真面目な話をするようです?
ⅩⅤ.
姉妹のやり取りを薄く笑みを浮かべて楽しそうに眺めていたブラドは、カップを口に運ぼうとして中身がないことに気づいた。楽しい時ほど時間は駆け足で流れていく。それをよく知っているブラドは、だからこそ表情を改める。
「さて。このまま旧交を温め続けるのも悪くはないが……。これでも我輩は多忙の身だ。そろそろ真面目な話をしようか」
姉妹のやり取りに間隙が生まれたのを見計らい、ブラドは真面目な表情と声で切り出した。
柘榴色の瞳が射貫くようにセラフィムを見つめる。猛禽めいた鋭い眼光に怯むことなく、セラフィムもまた息を一つ吐いてから姿勢を正す。妹たちもそれに倣った。
「まずは此処へ来た理由を聞こうか。君のことだ、妹たちから我輩のことを聞いたからと言ってわざわざ来たりはせんだろう。それはそれとして我輩のことは後回しに、妹たちとの旅を満喫する筈だ」
「まぁね。知ってるとは思うけど、面倒事だよ。一つはこの娘たちが魔王呼ばわりされてること。二つ目はその原因が使徒だっていうこと。そして、なんやかんやで王国のレジスタンスに参加することになったってこと」
「パルチザンか。その様子ならば、我輩が彼らを支援していることは既に承知済みと言うわけだ。ならば、もう幹部クラスと顔見知りかね?」
「へぇ、ランディルって幹部クラスなんだ」
「彼に会ったのか。なるほど。と言うことは彼の薦めで来たということかね」
「きっかけはケレスだけどね」
「ふむ。しかし例の噂はやはり使徒がらみだったか。まぁ、そうでなければその娘たちが都市落としなどするわけがない、か。セラフ、君は使徒と実際に戦ったかね?」
セラフィムとブラドの付き合いはそれなりに長い。
初心者だった頃のセラフィムに付き合ってくれていたあるプレイヤー経由で知り合ったのが最初の出会いだった。それからは所属するギルドこそ違うものの、時々パーティを組むようになり、お互いにブラド、セラフと愛称で呼ぶようになった。セラフィムのレベルが上がり、難度が高いクエストやダンジョンなどに挑むようになった頃には、お互いの性質も把握出来るようになり、おざなりな会話でも十分に意が伝わる程度には親密になっていたのだった。
そんなブラドだからこそ、これまでの雑談から、セラフィムがこの世界に来た理由等の抱いて然るべき疑問などはまったく意に介していないと理解できた。
故に。話すべきはこれまでではなく、これからだと会話を行う。
一方のセラフィムも百三十年という時間の中でブラドは変わったのではないかと内心では心配をしていたが、話すうちに自分の知る彼のままであることに安堵感を得つつ口を開いた。
「エンゼリオンとはね。エクスシアンも居たけど、逃げられたわ」
「先程の会話では、シスターズも戦ったという話だったが?」
「ええ。わたしたちはプリンシパルと。ね、エリス」
大人しく聞いていた妹たちはそれに淀みなく答える。……エリスだけはクッキーをかじっていたので、コクコクと首を縦に振るだけだったが。
「ほう。プリンシパルということは、周囲はエンゼリオンで包囲されていたのではないかね? 魔法職の君らでは辛かったろう」
ブラドの台詞からも解るように、本来ならばプリンシパルにはエンゼリオンや一部のモンスターを統率、指揮する固有能力が備わっている。
しかしケレスとエリスが対峙したプリンシパルはエンゼリオンたちを従えてはいたものの、それを活かすことが出来ていたとは言い難い。少なくとも、あの時に限っては。
「いいえ、おじさま。確かにエンゼリオンは居たけれど、プリンシパルの方はお喋りに夢中で隙だらけだったから、簡単でしたわ」
その時のことを思い出したケレスはせせら笑う。彼我の戦力差を理解せず、己の優位性に慢心していた無様さを間抜けだったと。
それを聞いたブラドは驚くでも疑うでもなく、そうか、と一言だけ呟いて視線をセラフィムへと移した。
「本来ならば絶対に行わない逃走。見敵必殺が常でありながら隙を晒す。これだけのイレギュラーが使徒たちにも起きているわけだが、セラフ、君はどう思う?」
「どうもなにも……、ここがゲームじゃなくて現実なんだったら自我が芽生えて当然じゃないの?」
真剣な表情で問いを発したブラド。セラフィムは少し前に抱いた感想と同じことを答えた。ゲームのプログラム体としてではなく、自我のある個体として存在しているのなら有り得ることだと。
その答えにブラドは瞳を閉じて頷きを返しながら、ところで、と先程までとは異なるどこか軽い口調で口を開いた。
「この世界に来ているプレイヤーは我々だけではない」
「……まぁ、ブラドが居て私が居て、他に居ないなんてことは無さそうだけど」
唐突な話題転換に面食らいつつ、告げられた事実にセラフィムは僅かな驚きを得た。しかしそれも直ぐに、他に居ても不思議はないか、と胸裡で納得する。
「何人ほど居るのかは我輩も把握はしていないが、知っているだけで七人。我輩たちに共通する点は幾つかある。オーバー二百レベルであることや、神器を有していること、称号持ちであること等、色々あるが、まぁそちらはどうでも良い」
じゃあなんで言った。と反射的に口から出かけた言葉を飲み込み、セラフィムは次の言葉を待った。彼が勿体ぶった言い回しを好むことは承知していた。だから視線で先を促す。
「――我輩……いや、俺は、名前を思い出せない」
台詞の内容は勿論、今までのロールプレイを脱ぎさり、不意にブラドとしてではなく、ブラディスラウス・ドラクリヤ“の”プレイヤーとして語り始めたブラドにセラフィムは本気で驚いた。
そのネームからも解るように、彼は『串刺し公』や吸血鬼のモチーフとしても有名な、ワラキアの英雄ヴラド公の熱烈なファンであった。アバターは公の肖像画を参考にメイクされ、種族とスキンもそのモチーフであったことや、公自身が好んでドラクリヤのサインを使っていたから選択している。ゲームプレイ中は常に“我輩”だとか“余”とかの偉そうっぽい一人称を使い、彼の思うヴラド公のロールプレイを徹底していた程だ。
そんなブラドが、ここが現実であるとは言え、その姿の状態で素を出したことにセラフィムは本当に驚いていた。
「百三十年生きていたからではないのだ。この世界に来た時から、既に俺は自分の名前を思い出せなかった。それだけじゃない。朧気に覚えていることは多々有るが、まるで虫食いのように現実の事が思い出せないんだ」
俯き、量膝に肘を着いて頭を抱えながら語る姿は、それがポーズではなく、程度はどうあれ本当に憔悴しているようにしか見えない。現に先程までの落ち着きのようなものはなく、セラフィムにはその姿に重なるように、一人の、何処にでも居そうな青年が幻視された。
だが、それも一瞬のことだ。彼が顔を上げた時、そこにはもう既に見知らぬ青年の像はなく、領主としての側面を得たものの、見慣れた彼がそこに居た。
「すまんな。無様を見せた、許せ。話を戻そう。我輩がそうであるように、今まで出会った他の七人も大なり小なり何かを失っていた。我輩のように記憶の一部だったり、忌避感や注意感のような感情めいたものだったり、現実の自分が持っていた何かを失っていたのだ」
ふかしや思い違いだ。とはセラフィムは思わなかった。ブラドがそんな冗談や嘘を言うような奴ではないと知っているし、そんな嘘や冗談に意味があるとは思わなかったからだ。
それはつまり、ブラドの言を信じるということであり。ならば、自分も何かを失ったのだろうかと思うも、セラフィムは答えを得ることが出来なかった。思い出せないことあはるが、それは元々そうだったものだし、感情とかはどうやって判断すればいいのかわからなかったのである。
ブラドの話は続く。
「これは我々プレイヤーがこちらの世界に来る際にシェイプアップされたからではないかと、我輩は推測した。この世界での構成体としての容量が定められており、現実側での情報とアバターの強度と付属物の両立は容量過多であり、無くても構わないと判断された情報を削除されたのではないか、と」
真面目くさった顔で何を言い出すんだ、と思いながらもセラフィムはグッと我慢して、とりあえずは聞くに徹することにした。
「一方で、使徒などはプログラムとしての強度だけでは容量が必要定数に届かず、設定されていない自我や感情と言う情報が付与された、と我輩は考える。
根拠はある。セラフの妹たちの他にも、ファミリアと出会っているのだ。そして、その全員が過不足が見当たらなかった。確かにそこのリトルレディたちのように追加要素はあったが、それはこの世界では共通項となるものばかりだ。これはこの世界に、現実のものとしてあてこまれたのだから当然と言えるだろう」
「うん、で、だから?」
徐々に熱が入りだしたと見て取ったセラフィムは、合いの手を挟む要領で何が言いたいのかさっさと言えと催促する。
古い言い回しだとブラドは嫌うが、彼は中二病を患っておりかつ設定厨である。セラフィムは彼のファミリアに付随された、意味があるのか無いのかわからない数千文字のフレーバーテキストだったり、何時だったかの『スペクトラム』の設定に関する雑談だったりで辟易とさせられたことを思い出した。
まぁようするに。
(これ以上は止まらなくなる……)
セラフィムはややうんざりとした顔をしそうになるのを悟られないように、なんとか我慢する。
「む。ふむ、つまりだな――」
とせっつかれたブラドがやや不満そうにしながらも、自論の締めを語ろうとしたところで、扉をノックする音が響いた。
またしても話を遮られたことにブラドが苛ついたように扉を睨む。
しかしそんなことは知らんとばかりに、ブラドの応答を待たずに扉が開く。セラフィムは領主の執務室にそんな勝手なことして大丈夫なのか、と疑問を抱くも、それは一瞬。開かれた扉から入ってきた人物を見て納得した。
「ロード、お時間です。既に定刻を過ぎております」
感情の起伏を感じさせないような、それでいてとても綺麗なソプラノボイスでそう言って入室してきたのは、金糸のような長い髪を首の後ろで一本に括り、南国の海を彷彿とさせるような澄んだ青い瞳とやや長く尖った耳が特徴的な美女だった。
「む、もうそんなに経っていたか。しかしだな……イロナよ」
「ダメです」
言い募ろうとしたブラドだったが、にべもなく切って捨てられ二の句が継げなくなる。
「久しぶり、イロナ」
相変わらずな様子に苦笑しながら、再開の挨拶をするセラフィム。
「……はい、お久しぶりですねセラフ。壮健そうで何よりです。そしてエリス、ケレス、無事セラフに会えて良かったですね」
声を掛けられて初めて気付いたのか、イロナと呼ばれた美女は声の主の方へ視線を流し、やや間を空けてから挨拶を返した。
シラージ・イロナ。ブラドのファミリアであり種族はエルフ。セラフィムも何度か会った――自慢された――ことのある相手だ。
感情の起伏をあまり感じさせないイロナだが、妹たちへとかけた声色はどこか優しげだった。
「さておき」
しかしそれも直ぐに平らな声音に上書きされてしまう。
イロナの呟きと供に彼女の後ろから、目にも止まらぬ速さで何かが走った。
「ぬおっ! な、イロナ貴様、主人に向かって拘束魔法とか何を――」
「三人とも、ご歓談中に申し訳ありませんが、ロードを借りていきます」
「りょーかい。ブラド、お仕事がんばっ!」
可視化される程に高密度に圧縮調整された風のロープでグルグル巻きに拘束されたブラドを引き摺って退室していくイロナと、それを笑顔で見送るセラフィムと妹たち。
そんな彼女らへと何かを言おうとしたブラドだったが、開いた口の回りを真空状態にでもされたのか、ブラドが悶えるだけでなにも聞こえない。大丈夫なのかな、と思うもののイロナは気にした風もなく退室してしまった。
あまりにも手慣れた手際の良さに関心しつつ。
「……あれ? 私たちこの後どうすれば……?」
気付くのに遅れた疑問が虚しく響いた。




