。

 幼子が立ち、掴み、歩くように。

 子供が痛みを覚え、共感を、覚えるように。

 システムアシストが無い状態のセラフィム・ソルフェージュという身体がどれだけのことをどれほど、どのようにすれば行えるのか。

 そして魔法やスキルによって上昇した身体能力はどうすれば御することが出来るのか。

 妹たちに自身へのバフと回復にのみ専心してもらいながら、セラフィムは一つ一つの行動を確かめるように行っていく。

 回避を。攻撃を。防御を。移動を。

 走り、跳び、振るい、突いて、薙いで、受けて、疾る。

 妹たちに己の無様を見守られながら、セラフィムは今この時はそれを忘れる。

 今この時の堪え忍ぶことで、これからの何かもを踏破できると確信して。



 


 森の奥。周囲の木々に較べて殊更巨大で古い一本の大樹。

 一見してただ年輪を重ね、その年月に相応しい威容を誇るだけに見えるソレは、しかしよく視ればその異様に目を見張ることになるだろう。

 それは巨木に付いた傷にしか見えない。――ように擬態した入り口だ。

 黒く、暗く、見つめているとグルグルと視界が酩酊し、吸い込まれるような錯覚を覚えるようなうろ

 吸い込まれるような、という感覚は実のところ錯覚でもなんでもない。常人ならば咄嗟に忌避しその場を離れるだろうが、その感覚に身を委ねる覚悟さえあれば扉として機能する。そんな仕掛けが施されていた。

 大樹の中はある場所へと繋がっていた。

 剥き出しの岩肌には簡素で不格好な松明や篝火が光源として点在している。

 そこには現在、多くの異形が募っていた。

 緑やら黒やら赤やらの肌色をしたゴブリン。

 でっぷりとした体躯のオーク。

 隆々とした筋肉を晒すオーガ。

 犬の頭と人の身体を持つウェアウルフ。

 人型をしている以外の共通性が見られない、カタチも大きさも不揃いなゴーレム。

 体勢が定まらず、フラフラと揺れ続ける腐りながら動く死体、グール。

 それら百や二百では利かないような数の異形が、整然と立ち並ぶ様は異様という他無い。

 そんな群体の前に、何者かが現れた。

 コツリ、コツリと靴音を響かせながら光の届かない奥まった闇の中から表れたのは、白い肌にガーネットの瞳をもった矮軀――ゴブリン。

 アルビノであるという抱けでも珍しい――否、有り得ないというのに、そのゴブリンの顔には知性が見えた。その上、上質な服を嫌味なく着飾っている様は文明人のそれに他ならない。


「諸君。今日までの研鑽と忍耐の日々。誠にご苦労であった。しかし、それも今日までだ。多くの同胞を、隣人を友を家族を失ってきただろう。屈辱と恥辱と痛みに耐える日々はようやく終わる」


 口を開いたアルビノゴブリンから飛び出したのは、驚愕すべきことに流暢で滑らかなバリトンボイスに彩られた意味ある言葉の集合だった。

 その言葉をこの場にどれだけのものがたちが理解出来ているのかはわからない。もしかしたら理解など出来ていないのかもしれない。

 それでも、この行為に意味があるとアルビノゴブリンは知っている。行うべき儀式と理解している。

 何より、こういうことをしたかった自分が居た。


「彼らに赦され、我らに赦されない道理など存在しないと見せつける時だ」


 アルビノゴブリンはそこで一度言葉を切り、集まった面々を一人一人確認するように見渡していく。

 じっくりと。

 ゆっくりと。

 数分をかけてそうしてから、アルビノゴブリンは頷き。


「見せつけよう! 叩きつけよう! 我らが生の権利を! その証を! 決行は明日、陽が沈み、暗黒の天蓋に閉ざされた我らの時間に!

 ……それまでは諸君、ささやかながら私からの贈り物を存分に味わい、堪能し、明日への活力としてほしい。成功すれば、それがこれからも続くのだと胸に刻みたまえ」


 言って、アルビノゴブリンはパチンと指を鳴らした。

 アルビノゴブリンがやってきたのと同じ闇の中から、何かが歩いてくる。

 幽鬼のような覚束ない足取りで表れたのは、裸に剥かれ、首輪と鎖でつながれた若い男女の群れだ。

 瞳に意思の光はなく、半開きになった口からは意味を成さない呻き声だけが漏れている。

 都合百人程度。それらがアルビノゴブリンと集った偉業の群体――否、軍隊の間に整列する。

 再びアルビノゴブリンが指を鳴らすと、次第に彼ら彼女らの目に明確な意思の光が点り出す。


「さぁ、存分に味わってくれ」


 困惑し、理解が及び、木霊する悲鳴のアンサンブルをバックミュージックにそれだけを告げたアルビノゴブリンは闇の中へと踵を返した。

 背後で始まった地獄絵図に興味など無いかのように振り替えることをせず靴音を高らかに鳴らし歩く様は、何故だか彼ら(・・)を侮蔑しているようで――――。



(期間がえらい空いてしまい)本当に申し訳ない。

夏は嫌いだ。痛みで集中できない……

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