ゴブリン以上サイクロプス未満。(ガバガバ測定)
ⅩⅧ.
自分自身では会心だと思い、他者から見れば小憎ったらしいとしか思えない、そんな笑みを浮かべているセラフィム。だがその表情とは裏腹に、胸裡にはふつふつとした怒りが焚き火のように揺らめいていた。
それは犬頭がエリスに暴言を吐こうとしたから。しかもそれが聞くに耐えないような酷いものだろうことは、それまでの行儀の悪さから察することあまりあるのだから尚更だ。前方不注意だったことは犬耳少年に非があったとは言え、足蹴にしようとしたことも気に入らない。
そして次に、自分に対して。余計なことに気が散っていて、注意力が散漫だったことは認めざるを得ない。そしてそんなだから、エリスが少年を助けるために飛び出してしまい、罵倒を受けるような状況になってしまった。
セラフィムとしてはエリスの行動は賞賛ものだ。あとできちんと労ってセラフィムポイントを付与するべきだろう。
そんなことを考えながらもセラフィムは、後頭部に石が直撃してうずくまる犬頭と、それを指差して笑うドワーフと、こちらを睨んでいる熊男、そして感情の読めない目付きでこちらを観察しているスキンヘッドと黒ローブを視界に収め、彼らがどう動いても対処できるようにしていた。
「ぐ、お、おお……」
「ぶっはははは! 石が! 石が見事に、直! 撃! どわははは!」
「グルルル……」
犬頭の後頭部を襲った石は、言うまでもなくセラフィムが投げたものだ。とは言えフォームを見よう見まねで、石はそこらに落ちていたもの。力も十分に加減している。でなければ、天下の往来に真夏のスイカかザクロか、そんな光景が披露されていただろう。
「はぁ。面倒になるわよ、お姉さま」
「でしょうね。けどま、これで良かったと思うよ?」
「あら、どうして?」
「どうしてもなにも、ケレス、私がもうちょっと遅かったら攻撃してたでしょ」
「当然。エリスに下品な罵倒を浴びせようとしていたのよ? そんな汚れを撒き散らす汚物は焼却しないと」
しれっとそんな物騒なことを言うケレスの手には既に短杖が握られていた。攻撃、と言うよりも砲台担当とでも言うべきケレスが短杖を構えると言うことは、砲弾が装填されて発射秒読み段階であること同義だ。
セラフィムは内心でちょっとだけ、間に合ってよかったと安堵する。あんなのがどうなろうと割りとどうでも良いけれど、それで人殺しと言う要らない疵を妹たちに付けたくはない。ゲームならばともかく、ここは現実なのだから。
そんな会話をしている間にも、犬頭は再度回復魔法を受けたようだった。立ち上がるや否や、振り向き、挑発でもするように小石でお手玉をしているセラフィムを睨み付ける。その形相は憤怒を通り越したようで、もはや顔が燃えているかのように紅潮していた。
「て、て、テテテメェェェェェエエエエエエエエ!」
怒りで呂律が回らないのか、やや片言に吠えたてながら犬頭が長剣を抜いてセラフィムに切りかかってくる。
それをセラフィムは避けるでもなく、お手玉していた石で受ける。
本人のレベルか、長剣の性能か、あるいはその両方か。セラフィムの掌に収まる程の石は容易く両断されてしまう。
「!? な! くそっ! どうなってやがる!?」
けれど。それだけだった。長剣は石を両断しただけで、その勢いは止まってしまっていた。
なんのことはない。長剣の刃が断った石を通過するよりも早く、一つから二つになった石で挟み込んでいるだけだ。それが余人から見ればどれだけの絶技か、セラフィムは理解していない。ただなんとなく出来そうで、やられたらビックリする上にすこぶる腹が立つだろうなぁ、と。そんな程度の思惑でやってみたに過ぎなかったりする。
そしてその思惑はものの見事に的中。犬頭は驚愕を露にするのも一瞬。己の一撃が、何で、どうやって止められているかを理解して、三度怒りに身を震わせた。
――舐めれた。レギオン・ワラキア支部の筆頭パーティ『ブラッドロート』の一員であるこの俺が……!
犬頭が屈辱と怒りに震え、全身全霊の本気で刃を押し込むが、まるで山でも押しているかのようにピクリとも動く気配がない。
無駄な努力を止めない犬頭をつまらなそうに見ながら、セラフィムは視界の端でエリスが犬耳少年と、その友達であろう猫耳少女とウサ耳少女に注意をして、そっと来た路地の方に逃がしているのを見守る。と、犬耳少年がぶつかって尚、死守していた林檎飴をエリスに渡していた。お礼のつもりだろうか。最初は固辞していた様子のエリスは、しかし次の瞬間にはあっさりとそれを受け取っていた。
そんなエリスの素直な様子に、くすり、とセラフィムは小さく笑みを落とした。
「――ナニを笑ってやがんだこのクソアマァアアアア!」
妹のほっこりするワンシーンに顔が綻んだのを、犬頭は自分が嘲笑されたと受け取ったらしい。
「うぁ……。うるさ……。て言うかまだ頑張ってたの? 無駄だって気づこう?」
だが、当のセラフィムには既に犬頭のことなど眼中に無い。ただただ馬鹿の一つ覚えのように力押し一辺倒では、ちょっと力を込めているだけのセラフィムでなくても飽きてしまうだろう。
それでも諦める様子の無い犬頭に、セラフィムは大きくため息を吐くと空いている左手で素早くルーンを刻む。一瞬だけルーンが淡い光を放つと、犬頭は何かに突き飛ばされるように後ろへと吹っ飛んでいった。
しかし。そんな犬頭は壁に激突する寸前で、熊男に受け止められる。
「はっはー! 面白い見せモンだったがな、ネーチャン。ちょっともう見過ごせねぇなぁ」
「お前、バラッドに石投ゲタ! バラッド、バカにしタ!」
ドワーフと熊男が口々にそんなことを言いながら、それぞれ己の得物だろう戦斧と鉄棍棒を構える。
下卑た笑いのドワーフと、言葉が若干カタコトっぽくなっている熊男。その横では、バラッドと呼ばれている犬頭がふらつきながらも長剣を構えた。戦意は衰えていないようだ。
「知らんがな。て言うかさ、さっきの子もちょっと注意不足で非があったかもだけど、アンタ蹴ろうとしてたじゃない。アンタらも止めようともしないし。しかもキャンキャンと騒ぎ立てて通りの空気を悪くするし。そういうのをね、自業自得って言うのよ」
「あらあら、お姉さまったら。品性というものが欠片も見受けられない案山子にそんな高尚な言葉が理解できると思って?」
「ああ……。確かに。バカっぽそうだもんなぁ」
セラフィムとしては他意無く自業自得だと指摘したつもりだったが、ケレスは完全にバカにしていた。そして、セラフィムはそんな妹の言葉に、これまた他意無くもしかしたら自業自得って言葉の意味がわからないのでは? とトンチキな同意を返してしまう。
本人以外の誰がどう見ても聞いても、完全にバカにしているようにしか感じられないだろう。
その証拠に、ドワーフも笑いを引っ込め険しい表情でセラフィムとケレスを睨み付けている。熊男に至ってはもはや怒りで言語を忘れたのか、ただただ荒い息遣いで興奮した肉食獣がごとき様相だ。
「ふん。この街を守るために戦って帰ってきた俺たち“ブラッドロート”に無礼を働いたんだ、罰は当然だろうが」
「は、はは。そうだぜ、俺たち“ブラッドロート”は謂わばこの街の英雄サマよ! その俺たちに舐めたマネして、どうなるかわかってるんだろうなぁ!?」
「知らん」
威勢よく調子付いて脅しかける犬頭だったが、セラフィムの答えは簡潔で、なにより即答だった。
「バカにしてんのかぁ!」
犬頭が口角泡を飛ばす勢いで怒鳴るが、柳に風。暖簾に腕押し。
「あらあら。聞いていて理解できなかったの? ああ! そうね。ごめんなさい。黙って立っているだけな分、案山子の方があなたたちより上等だったわね。案山子に失礼な物言いだったわ」
鼻で笑うようなケレスの口撃に、耐えきれなくなったのか犬頭が長剣を大上段に飛び出し、続いてドワーフと熊男が囲い込むように迫る。
「ケレス。周りに迷惑にならないように」
「……はぁ。了解よ、お姉さま」
それぞれの得物の攻撃圏内。振り下ろすなり薙ぎ払うなりすれば届こうかと言う状況。それでも、二人から余裕は消えない。焦りはない。有るのはただ、ケレスの不満感と、それでもきちんと事を為した事による結果のみ。
ガンっ! と硬質的な音が通りに三つ、響き渡った。
振り降ろされた長剣も。
横薙ぎに振るわれた戦斧も。
しなるほどの勢いで叩きつけた棍棒も。
それらが一様に、何かに阻まれた。襲撃者三人の目には、確かに二人の少女が映っている。あちらとこちらを隔てる壁なんてある筈がない。その筈なのに、三者の武器が何かに阻まれている。
その場の殆ど全ての人々が驚愕に顔を染めていた。
だがよく見ればわかった筈だ。何も無いと錯覚する程に透き通った透明の壁が、犬頭とドワーフ、熊男を囲むようにそびえ立っている、と。
「クリスタルピラーかぁ。ゴブリンの群れを討伐するときによく使ってたよねぇ。懐かしい」
「ええ。下級上位の無属性魔法だけれど、十分かと思って」
無色透明な円柱を形成するこの魔法は、並べて使えば即席の簡易防壁になり、魔法のレベルを上げて強度や精度を高めれば知能の低いモンスターを中に捕らえ、キャストタイムの長い大威力魔法を用意、ピラーの耐久度なり使用時間なりで解除されると共にまとめて蹴散らす布石にしたりと使い勝手の良い魔法だ。とは言え、特性が分岐する前の普遍的な魔法使い職ならば誰もが習得するような魔法なので、ある程度のレベルに達すると使うことが無くなる類いの魔法でもあるが。
とは言え、その効果は見ての通り。
対象に発動を認識させることなくピラー内部に捕らえ、囚われたことに気付いて矢鱈目ったらと攻撃しても破壊にはそれなりに時間を要する。
「レベル百に届くかどうか、かな」
「ですわね。確か、百レベルが最低のサイクロプスの一撃で壊されるような強度ですもの」
二人は虫籠の中の無視を観察するように、ピラーの内部で暴れている三人を見ながら大体のレベルに辺りを付けた。ピラーには徐々にヒビが走りだしている。
モンスターは基本的にステータスが尖っている。サイクロプスやキュクロプス、ヘカントンケイルのような巨人型は特にSTR特化型だ。そのサイクロプスの一撃で壊れるピラーにこの短時間で三人係りとは言えヒビを入れたことから、二人は犬頭、ドワーフ、熊男が平均百レベル程度だと予測したのだった。
「そう言えば、さっきレイジボアがどうのとか言ってたような……。あれってどのくらいのレベルだっけ?」
「…………さぁ?」
ふと。熊男が言っていた台詞を思い出したセラフィムだったが、生憎と件のモンスターのレベルを覚えていなかった。それはケレスも同様で、暫し黙考したものの、答えは出ず。
「そう言えば、私ってば草原とかで戦ったこと少ないかも」
「あら、そうなの?」
「うん。ほら、草原ってモンスターのポップが早いけど、旨味が少ないんだよね。ドロップするアイテムしょぼいし。まぁ、動物型が多いから戦闘に慣れる分には丁度良いんだろうけど。言ってなかったっけ? 私ってば最初の頃はある人にお世話になっててね。その人によく山とか沼地とかの方につれ回されてたのよ。こっちのが楽しいよって」
「初耳なのだわ。それで、楽しかったの?」
「……初心者にやらせるもんじゃねー。VRに慣れる前に人形とか巨大モンスターの相手をさせるとか、鬼畜過ぎる……」
「ふぅん、苦労したのね。て言うか、その割りにはわたしたちは初っぱなから冥府だったわよね。ね、エリス」
「……うん、あれはひどかったの」
ピラーを迂回して戻ってきたエリスに話を振れば、エリスは当時を思い出したのか顔を青ざめさせてケレスに同意して見せた。ケレスもげんなりとした顔をしている。
ちなみに、冥府で出現するモンスターのレベル最低値は百八十である。しかも冥府という名称に相応しい種類や特性のモンスターが多数ポップするエリアだ。パワーレベリングのためとは言え、レベル一の段階でそこに行くはめになったケレスとエリスにとってはトラウマもいいとこであった。
セラフィムはそんな二人の様子に、聞こえないふりをしつつ。
「おかえりエリス。あの少年を守った手際はナイスです。三セラフィムポイント進呈」
「ああ、そのポイントまだやるのね。……ん? と言うことはエリスがキスゲット間近!?」
「うぇ!? あーいやそのぉ……あ! ほら二人とも、ピラーが壊れるよ!」
まるで、と言うか見たまま誤魔化すように声を張り上げたセラフィムが言った直後、ガラスが割れるような音を立ててピラーが砕け散った。




